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013 Lia 「油断」

 リオンに背を向け、私は子供達の居る教室へと歩き出した。

 失われた血液に疲弊が上乗せされたこの身体。自分の足音が不規則に響いて居るのを聴き、ようやく私は自分自身が相当体力を消耗している事に気が付いた。

 リオンに傷を塞いで貰ったが、彼女の言う通り血液が増えるわけではないのだ。

 意識ははっきりしているが、自分の疲弊にすら気付けないほど、私は自分を気に掛けることが出来ていなかった。


 教室まではそんなに遠いわけでもない。暫く、という言葉すら烏滸がましくなる程度の時間で、私は皆が居る教室の引き戸の前まで辿り着いた。

 指先の感覚が鈍い。自分の手を見ると僅かに震えているのを感じた。

 頭では動けるつもりでも身体が私に限界を告げていた。

 右手で教室の引き戸を開ける。学校の教室らしいガラガラとした良い音だったが、私にはその音が曇って聞こえた。


「――――ライアさんっ!」


 私が教室に一歩踏み込むと同時に、エノーラが駆け寄ってきた。

 安堵と心配の入り混じった声が私の耳に届くと同時に、平衡感覚を失ってふらつく。

 左手に握っていた小烏丸は手の中からするりと抜け床に落ちて後方に倒れ、私は逆に前方に身体が傾いた――――。



 ――――気が付くと、私はエノーラの膝の上に頭を乗せて横になっていた。

 私を心配する声が聞こえる。エノーラ。ウォルク。テリア。それに他の皆も。

 視線を動かすと、窓際に座るエノーラと横になっている私を囲うように子供達が座っていた。


「ライアさん……? 大丈夫?」


 私の顔を見下ろすエノーラが今にも泣きそうな顔で私を見つめていた。

 私は右手を彼女の頬まで伸ばし、笑顔を見せてから触れて見せた。

 エノーラは、その手に触れて、数滴の涙を私の顔に零した。


 私は扉を開けて部屋に入った途端、気を失って倒れたらしい。

 記憶が途切れていて感覚はよくわからないが、私が気絶していたのはほんの数秒程度だそうだ。きっと子供達を見て緊張の糸が完全に解けたのだろう。

 私は身体を起こしてありがとうと言いながらエノーラの頭を優しく撫でた。

我慢が出来なくなったのか、彼女はそれをトリガーに私に抱きついた。

 こらこら、疲れているんだからと言いながら、私は同じように彼女の腰に手を回して彼女に温もりをもらった。

 嬉しそうに儚い笑顔と照れを見せる彼女のその姿は、とても印象的だった。

 エノーラを抱きしめた視線の先に、ウォルクとテリアが見えた。

 ウォルクは他の皆と違い少しだけ距離を置いて立ったまま私を見つめていた。

 テリアはそこに寄り添うように彼の腕を抱いて私を見ていた。


「……たった一人は、しっかりと守れているみたいだね」


 小さな声しか出なかったが、静かな教室の中ではしっかりと私の声が響いていた。

 テリアは私のその言葉を聞いてばっとウォルクの腕から手を離して朱に染まった顔を伏せる。

 ウォルクは表情を変えなかったが、当然だと言わんばかりに私を見つめ、テリアの腕を掴んでもう一度引き寄せた。

 私の個人的なお願いも、半分くらいは叶えてくれたのかな、となんとなく嬉しくなった。

 私は立ち上がる。一瞬気を失っただけであったが、その一瞬の意識の途切れで脳が休憩と判断したらしく、疲弊していることに代わりはないが幾分身体が軽くなっていた。

 私に続いて心配そうに立ち上がるエノーラであったが、私の視線が気を失う前よりはっきりしている事に気が付いたようで、彼女はそれ以上身体に対しての心配は何も言わなかった。


 教室のカーテンは未だ閉めきったまま。

 私が撃破した化け物の死骸が転がっている筈なので、カーテンは開けないほうが良いだろうと判断し皆にカーテンはそのままにと指示をした。

 子供達がひとりまたひとりと立ち上がる中、私は手から落とした小烏丸を拾い上げる為にゆっくりとしゃがむ。


 そして、その黒い刀を手にした瞬間――――。


 ドス、という鈍い音。それに入り混じったぴたぴたとした液体らしい音。

――――同時に僅かに肉が灼けるような、熔けるような音。


 そんな音が、静かな教室に響いた。

 私は音と同時にしゃがんだ体勢のまま顔を上げて、その光景を見た。


 ――――窓に背を向けて立っていたエノーラの腹部が、窓からカーテンを突き抜けて伸びる二本の細長い棘のようなもので、貫かれていた。


「……え?」


 まずエノーラが、自らの腹部を見てその状態を見た。理解が追いつかないようで、ただ目を見開いてその棘の先端から滴る血液を見つめていた。

 そしてその二本の棘は数秒で引きぬかれ、カーテンの、窓の向こうへ消えていった。

 エノーラは、自らの腹部を押さえて膝から崩れ落ちた。

 それと同時に、その光景の意味を理解した周りの子供達がぞっとした表情に変わる。

 ただ恐怖に怯え失禁する子供。

 理解が出来ず立ち尽くす子供。

 窓から逃げるように教室の反対側に這って逃げる子供。

 誰も悲鳴を上げさえしないものの個々に凄まじい恐怖を感じていた。

 ウォルクはテリアにこれ以上この光景を見せぬようその場でただテリアを抱きしめている。

 そんな教室の様子を見て、疲弊した私はやっと事態の恐ろしさに気が付いた。


「エノーラ!」


 私は彼女の名前を呼んで抱き起こそうとするが、身体を動かそうとすると彼女が激痛に呻き、どうすればいいのかわからない。

 私は逡巡の後、エノーラを襲った二本の棘の正体を確認することに決める。彼女を救う突破口があるかもしれない。


 カーテンを引き千切らん勢いで開ける。

 エノーラが立っていたあたりの窓が、丸く熔けていた。

 まるで沸騰しているかのように僅かにぷつぷつと音を立て、まだその穴は少しずつ拡がり続けていた。

 その向こうに、赤黒い色をした何か。

 六本の脚。頭に付いている複眼と触覚。大きな腹の先から平行に伸びている二本の長い棘。その姿は、背中から生えている四枚の烏の翼と赤黒い色の身体、全身から生えている毛を除けば、人間の子供と同じくらいはあろう巨大な蜂そのものであった。


 ……気付くべきだった。奴らは鉄をも熔かす体液を持っているのだ。気付かれないように窓を少しずつ熔かして奇襲をかけることだって容易なのだろう。

 烏の翼をはためかせながら窓の向こうで私を見据えている。

 次攻撃を仕掛けるとすれば、私を狙ってくるはず。子供達は殆どが窓から距離を置いて離れているからだ。

 教室の出入り口付近は窓の向こうの巨大な蜂に最も近い場所であるため、幸いにも教室から出るような子供は居なかった。

 巨大な蜂は体勢を変えて頭から教室に向かって突進してくる。私の少し上、窓を突き破って教室に進入するつもりだろうか。

 窓ガラスが割れる大きな音と同時に、子供達は今度こそ喉が壊れかねない悲鳴を一斉に上げる。

教室は混沌に包まれた。

 しかし、私は冷静だった。巨大な蜂の腹の先から生える二本の棘のうちの一本を、飛び上がって右手で掴んだ。上空に居る状態で斬りつけたら、その体液は倒れているエノーラに降り掛かる。それだけは避けたかった。

 肉が灼けるような、熔けるような音と同時に右手の平に激痛が走る。

 棘全体から体液が滲み出ているようだった。私はそれを奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばって耐えた。

 そして、私の体重によって飛ぶ力と推進力を失った蜂は落下を始める。

 その勢いを利用してエノーラの居る位置とは反対側、即ち出入り口の方向へ振りかぶって思い切り叩き付けた。

 烏の羽根が舞う。私は両足で蜂の烏の翼を踏み付け、飛べないように押さえつける。

 左手に持った小烏丸をそいつの首元で構え、横薙ぎでその首を跳ね飛ばした。虫の形をしてはいてもその身体の中枢を司るのは頭。やがて命令中枢を失った巨大な蜂の身体はその六本の脚や腹をばたつかせ、藻掻き、最後に何度かビクビクと痙攣してから絶命する。

 一瞬の出来事。

 きっと客観目線で見ていたら、私自身も何が起きていたのか理解できなかっただろう。それほどまでに、先程まで悲鳴を上げていた子供達は、唖然として私と足元に転がる頭を失った死骸を見ていた。

 私自身も、こんな身体の動かし方が出来たのが信じられなかった。

 身体は疲弊しており、血液も足りないはずだ。力を振り絞っていたからといって、普段以上のポテンシャルが引き出されるのは、どう考えても在り得なかった。


「エノーラ!」


 私はこの状態ですべきではない思考をすぐ振り払ってエノーラに駆け寄る。体液が掛かっているという様子はなさそうだ。

 ただ、その腹部からは絶えず血液が流れ続けていた。

 どうすればいい。私に治療の手段はない。とにかく止血だけはしないと。

 方法を頭の中で巡らせ、すぐに先ほどの戦闘でウォルクに施した治療を思い出して小物入れをひっくり返した。


――――リオンがこっそり忍ばせてくれた、治療の魔法を仕込んだ羊皮紙。即ちインスタントが数枚、顔を見せた。


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