016 Rion 「ヒトとモノ」
「なあ、リオンさん……でいいよな」
ライアが去った後の沈黙は、少し距離を置いて座る少年の言葉によって破られた。
ええ、そうよ。私はそう答えて、その場で彼の方を見る。
彼はウォルクという名らしい。隣にいる少女はテリアと名乗った。
「二人の会話を聞いてた所、あんたは白魔術師みたいじゃないか」
周りの子供達は、ただ静かに私達を見詰めていた。
彼の言いたいことはよく分かる。白魔術師なのにエノーラの治療が出来なかった理由だ。何故ここに来られたのかは――――まあ、ライアの親しき友人であると考えれば尋ねるまでも無かったのだろう。幾らでも理由は思い浮かぶ。
私は、彼の目を見ていた。その焦げ茶の瞳に魔術的な力は感じられないが、努力を惜しまない真っ直ぐな瞳だ。
強い闘志のような、柔らかく包む優しさのような気配が、僅かに感じられた。
「……そうね。分かったわ。ウォルク、あなただけ付いてきて」
テリアは皆を見ていてあげてね。そう言って私は巨大な蜂の死骸を跨いで教室の出入り口までゆっくりと歩く。もう動くことはないだろうが、念のためこの死骸にも近寄らないように忠告しておいた。
テリアはウォルクと離れる事に少し不安を覚えているようだったが、ウォルクはすぐ戻るからと言って私の近くまで歩み寄ってきた。
出入り口から教室の様子を見る。子供達はもう落ち着いており、小さな子供のうち数人は比較的年長者の子供に凭れ掛かり、眠そうな目を擦っている。
ここまで子供達が落ち着いているのは、信用を勝ち取ったライアの力あってこそかもしれない。
ライアがこの場を去ってから、四半刻ほどが経過していた。日も傾き始め、もうじき太陽が朱色の光で大地を照らそうとする頃合い。
じゃあ行きましょうか、そう言って私は教室から出た。
木材の床に、私のブーツの抜けの良い音とウォルクの革靴の足音が響く。私は教員室を目指していた。少々酷ではあるが、見せるのが一番早いと感じたからだ。
「私は、あの化け物の気配を感じてここまで来たの。ライアが居たのは偶然ね」
振り向かぬまま、すぐ後ろを歩くウォルクに言う。
「奴らには魔術的な何かが施されていた。それが何か、というのは私にはわからなかったのだけれど、それが危険なものだとはわかった」
私は話を続ける。着いた頃にライアが化け物を一匹倒していたということ。そしてその後ライアは子供達のいる教室へ。私は教員室の様子を見に行った。
教員室の近くまで来て立ち止まる。扉は開け放たれたまま。あと数歩近付いて左を向けば、その惨状が目に映るだろう。
「あなたもおかしいと思ったでしょう。これだけの騒ぎになって、小さい校舎を共有する教師が皆様子を見に来ない」
私は教員室の扉を一歩通り過ぎて振り返り、私の足元を見て、と彼に言う。
ウォルクは一歩だけ近付いて私の足元を、そして僅かに見える教員室の床を見た。
「――――!」
悲鳴は声にならなかったが、彼は目を見開いていた。
ずっと私に注目していたせいで気付かなかったのだろう。教員室の肉塊から流れていた血液が、僅かではあるが廊下にまで広がっていた。
きっと彼の視点からだと、この入口近くに転がっている腕の手首辺りまでは見えるのではないだろうか。
さらに近付こうとしたウォルクを、私は無言で手を出して静止した。
「これ以上は駄目よ。毎晩夢に見たくなかったら、やめておきなさい」
そう言いながら血を踏まないようにして彼に歩み寄った。
私はただ、誰が誰なのか、元々何人居たのかもわからないような惨状だとだけ伝えた。
こんな人の少ない学校に通っているのだ。関わりのない教師なんて居ないだろう。
仲の良し悪しはあれ、彼はきっと教師を皆尊敬していたはずだ。ショックは大きいだろうが、年長者であり肝の据わっている彼にまず伝えるのが良いと思った。
「そして私は、この周辺にもう一体の化け物がいることを悟った」
鞄の中から、空になった球体の瓶を取り出して彼に見せる。僅かに藍色の液体が底に残っていて、使用済みだということも伝わっただろうか。
そして、私に合わない形式の索敵魔術の使用と、魔術回路がショートした事。この薬品によって焼き切れた回路の修復中は魔術が全くもって使えなくなってしまうことを説明した。
「あの大怪我を塞ぐような治療道具も基本的には持ち歩いていなかったの」
応急処置や止血くらいなら魔術で全て出来ると考えていた私の過信だったと続ける。
この城下町を普段から出入りしている白魔術師自体数が少なく、帝国白魔術師を除けばエリオミーグの村に数人。しかも今日城下町まで出ているのは私一人だった。
他に白魔術をまともに扱える血族は地方に散らばっており、定期的に行われる帝国魔術師の試験の時にしか集わない。
この学校は走っても城門までですら四半刻弱かかる。そこから場内にいる白魔術師に状況が伝わり、ここに戻るまでに半刻以上はかかるため、結局は間に合わない。
「どうしたって、間に合わなかった」
私が無駄な魔力さえ使わなければ、と私は自身を責めるように呟く。
ライアはきっと、エノーラの事について深く話すようなことはしないだろう。きっと彼女さえも、エノーラの死が自身の過失だと思っている。
悔しいことに、僅かながら自分の身体に魔力が沸き立つのを感じた。
半刻もしないうちに取り戻せる程度の魔術回路のショート。他の薬を飲んで無理をすれば、エノーラは救えたかもしれないと思うと、悔しさで震えた。
教室に戻るまでの短い間、ウォルクは一言も喋らず私の後ろを歩いた。
そうだ。エノーラが救えたかどうかは彼が介入すべき問題ではない。彼とエノーラも歳は近そうだ。多少なり会話はしたかもしれないが、今日会ったばかりの仲だろう。私達の事情など知る由もない。
教室に入ると、子供達は皆教室を出た時と同様に私達に注目していた。
何があったのか、何を話してきたのか、皆それが気になるようだった。
私はウォルクに先を歩くように促し、その後の事――――彼にとって『仲間』である子供達の事を任せることにした。
彼は冷静だった。まずここに居れば安全だということを子供達に伝えた。単純といえば単純かもしれないが、子供の純真さに救われたと言ってもいいだろう。
事情を説明せずとも、ウォルクを信じている子供達は、彼の言葉を疑わなかった。
それはテリアという少女も同様であった。彼が教室の中心へ歩いて行くと同時に静かに歩み寄る姿は、状況を考えなければ微笑ましいとさえ思ったことだろう。
体内にはっきりと魔力を感じる。
治癒の魔術で失われた血液が戻らないのと同じように、魔力が戻っているとはいえ最低限の行動が出来る程度のものであった。
食いしばった歯が潰れて平たくなってしまうのではないかと思うほどに、自身への失望が抑えきれなかった。
「――あの……」
私の様子をウォルクの側でじっと見ていた少女が、ついに話しかけてきた。
「あなたは……テリア、だったわね」
力なく彼女の方を向き、互いにゆっくり歩み寄った。
彼女の翡翠色の瞳が、私をまっすぐに見詰める。彼女はどう話し始めようかと逡巡してから、口を開いた。
「……私、まだ出会って間もないけれど、ライアさんだけじゃなくて、エノーラさんにもとてもよくしてもらったんです」
化け物の恐怖に怯えている時、一番冷静だったのは彼女だったそうだ。怯える子供達ひとりひとりに話しかけ、ライアがいるから大丈夫だと、きっと助けてくれると説いて回ったという。
ライアが信用を勝ち取ったのは、エノーラの言葉があってこそだったと、彼女の話でよくわかった。
「もうエノーラさんは死んでしまった。それは変えられないけれど」
彼女は胸に手を当てて更に一歩私に近付いた。
「せめて、綺麗な姿で弔ってあげたいんです」
エノーラを見やる。表情こそ穏やかだが、その腹部の傷はとても痛々しかった。
幸い、と言えばいいだろうか。
――――いや、皮肉にも、と表現すべきだろう。
『修復』の魔術は、魔術回路がショートしてから今までの、四半刻と少しで回復できる魔力量で十分に足りるくらい消費が少ない。
エノーラを『モノ』として扱うのは耐え難く悔しいことであったが、きっとエノーラも、愛する人の前では、可愛く、綺麗な姿で在りたいと願うだろうことが痛いほどわかった。
「テリア。あなたの言うとおりね」
私は床に眠るエノーラに歩み寄り、跨がないように回りこんで彼女の左側に腰を下ろす。
魔道書を鞄から取り出し、修復の術式が綴られたページを開く。
ページに手を当てる。略式でも十分な修復量ではあったが、私は『修復の魔術』という悔しさを振り払い、せめてもの敬意を込めて、本式の呪文を唱える。
周りは皆、静かだった。ひとりひとりの息遣い。教室の外でそよ風に揺られる植物のざわめき。
そのひとつひとつの音をひしひしと感じながら、やがて呪文の詠唱は終わる。
魔道書のページを、エノーラの腹部の傷に向ける。
淡い光を放ちながら、修復はゆっくりと行われた。
どれくらいの時間が経っただろうか、なんて陳腐な言葉は必要ない。きっと、ほんの僅かな時間だっただろう。やがて修復は終わる。
治癒では取り戻すことの出来ない血液を、修復の魔術はまるで巻き戻すかのようにエノーラの身体の中に収めた。もう体内を巡ることはない彼女の血だが、それでも大切な身体の一部だったため、私はその光景を見て少し安心した。
鞄から商売をする際に使っていた敷き布を取り出して床に広げ、エノーラをその上に寝かせる。
硬い床に寝かせるよりいいだろうと思った。魔術は彼女をモノとしてしか認識しないけれど、私達にとっては違うのだ。
「……ありがとう、リオンさん」
テリアが、小さな声で私に言った。そして、瞬きと同時に零れ落ちた涙を拭ってから、エノーラに歩み寄って彼女の手を握る。
それを見て、周りの子供達もエノーラに歩み寄り、静かに泣いた。
涙こそ流していなかったものの、ウォルクも例外ではない。
心からの感謝の気持ちを胸に、エノーラを弔っていた。




