023 Lia 「合流」
無意味なミスリードを回避するため、千年前に伝説となった英雄の名前を「クロノ」に統一しました。
過去の文章も全て「クロノ」に変更してあります。
リオンの手で開かれた扉をくぐると、心地の良い紅茶の香りがした。
ここはリオンが贔屓にしている喫茶店。先程まで降っていた雨もあってか客入りは少なく、奥の席に若い男性が一人居るだけであった。
「いらっしゃい」
黒髪の若い女性がカウンターからそう言った。大きな声ではなかったが、静かな店内で発するものとしては十分な声量だった。店内を見回したが、他に店員は見当たらない為、彼女がこの店のオーナーだと考えて良さそうだ。
「あら、今日はリゼが居ないのね」
リオンは彼女にそう話しかけながら、四人用の窓際の席に座る。私はそれに習って彼女の対面に腰を下ろした。オーナーも注文を取るためにカウンターから出て私達の前に立つ。
リゼという名前は初めて聞いたが、恐らくここの店員で間違いないだろう。どうやら常に彼女一人で店を回しているわけではなさそうだ。
「ええ、昨日から来ていなくて。普段は事前に休むことを知らせてくれるのだけれど……」
一昨日は早めに店仕舞いをしたけれど、あの子なんだかぼーっとしてたように思えて。
「体調崩してたりしなければいいのだけれど……」
少々不安そうに彼女は言った。
リオンはそうなのねと呟き、続ける。
「じゃあ、時間あるときにでもお見舞いに行きたいわね。ちゃんと話したのはこの前が初めてだったけれど、見慣れた顔が無いのは少々気になるわ」
一昨日の事件の事もあるし、と彼女は私を気遣うように静かに付け足した。
そうして下さるなら助かります。是非、行ってあげてください。彼女はそう言ってリオンにリゼと呼ばれる人物の家の場所をメモ帳に書いて渡した。良いのだろうか。こんな簡単に住所を教えてしまっても、と私は思ったが、普通の客相手にならきっと教えなかったのだろう。それほどリオンはこの店を贔屓にしており、そして何らかの要因で信用されているのだと感じた。
「さて」
彼女はそう気分を切り替えるように言い、ご注文は? と私達に訊く。
「そうね……紅茶を二つ、種類はあなたにお任せするわ」
ライアもそれでいいかしら、そう訊ねられたため、大丈夫だよと答える。
「では、少しお待ちを」
彼女はゆっくりとした足取りでカウンターへ戻り、準備を始めた。
「――――リゼというのは、ここで働いているウェイトレスの女の子よ」
私達よりも少し年下ね、と付け足して彼女は教えてくれた。元気が良く可愛らしい子だそうだ。
「祖母は昼過ぎに家を出ると言っていたから、もうじきここに来ると思うわ」
少しの間を置いて彼女は本題に入った。気分の問題だろうか。昼はとっくに過ぎていたが、食欲はなかった。それはリオンも同じようで、紅茶以外に何かを注文する気配は無かった。
そっか、わかったと私は言い、さらに続ける。
「今日の呼び出し、ミーナスさんも一緒なのはなんでだろうね」
これから葬式だったという気分の沈みもあってか、今日のアルフレッド王の呼び出しに関しての話はここまで一切してこなかった。
「私もそれは訊ねてみたのだけれど、はっきりした答えを聞くことは出来なかったわ」
何か知っているような、含みのある言い方だったけれど、と彼女は呟いた。
「そうなんだ」
となると、私には心当たりがあった。
今回の事件は「グリモワールの伝説」に似通った部分が多数あり、アルフレッド王は何か関係があると踏んだのだろう。ミーナスさんはグリモワールの伝説に詳しい人物として名の知れた人であった。伝説に関する文献も書いた事がある程だ。
そして、それはミーナスさんから私の父へ、私へと引き継がれた。
九年程前、父がグリモワールの伝説に関する事を調べるようになったきっかけがあった。グリモワールの伝説に詳しかったミーナスさんが父を呼び出し、傭兵への直接依頼として一つの仕事を頼んだ。大陸の最北端に位置する「霊峰トラゴエディア」の調査であった。
霊峰トラゴエディアは、グリモワールの伝説に深い関係のある場所だ。かつて混沌と進化の神が山頂で封印されたと言い伝えられる場所。文献の中にその名は出ていないが、北の大地に聳える大きな山という表現がされており、大陸の北側にこの山の他該当する場所がない。
この山はとても険しく、登山家であっても決して一人で登ってはならないと言われる程山道が複雑になっている。その為か近年の山中や封印の地と呼ばれる頂上の情報がほぼ皆無に等しかった。
父はアルフレッド王の力を借り、帝国騎士時代に良く酒を飲み交わしていた数人の仲間とその山へ向かった。調査内容は封印の地の現状確認。そして、可能であれば伝説に関する情報も得てくる事。報酬は前金として十分なほど受け取り、完了報酬はその情報量によって変動する形での契約だった。
父はそれから少々急ぎ足で旅に出た。そして、季節が反転する頃に帰ってきた。帰ってきてすぐ家の物置を漁り、現在私が腰に携えるこの「小烏丸」を取り出したのだ。
それを見て「同じだ」と父が口にしたのは今でもよく憶えている。
封印の地にはこの「小烏丸」と同じであろうと推測される物質で出来た巨大な結晶が地面から生えるように突き刺さっていたそうだ。光をも吸い込むような漆黒をしており、純粋な結晶なのか、中に何かが封じ込められているのか、その真意はわからなかったらしい。
ただ、先祖の代から伝わるこの刀に何か関係があるだろうと踏んだ父は、完了報酬の破棄を条件に、ミーナスさんが持つ「グリモワールの伝説」に関する情報を全て引き継いだ。
それから三年後、父はもう一度封印の地に行くと言って出ていった。その時、私は小烏丸を託された。この刀には名前が無い。私がただそう呼んでいるだけのため、父の口からは「この黒い剣をお前に託す」と言われた。
父はこれを託して家を出たきり、未だ帰ってきていない。一度目の調査のときには頻繁に寄越してくれた手紙も、季節を跨ぐと共に一通も届かなくなった。
五年が経過した頃の国の判断は「死亡」であった。死体が見つかったわけではないが、今回は誰も引き連れずに霊峰トラゴエディアに向かったという話を聞くと、そういった判断になるのも仕方の無いことだと当時の私は思った。
実際に死んだ姿を見たわけではない。形だけの葬式は行ったが、やはり実感がなく悲しいという感情は覚えなかった。
それからは、私が自主的にグリモワールの伝説に関しての資料を引き継いだ。未だ全ての文献に目を通せたわけでも、トラゴエディアに行ったことがあるわけでもない。もっと言うのであれば、千年前に救世主となった「クロノ」の縁の地と言われる場所のある「商業都市メルカートル」にも足を運んでいない。私の中にあるのは、まだ文字と絵の情報だけだった。
考え事に耽っていると、やがて喫茶店のオーナーが私達の紅茶を運んできた。
どうぞ、と彼女は言い、それぞれリオンと私の前に紅茶とミルク、角砂糖、スプーンを置いた。
「これは?」
リオンが訊ねる。紅茶の種類の話だろう。
「キャンディーです。セイロンティーの一種ですが、その中でもクセが弱く飲みやすいものですね。ストレート、レモン、ミルク等、どんな飲み方でも美味しく飲むことが出来ますよ」
初めてこの店に訪れた私の好みがわからなかったからだろうか、一般的で国民によく親しまれる紅茶を出された。彼女は紅茶に詳しいだけでなく、相手の事を考えてじっくり紅茶を選んでいるように思えた。
それではごゆっくりと彼女は言い、カウンターに戻っていった。
彼女は私達のこの服装に関して何も言わず、表情を変えることもなかった。あの悲劇のすぐ後だ。礼服を着た人間が居てもおかしくない。そして、そんな事は話題に出すものでも無いのだ。
「考え事に耽るのは良いのだけれど、難しい顔になってるわよ」
リオンが紅茶に角砂糖を二つ入れてスプーンで混ぜながら言う。その視線は紅茶の方を向いていた。
「あはは、ごめんね」
私はそう言ってミルクを少しだけ入れ、軽く混ぜて一口飲む。まろやかな味わいと安心感のある香りが口に広がった。紅茶には詳しくないが、自宅で自分で淹れた紅茶とは似ても似つかない深い味わいだった。
そうやってリオンと言葉を交わしながら時間を潰していると、やがてミーナスさんが現れた。彼女は私達を見つけると微笑みを見せて歩み寄った。
「二人ともごめんなさいね、待たせてしまって」
リオンに似たラベンダー色の髪。リオンと違いくるくるとクセのある髪を低い位置で一本結にしていた。
声こそ嗄れ、その笑顔に似合う皺が目立っているが、杖も持たず真っ直ぐに立って歩く姿はとても若々しいものだと感じた。遠出は難しくとも、まだ白魔術師としては現役だ。リオンが生まれるまでは帝国魔術師として仕事をしていたほどの実力者。その能力も、口調や考え方も、十分過ぎるほど信用、信頼に足る人物だと私は思っている。
「少し時間がかかったのね、おばあちゃん」
リオンはミーナスさんを自分の隣の席へ座るよう促した。
彼女が席に座ると、オーナーが注文を取りに来る。ミーナスさんは適当にお願いと言いかけた後、私達のカップを見て「二人と同じものを」と訂正した。
暫くすると紅茶が運ばれてくる。ミーナスさんは角砂糖を一つとミルクを多めに入れ、よく混ぜてからゆっくりと紅茶を飲んだ。
「それで」
リオンが切り出した。
「結局今日おばあちゃんも一緒に呼び出された理由は教えてくれないのかしら」
頬杖をついて少し面倒そうに訊ねる。
ミーナスさんはカップを置いて一息ついてから答える。
「そういう訳ではないわ。二度手間になるのが嫌なだけよ」
どうせ向こうで王様と話をするんだから、その時でいいでしょうと言って紅茶をまた一口飲む。
リオンは小さく溜息をついて、仕方ないわね、とその場は諦めた。
静かな空間で、少々穏やかな時間が過ぎていく。この後アルフレッド王と対面するとは思えないほど、私達は落ち着いていた。
やがて窓から日の光が差し込んできた。心を曇らせていたその鬱屈の雲は、光に掻き分けられるようにしてゆっくりと去っていく。
そろそろ行こうか。窓の外を見て私はそう口にした。
ええ、そうね。リオンは頷くようにそう言い、ミーナスさんを催促して立ち上がった。
ごちそうさまでした。私達は代金をテーブルに置いてそう言い、この店を後にした。




