012 Rion 「怖気」
気色悪い気配の動きが止まった。
先程まで凄まじい速度を見せていた、いや、感じさせていたと表現したほうが正しいだろうか。その気配は、急に移動を止めたのだ。
目的地に到着したのか、もしくは何か邪魔立てが入ったのか。その真意はわからないが、今のうちに近付いてその姿を視認し、状況の対処に当たらなければならない。
もちろん私にそんな義務はない。ただ、感じてしまった怖気を放置したまま逃げるのは、私の中の理が許さなかった。
ライアも今何処で何をしているのかわからないのだ。
たとえ歯が立たず逃げるとしても、彼女と合流した後。それ以前は有り得ない。
私は貧弱な体力を振り絞って気配の元に急ぐ。
近い反応は二つだ。先程動きを止めたものと、その動きを止めた気配を追うようにゆっくりと飛行する気配。他の気配はまだまだ遠く、大雑把な方向しか把握できないため無視だ。
走り続け、呼吸をするたびに喉が笛のようにひゅーひゅーと鳴り出した頃、ようやくその場所に辿り着いた。
元々騎士の養成学校だった場所。
今は通常通りの学校として機能し、名残として戦闘訓練の授業が盛り込まれていると聞いた。
ここにあの"気配"は一体何の用事があるのだろうか。
門は開け放たれているが、裏門側のため校舎や校庭の様子が全くわからない。ただドス黒い吐き気を催す気配だけは、校舎の向こうで存在感を示していた。
――――刹那。
忽然と気配が消えた。
少しずつ尻すぼみに消滅するならわからないことはないが、転移の魔術、もしくは隠密の魔術を使わなければ気配が突然消えることは本来あり得ない。
しかし、どちらも発動すれば支援魔術特有のクセのある感覚を周りに放つためすぐ気付く。それが無いということは、どういう事だ。
少し息を整えてから、ゆっくりと門をくぐり、右に曲がって校庭の見える表の方向へ向かう。
先程までの眩しい陽の光を冷たくする曇天が、私の不安感を更に駆り立てる。
心拍数が上がっていくのがわかる。額から汗が一滴流れ、自分自身の緊張に気付かせられる。
その緊張を押し殺して息を止め、校舎の影から校庭を覗き込んだ。
「――――ッ!」
驚愕した。無意識ではあったが目をこれまでになく見開いていたと思う。
一つの得体の知れない肉塊が地面に突っ伏し、そこから伸びる昆虫の脚のようなものから蝙蝠の羽のようなもの、様々な生物の一部が蠢いていた。
肉を切り裂く音が、骨を砕く音が、まるで耳元で響いているかのような怖気を感じた。
「ライア……何、してるの……?」
彼女に語りかけた声だったのか、私の独り言だったのかはわからない。
ただ、彼女に私の声は届いていなかった。後ろ姿しか見えない彼女が、何を考え、どんな表情をしているのかわからなかった。
ようやく蠢くものが全て動かなくなった時、ライアはバランスを崩すように何歩か後ろによろめき尻餅をつく。
そこで初めて、彼女の横顔が見えた。怯えたような表情とも違う。勝利を喜ぶ顔でもない。
息は上がっているが、何が起きていたのかわからない、そんな表情だ。
そして彼女は、その理解不能な気持ち悪さを身体から追い出すかのように嘔吐した。
「ライアッ!」
その瞬間にはっとなって私は彼女の元へ駆ける。
「あ……リオン……」
私の声に気付いて顔を向け、疲れきった表情で私を見た。
彼女の肩を抱く。よく見ると服が何箇所もまるで熔けたかのようにボロボロになっており、肩には抉られたような傷、腕は服と同じような方法で熔かされたような火傷にも近い痕。
今治すから、そう言って私は魔道書を取り出して治癒を始める。
ライアの身体が少し冷たい。肩に負ったこの傷の状態で動きまわったのだろうか、相当体内の血液が減っている。こればかりは治癒ではどうしようもない。
私はまず止血の為の魔術を全身に施し、次に肉体修復の魔術をかける。慎重に行なわないと傷跡が残り、場合によっては後遺症が出る可能性もあるため、焦らず慎重に行う。
視界の端に得体の知れない物体が見えてはいたが、私はそれをあえて無視して治療を続ける。
傷が深い分、治癒のための魔術を施されるとなかなか痛い。ライアは歯を食いしばって我慢しているが、時々その痛みに耐え切れず呻き声が漏れていた。
魔術による治療が終わった後、失った血液を補うため鞄の中に僅かに残っていた売り物の薬をライアに飲ませた。
水を飲ませるペースに失敗して彼女は若干むせてしまっていたが、なんとか飲ませることができた。
暫く、多分本当にごく僅かな時間だけ大人しかったが、ライアはその血液の足りない身体で私の静止も聞き入れずふらふらと立ち上がり、校舎の中へ向かっていった。
得体の知れないものとの戦闘。それなのに教師たちが出てこない。教室の中の様子はカーテンが閉まっていてわからないが、カーテンの隙間から外の様子を覗く人影が何度か見えた。
予想するに、ライアは何らかの仕事の関係でこの学校に訪れていて、視界の端に映る"これ"との戦闘になったために子供達を避難させた、ということだろう。
「みんなのところに、行かなきゃ……」
まっすぐ歩けてはいるが、疲弊の見える後ろ姿。その状態でいつも持ち歩いている黒い刀を拾い上げ、校舎の玄関へと向かう。
こうなってしまっては言っても聞かない。彼女が満足するまで傍にいよう。
ねぇ、リオン。と振り向かないまま私に話しかけた。
「これだけの騒ぎになって、ここの先生が一人も様子を見に来ないなんておかしいと思うんだ」
クラスも一つしか無いし、つきっきりと変わらない。と続ける。
校舎の中は思ったよりも静かだった。子供達はきっと恐怖からおとなしくしているのだろう。ライアによると入って左側に子供達の教室、右側の一番奥に教員室があるそうで、その距離も大したことはない。ばたばたと子供達が一斉に教室に入るようなことがあれば気付かないはずがないのだ。
「子供達が気になる。リオンは教員室の様子を見てきてくれないかな」
余裕の無さそうな表情で子供達のいる教室の扉を見るライア。
血が足りないせいか先程からずっと荒い息が続いている。
「ライア……お願いだから、これ以上無理はしないで頂戴」
私はそう言いつつ、教員室の方へと足を向けた。
たった一人を守れればいい。それがライアの口癖だったのだけれど、今のライアは全てを救おうとしていた。
私は一度も振り返ることなく、早足で教員室へ向かう。
教員室までは大した距離は無い。
校舎自体が狭いため、少し声を張れば子供達のいる教室までその声は響くだろう。しかし、それは逆も然りということだ。
私は教員室の扉の前に立つ。この校舎は木造だ。
私の履いているブーツの足音でさえ、廊下全体に響いている。
それなのに、教員室からは物音一つしなかった。ライアの言う通り、明らかに異常。
私は教員室の引き扉に手を掛ける。取っ手の部分だけ金属で作られたこの扉は、触れるとひんやり冷たかった。
そのまま横に引くと、少々油の足りない嫌な音を立てながらゆっくりと開いていく。
拳一つ分ほどの隙間が出来た時、はっとした。
生暖かい空気。嗅いだことのある不快な鉄の臭い。
――――そして、生臭い肉の臭い。
私はそんな拒絶したくなる不快感を振り払って勢い良く扉を開けた。
「――――ッ!」
その光景に、思わず口元を押さえた。
開け放たれた正面の窓。そこから入る風で真っ赤に染まったカーテンが揺れていた。
視線を落とす。床やデスクが、全て真っ赤な血で染まっていた。デスクから床へ滴り落ちる鮮血が、一定のリズムでぴたぴたと気色の悪い音を奏でていた。
部屋の端には、原型すら予測できない、肉と骨と布の塊。身体を分断され、上半身しか残されていない体。
椅子に座っている男性と思われる肉付きの良い体は、既に首から上が失われていた。
恐ろしい惨状であった。わけも分からず吐き気を催す。身体の震えが少しずつ大きくなる。
これは人間の仕業ではない。私はすぐに校庭にいたあの正体不明の”モノ”を連想した。
そして、はっとなった。気が動転していたせいで、奴らの気配を追えなくなっていたのだ。
このままじゃまずい。私は意識を集中させる。もう周り一体が、奴らの気配に満たされていて正確な場所が把握できない。木を隠すなら森ということなのだろうか。
この学校は既に、その『森』と化していた。
近くの反応はひとつ。気配が霞んでいてわかりにくいが、この惨状を作り上げた主だろう。
私は更に意識を研ぎ澄ませた。まだ近くにいたら、一刻も早くその場所を把握しなければならない。
私は魔道書を開いて、詠唱を始める。
魔力の温存を考えて被害が拡大したら元も子もない。
私が唱えたのは、索敵の魔術。召喚士が得意とする支援系の魔術だ。
黒魔術程ではないが、私の体質にあまり合わない支援系の魔術。
ただでさえ魔力消費の多い索敵魔術を無理して展開する事になる。
魔力の消費が激しい。胃からせり上がる感覚をぐっと堪え、私は索敵範囲を少しずつ拡大した。
やがて校舎を包み込むほどに広がった魔術は、ひとつの「異物」を捉えた。
瞬間、怖気が走った。
索敵に成功した場所。それは間違いなく、子供達の居る教室のすぐ側だった。
「――――ライアッ」
私は身を翻して走りだす。
――――同時に、教室から幾つもの悲鳴が上がった。




