014 Rion 「無力」
今の悲鳴は多分子供達のもの。私は彼らに直に顔を合わせたわけではないが、ライアの話と照らし合わせれば間違いないことがわかる。
私はライアのいる教室に向かって駆け出した。私の索敵魔術では教室のすぐ外に反応があった。たった今窓から何かが侵入したのだろう。早く向かわなければならない。
しかし――――
「あっ……!」
私はそのまま勢い良く前に倒れた。前に出したはずの脚が、動いていなかったのだ。
全身の感覚が鈍い。転んだはずなのに身体の痛みが少ない。ロンググローブから僅かに血が滲んでいるが、痛みは少ない。
私の身体に合わないタイプの魔術。しかも消費の大きい高等術式。相性の良い魔術師と比較すると十倍の魔力消費で一割にも満たない効果範囲。
白魔術用に作られた体内の魔術回路に無理やり召喚士が得意とする支援系魔術をねじ込んだのだ。体内に自分とは別種の血液を注入するようなもの。
簡易術式の魔術であればまだ耐えられるが、高等術式なら魔力の消費量を間違えれば魔術回路のショートは必至。
たかが小さな学校一つの範囲だと思って油断していた。自身の魔力容量と魔術回路の作りならばと思っていたが、それは健康的な状態ならばの話であった。
実演販売で使用した魔術。魔力消費こそ多くなかったものの流れた血液は想定より多かった。
ライアを治療する際に使った魔術。抉られた肩の傷や他の切り傷、擦り傷での大量消費は無かった。
しかし、彼女の腕の灼けたような痕。原因はまだはっきりしていないが呪詛の類の可能性が高い。
呪詛の種類が判断できなかったため解呪を行わず無理やり治療した。その時に消費した魔力が私の想定より多かったのだ。
許容範囲を越えた。魔術回路が壊れて魔力が漏れているのも自覚できる。
私は朦朧とする意識の中で鞄の中を探り、目当ての物を探す。
魔力を即時回復するような都合の良いものはこの世に存在しない。代わりにエリオミーグの村長に常に持ち歩けと言われた緊急の薬がある。
私はその瓶を手探りで見つけた。わかりやすいようにこの瓶だけ球体の形状をした特殊なものに入れていた。
起き上がる力が入らないため、腕の勢いで仰向けになり、瓶のコルクを歯で抜いてそのまま飲み干した。
世にも珍しい藍色の飲み薬。エリオミーグにのみ伝わる一子相伝の薬品。私はまだ作り方を教わっていない。私が一人前の魔術師となれた時にその手法を学ばせてくれると約束してくれた。
開ききった魔術回路の一時的な完全閉鎖。焼き切れた魔術回路の応急処置の為の薬。
即ちその間魔術が全く使えなくなることを意味する。
同時に体内の細胞を一時的に活性化させ、魔術回路のショートによって連鎖的にダメージを受け弱った古い細胞を破壊し高速で新しい細胞に上書きする。故にこれを飲むと数十秒の間身体が煮え滾るような感覚に襲われる。
「がっ……!」
身悶えるような体力さえ残ってはいなかったが、朦朧とする意識を一瞬で覚醒させんばかりに全身が沸き立ち痙攣する。
死ぬような経験をしたことは無いが、間違いなく死ぬよりも苦しい地獄を味わっていると断言できるほどの感覚。
聴覚、痛覚、嗅覚、味覚、視覚。五感全てが敏感になり、鈍感になりが不規則に繰り返される。
涙さえ蒸発するような感覚に私は耐えた。
やがて最後に視界のホワイトアウトを感じて煮え滾るような感覚は一気に冷めた。
余韻で十秒程度動けなかった。
寿命が減るような感覚だった。いや、細胞を活性化させているのだ。間違いなく寿命は減っているだろう。
私はひりひりと痛む腕に安心しながら立ち上がった。
身体はしっかりと動く。魔力の漏れはない。しかし、同時に自分の身体の中に魔力を感じることが出来なかった。
この状態の継続時間は魔術回路の損傷具合によって変化するらしい。損傷が少ないと数分程度で回復するそうだ。
しかし、放置すると死ぬような損傷で生命を保護している魔力さえも漏れ出してしまっている状態の場合、半年ほど使えなくなったケースもあるらしい。
私自身この薬を使ったのも魔術回路が損傷したのも初めてだったため、どのくらいで魔術回路が修復されて開放されるのか判断が付かない。
しかし、間違いなく身体は動くようになった。残念ながら鞄の中にインスタントは残っていない。自家調合の薬品のみだ。
一部は魔力が込められているが、それも薬の効果を増強する程度に過ぎない。心許ないが私はライアと子供達のいる教室に走った。
教室に近付くと、中の様子が分かった。
入り口付近には大きな蜂のような身体の死骸。ただし、その背中から生えているのは四枚の烏の翼。頭は跳ね飛んでいるようで、扉の前に転がっていた。
その向こうに、背を向けてしゃがんでいるライアとそれを遠巻きに見る子供達が見えた。
「ライア……? 何があったの……?」
巨大な蜂の死骸を跨いでライアの数歩手前まで歩み寄る。
振り向いた彼女の左腕の中に、ライアと似た髪色をした少女が抱かれていた。会ったことは無かったが、私は彼女がライアの話題によく出てくるエノーラという少女だとすぐにわかった。
「……リオン……どうしよう……。血が……止まらない……」
ライアの右手には、私が彼女の小物入れに忍ばせた治癒魔法を刷り込んだ羊皮紙が握られていた。周りに五枚ほど使用済みの同じものが散らばっている。
「リオンが入れてくれた……このインスタント……。全然、エノーラの傷……治らないんだ……」
私はこんなに動揺しているライアを見たことが無かった。彼女の父が亡くなった時でさえ、まるで最初から覚悟をしていたかのように簡単に受け入れていた彼女が、今にも涙を流しそうな瞳で、身体を震わせて私を見詰めている。
エノーラを見やる。腹部に二つの刺し傷。出血の仕方から見るに背中から貫通したものだろう。エノーラとライアのいる場所には血溜まりが出来ていた。
「ねえ、どうして治らないの……? このくらいの傷なら……止血だけは出来るはずなのに……」
そう言ってエノーラの腹部に何度も何度も私のインスタントを押し当てて発動させる。
……しかし、淡い光が灯るだけで治癒どころか一向に止血できる気配もなかった。
この傷では包帯程度では止血出来ない。何か詰め物をしても中の傷が膿んで腐る。手元に縫合のための道具なんて無い。治療の方法は魔術しかなかった。
「リオン……治してよ……エノーラを助けて……!」
私は俯く。魔術を使えないこの状態を今の精神状態のライアに説明できる自信がない。私はただ、歯を食いしばってごめんなさいと言うしか無かった。
誰に対しての謝罪だろうか。傷を負ったエノーラへの? 目の前で必死に彼女を救おうとしているライアへの?
私自身もどうすればいいのか分からず、ただただライアが私に話しかける度にごめんなさいと言い続ける事しか出来なかった。
その言葉と同時に、エノーラが呻き声を上げる。痛みで気を失っていたようだが、今意識が戻ったようだ。
「あ、れ……ライアさん……?」
ライアの腕に抱かれたまま、エノーラはライアを見詰める。
そして、自分の腹部の鈍痛を確認するかのように傷口に触れて、現状の把握をした。
「エノーラ! 今なんとかするから……今、なんとかするから……!」
そう言いながら、ただ治癒のインスタントをひたすらに使い続けた。
「駄目だよ……ライアさん……無駄遣いしちゃ……」
エノーラは微笑みながらライアに語りかける。
「無駄遣いなんかじゃない! これはエノーラを助けるために必要なんだから!」
叫ぶライア。その声と同時に、エノーラの頬に彼女の涙が零れ落ちた。
エノーラは理解している。治癒の魔術程度じゃ自分の傷は治らないことを。
魔術を受けた人間はその魔術を感じ取る事が出来る。魔術の素質の有無に関係なく、それはクセのある感覚だ。
きっとエノーラには、魔術を施されどその感覚を感じる事が出来ないのだろう。
呪詛を刻み込まれた傷口が、インスタントの貧弱な魔力量を拒絶している。
やがてインスタントを使い切る。もう術は無く、ライアの右手はエノーラの腹部を押さえる。
止まって、止まってというライアの願いの呟きに反して、背中からの出血は止まらない。
「ライアさん、こっち向いて……?」
エノーラはライアの頬に触れて自分の方へ視線を促す。
ライアは呼吸さえ荒いものの、彼女の声を聞いて、微笑む顔を見て少し落ち着いていた。
「私、ライアさんに今まで我儘ばっかり言ってきたけど、あとひとつだけ、聞いて欲しいわがままがあるんだ……」
力なく動く口から、エノーラが儚く優しい声でライアに語りかける。
「あとひとつだなんて……言わないで……いくらでも聞くから……」
ライアは歯を食いしばって涙を流している。その声は既に震えていた。
「でも、私がライアさんにいままで言えなかった、いちばんの我儘なんだよ……?」
だからこれだけは、聞いて欲しいの。そう彼女は続け、ライアを落ち着かせた。
もう理解している。ライアだって、エノーラが助からない事は理解していた。
だからこそ、涙を流すその顔で、静かに微笑んで尋ねる。
「何……? 言ってみせて?」
その返事にエノーラは嬉しそうに笑い、更にもう一つの手でライアの頬に触れる。ライアの両頬に触れた状態のエノーラは、頭を近付けてと促すように、ライアの顔をか細い力で引いた。
「私ね、ずっと言えなかったことがあるの……」
傷の痛みはもう殆ど感じられないのだろう。出血の速度から見ても、あと僅かで致死量に達するとわかってしまう。
「ライアさんは、私の事妹みたいに思ってくれていたと思う……」
エノーラの一つ一つの言葉に静かに返事をするライア。
「でもね、私は、ライアさんの事、ほんとにほんとに大好きだったんだから」
エノーラの瞳から大粒の涙が零れた。
「ほんとにほんとに、こんなお姉さんがほしいなとか、お友達として、とかじゃなくて」
ライアはエノーラの言葉をひとつも逃すまいと、エノーラを見詰める。
「世界で一番、大好きだった。女の子同士だし、私もよくわからなかった」
けど、とエノーラは続ける。なんとなく、そこから彼女の声が大きくなったような気がした。
「私は、初めて恋をした相手が……ライアさんで、一番愛した人が……ライアさんだった」
気持ちは遠くてもいい。嘘でもいい。だから――――
「だから、私の、唇を奪ってほしいな……」
エノーラはそう言って、ライアの頬から手を離した。
目を瞑って、じっと待っている。
「エノーラ……」
ライアはエノーラの頬に触れて、親指で優しく撫でる。
そして、その口に、自らの唇を優しく重ねた。
暫く。私自身もただ呆然と見ることしか出来ずどれくらいの時間が経過したかわからないが、ライアが顔を上げた。
「ほら、エノーラ。ちゃんと唇、奪ったからね……?」
だからもう目を開けてもいいよ。ライアはそう続けるが、エノーラは目を開けない。
エノーラの名前を呼び、彼女を優しく揺さぶる。しかし、それでも彼女が反応を示すことがなかった。
誰が見ても明らか。動かない横隔膜、力なくだらんと垂れた両腕。その表情はとても穏やかだったが……そのまま彼女は息を引き取った。
ライアは彼女を抱き起こし、その亡骸を強く抱きしめた。
エノーラと最後の温もりを共有するように。
エノーラの最後の温もりを忘れないように。
そして暫く、静かに涙を流した。
私も、そして周りにいる少年や少女達も、ただその光景を静かに見守っていた。
その時間は、一生分の時間に思えて、それでいて過ぎ去るとあっという間の時間だった。
ライアが静かにエノーラを横に寝かせ、もう一度、今度は頬にキスをして立ち上がる。
「リオン、こいつら、まだいるはずだよね。もう城下町に入ってきたかな」
振り向かぬまま、彼女は私に話しかけた。
突然話しかけられた動揺と、何も出来なかった罪悪感でいっぱいいっぱいだった私は、少々返事が遅れた。
「……え、っと。……そうね。私が気配を感じた時は町の外に三体くらいいたと思うわ」
今は気配が消えてしまっているけれど、と付け足した。
そう告げると、ライアは黒い刀を拾い上げて振り向く。
気配が消えたのは、校庭に転がっていた獣のような死骸をライアが倒した時と同時だ。恐らく一体の死亡がトリガーになっており何らかの術式が発動したのだろう。
支援系の魔術が放つクセのある感覚を消すのはさらに膨大な魔力を必要とするが、あれ以降魔術的な気配は失せているためその線が濃厚。
どんな方法かはわからないが、単独では無理がある消費量。複数人による作戦、もしくは私達が未だ知らない異形による襲撃の可能性もある。
ライアが私の横を通り過ぎて教室を出た。
「エノーラと……みんなをお願い」
その一言だけを言い残して。
私は後を追うことはおろか、振り返ることすら出来なかった。
ライアの足音が遠くなる。その音が聞こえなくなった後、私はその場に座り込んだ。
索敵の魔術を使おうが使うまいが結局間に合わなかった。
先にライアと合流すべきだったのだ。しかも魔術回路は一時的に閉じ、エノーラの応急処置すら出来なかったのだ。
後悔先に立たず。そんな事はわかっていても、私は後悔の連鎖を断つ事が出来なかった。
私は祈るように両手を重ね、エノーラの死を弔った。
『あの時私が何を考えていたかなんて、今でも絶対にあなたには言えない。それを言ったらきっと、あなたに軽蔑されてしまうから。』




