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03 奇跡の代価。




 【ラクムルナ】の魔人は、簡単に言えば吸血鬼や狼人達のことだ。人間に姿が似て、同じ言葉を話すモンスター。彼らをひとまとめに【魔人】と呼ぶ。

 案内人だった猫人間のチェシャも、分類するなら【魔人】だけれど、猫人間は昔から温厚で人間と交友を深めてきた一族だから敵とは認知されない。

 一方、魔物は人間と言葉を交わさない。襲うだけ。

 魔人と魔物が手を組んで人間と戦うことはない。魔人は魔人だけでつるむらしい。

 【月の王】は、吸血鬼だ。魔人の頂点に立つ最強。


「……お前、名前は?」

「あ、ルベナです!」


 そんな最強様に抱き付いてしまった私は、放してから名乗る。


「ルベナ」


 レックスは私の名を口にすると、私の右手を取った。それからなんと、私の足元に傅く。

 麗しい月の王様がっ、私に傅いている! 皆さん! 麗しい月の王様が傅いています! 皆さん!! イケメン様が傅いていますよ!!

 あまりにも美しい動作に、心臓がバクバクと暴れてしまう。

 すると、握られた手の甲に彼の美しい唇が重ねられた。手に、キス。

 ドクン、と心臓が大きく跳ねた気がする。


「お前に仕えよう。ルベナ」


 誓うような言葉が、その手に吹きかけられて、そこからジュッと熱が広がっていくのを感じた。


「今日はどんなモンスターと戦う気だ? クエストか?」

「えっ? あっ、えっと……戦うのは明日にします!」

「明日? ……なら、今日はどうするんだ?」


 召喚した理由が戦うためだと思っている彼に、慌てて言う。

 今日は戦わない。もう目標だった召喚士になったし、召喚も出来た。

 首を傾げる彼の前に、しゃがんでにっこりと笑いかける。


「デートしてください!」


 麗しい月の王様とデートがしたい。


「……わかった」


 意外にも、あっさりと首を縦に振ってくれた。

 レックスは立ち上がると、目立つからと鎧とコートを取り除く。黒煙になって消えてなくなった。

 鎖骨がしっかり見えるVネックの白いシャツと、黒い革のズボンとゴツいブーツ姿となる。

 禍々しい鎧とコートがなくなると、麗しく魅惑的な青年だ。

 レックスは爪が尖った大きな左手を差し出す。その手首をまるごと覆う大きなゴールドの腕輪には、Rのイニシャルが刻まれていた。何かのアイテムかな。あとで聞いてみよう。

 手を重ねて、繋いだ。温かさがこもる感じが気持ちいい。

 一緒に【ルーメンルーナエ】の門に立つと、興味深そうに彼は見上げた。


「ルーメンルーナエか……入るのは初めてだ」

「そうなの?」

「魔人や魔物は入れない。あの三つ月の宝石が結界を張っている。だからこの草原にモンスターは近寄らない」


 門の柱の上にある宝石を指差して、レックスは教えてくれる。

 この三つ月の宝石があるから、私は草原に寝転がれるのね。

 レックスは入れないのかと心配していると、右手を伸ばして門の中に入れた。なにも起きない。


「今はルベナの使い魔だから、入ることは出来るようだ」

「よかった。私も来てまだ四日目だから少ししか知らないけど、案内しますね!」


 私が召喚して呼び出したから、今は使い魔のレックスも街に入れる。喜んで私は街に入って、レックスを引っ張り込んだ。

 魔人の王であるレックスを、門はすんなりと通した。

 門を見つめたあと、レックスは大都市【ルーメンルーナエ】を見上げた。

 プレーヤーと住民に溢れたそこは、煉瓦の道と建物で出来ている。カラフルな煉瓦ばかりだから、私は好き。淡くて主張してないけど、灰色の煉瓦だけでは味気ないもの。

 色んな店が並ぶ先に、復活の噴水の広間がある。

 目的地はそこだ。

 速い足取りで向かっても、長身のレックスは不便がないようで文句を言わずについてくる。

 噴水に近付くだけで、冷たい水飛沫を感じた。

 駆け寄って水に手を入れると、冷たい。水面はキラキラと揺れていて、透き通っていた。


「冷たい」


 手についた雫を、噴水を覗き込んだレックスの顔に飛ばす。水も滴る麗しい王様は、怒らなかった。


「冷たいな」


 そう返して、レックスは空に吹き上げられた水を見上げる。

 そんなレックスを見つめた。水が反射する光で、白銀の髪もきらきらとする。禍々しい赤い瞳も、ルビーのように見えた。


「飲み物を飲もうか」


 目が合ってから、私は提案する。レックスが頷いたので、噴水の裏にあるカフェに行く。

 コーラがあったので、二つ買おうとした。でも買えない。所持金が0になっていたからだ。


「お金がない!? なんで!?」

「なにかの代償じゃないのか。俺を召喚した時、ルベナのSPは0だった。SPでは足りず、杖がSPの代わりに支払われたのだろう」


 レックスが淡々と教えてくれた。

 SPが消えただって!? レベル50になった私のSPは800くらいはあったはずなのに、一度の召喚でそれ以上を消費するなんて! 杖も最大強化した代物なのに!

 月の王様の召喚、恐るべし!

 SPを確認してみれば、自己回復中だった。レックスの言う通りらしい。

 私のお金はレベルや職業を変えた代償に支払われたのかもしれない。あるいは服だ。


「自由に代償は付き物なのね……」

「らしいな」


 自由に好きなものを選んだら、デート代をなくした。

 ガクリとカウンターに項垂れていたら、レックスが支払ってコーラの瓶を受け取る。そのまま私の腕を掴んで、空いているテラス席に連れていく。

 向き合って座ると、一つを私の前に置いて、もう一つのコーラ瓶を持って私に向けた。乾杯を待っていると気付き、私は手にして瓶を押し付けあった。


 カラン。


 その音を合図に、瓶に口をつけてコーラを喉に流し込んだ。コーラは暴れながら、冷たさと甘さを残していった。


「ぷはーっ!」


 炭酸飲料水のこの刺激が最高。ゲームの中なのに、感じることができて喜ぶ。

 目の前のレックスは、一気に飲み干した。綺麗な首と、喉仏が勇ましい。

「ぷはっ!」と息を吐いたレックスが、満足げな笑みを溢す。

 なんて素敵な笑顔。頬杖をついてうっとりと眺めた。


「なにを見ているんだ?」

「私、美しいものが好きなの」


 それは生き物の性だと思うけど。人間は特に見た目に惹かれやすいんだとか。


「……ふぅん? だから俺を召喚したのか」

「元々あなたを一目見たくってこのゲームを始めたから」

「"ゲーム"、ねぇ……? 今は何分見つめる気だ?」

「何時間でも見ていたい」


 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる彼も素敵で、見惚れてしまう。

 一目見るどころか、今はこんなに近くで見つめられる。

 白銀の睫毛の下にあるアーモンド型の赤い瞳。綺麗だな。


「見つめられるのは構わないが、それではデートにならないだろう?」


 そうだった。言われて我に返る。観賞中ではなく、デート中だった。

 長い間恋人がいないから、ついつい……。

 恋人がいたら休日を、丸一日ゲームに没頭していない。


「あー、そうね……えっと……お金がないからか。あとで必ず返すね」

「バカを言うな。俺は王だぞ? デート相手に金を払わせるわけがない。俺を侮辱するなよ」

「えっ!? ご、ごめんなさい……」


 レックスに鋭い眼差しを向けられ叱られてしまい、私は反省して謝る。

 ……あれ、でも、お金を返すと言っている私は悪いの……か? んん?


「お、王様はどんな、デートがしたいですか?」

「レックスでいい。それに俺は王でも、今はルベナが主人だぞ。案内をすると言ったんだ、しっかりしろ」

「えっ!? あ、はいっ!」


 また叱られてしまった。

 私を主人と言っているわりには、レックスはふんぞり返っている態度だ。どんな対応をすべきか、悩んでしまう。

 街を案内。案内デート。

 ちょっとプレッシャーを感じたから、私はまたコーラを喉に流し込んだ。二口でなんとか飲み干した。


「行こうか、レックス!」


 ブーツで煉瓦の道の上に飛び込んでから、レックスの手を引っ張る。

 他のプレーヤーは立ち話をしていたり、武器屋や道具屋を行ったり来たりしていた。

 平日の昼間にアクセサリーショップを覗くプレーヤーは、私くらいだ。店の外まで商品を並べているアクセサリーショップを覗いた。


「一回ゆっくり見てみたかったの。レックスはアクセサリー好き? 腕輪以外アクセサリーつけてないね」

「これはアイテムだ。王族の秘宝」

「秘宝? Rって刻んであるけど」

「俺のイニシャルだ」

「秘宝にイニシャル入れちゃうの? 流石王様」


 秘宝なのに、レックスのイニシャルを入れている。それほどお気に入りのアイテムなのだろうか。

 私は軽口を言いながら、クールな十字架のチョーカーを手に取り、鏡を覗く。

 そこで初めて、自分の顔を見た。顔を整形し忘れたけど、睫毛も髪とお揃いで、瞳は藍色に変わっている。それだけで随分違う印象を抱く。なんだか好きになれそう。

 不思議。ただのログインだと張りぼてだったのに、今は商品をちゃんと触れる。

 チョーカーは置いて、三日月のピアスを手にして耳に当ててみる。確認していた鏡に、レックスが入り込んだ。


「似合っているぞ」

「レックスの方が似合うよ」


 レックスの耳に合わせたら、似合っていた。うん、大きめなピアスが似合うわ。月の王なんだし、三日月のピアスがぴったりだ。

 にまけてしまうと、レックスが笑みを返してくれた。

 ああ、本当に麗しい人だと、またうっとりとしてしまう。


「おい、見ろよ! 【月の覇者】だ!」


 プレーヤーの誰かが口にした名前に反応して、私は振り返る。

 プレーヤー達が遠巻きに見ていたから【月の覇者】をすぐに見付けられた。これから、街に出るのだろう。門に向かって歩いていた。


「くそー、俺ギルドに入りたいって言ったのに断られた」

「バッカ! レベル60のお前が入れてもらえるわけねーだろ。皆レベル80超えだろ、もう90になるんじゃね?」

「どんだけやりこんでるんだよ」


 男のプレーヤーが二人、話しているのを耳にする。

 まだ発売から三ヶ月にして、レベル80以上に到達しているプレーヤーの団体。ギルド。

 間違いなく【ラクムルナ】の初代最強ギルド。その名も【月の覇者】だ。

 人数は僅か五人のみ。

 先頭を歩く赤毛の少年と青髪の少年は、銃使い。

 その二人と話す金髪で筋肉モリモリの腕を見せた男の人は、斬り込み隊長だと聞くけど背に持つのはハンマーだ。

 その後ろを歩くのは、騎士だと一目瞭然の鎧と大きな赤黒い剣を携えたブロンドの男の人。彼がリーダーだ。

 隣は神父の格好で、長い髪を一つに結んだ青年。回復職の神父はレベル上げが難しすぎると敬遠されると聞くのに、彼もレベル80なのだろう。

 そんな神父の彼と目が合う。彼は不思議そうにこちらを見続ける。


「ふん……あの騎士め。俺のアイテムを携えていやがる」


 苛ついたレックスの声を耳にして、思い出す。

 【月の覇者】は唯一、魔人の国の王様を倒せたギルドだ。

 リーダーの騎士が腰に携えている立派な剣こそが、レックスを倒した戦利品なのだろう。

 神父はレックスを見ていたんだ。幸い目に留まったのは彼だけのようで、最強ギルドは通り過ぎていった。ほっと一安心。

 すると、顎を掴まれて向いている方を変えられた。レックスだ。


「デート中に他の男を見るな。俺だけを見ていろ」

「……はい。見てます」


 俺様な発言も麗しすぎる顔の持ち主になら大歓迎だ。

 思わずうっとりした声を出して、レックスを見つめた。

 レックスが私の耳を触り出したかと思えば、チクリと耳たぶに痛みが走る。もう片方の耳たぶも同じように痛め付けられ、何事かと私は確かめた。耳になにかがついている。

 鏡で確認すると、三日月の尖端が耳たぶに突き刺さり、ぶらぶらと揺れていた。さっきのピアスだ。


「勝手に商品をつけちゃ」


 だめだと言いかけたけど、レックスの耳にも同じピアスがぶら下がっていることに気付いて目を丸める。


「買った。お前が奴らに釘付けになっている間にな」

「ご、ごめんなさい」

「物を貰ったら謝るのがお前達の常識か?」

「えっ……ああ……ありがとう」


 なかなかのイケメン揃いの【月の覇者】に見とれていたことについて謝ったけど、先ずはお礼を言うべきだと教えられて私は耳に手を当ててから言う。

 お揃いのピアスをプレゼントされた。痛みはもう消えたから、嬉しさに浸る。

 レックスは微笑むと、私の頬を指先で撫でた。


「……【月の覇者】を、覚えているの?」

「忘れるものか。俺を倒した唯一の【勇者】どもだ」


 【月の覇者】と戦ったことも、敗北したこともレックスは覚えているようで憎たらしそうな表情になる。

 なんだか妙だと感じた。

 さっきもうっかりゲームと言ったら、レックスも意味深に呟いていた。


「ゲームのこと、知っているの?」

「それとなく把握しているだけだ。お前達【勇者】が現れたり消えたりするのは、この世界がゲームだから。……しかし、この世界の住人である俺達にとったら、どうでもいい話だがな」


 ゲームプレーヤーだと、認識している。それはレックスに限った話ではないらしい。

 消えたり現れたりする。故郷なんて持たない人間達を、この世界の外から来る者だとちゃんと認識しているようだ。

 呼び名は【勇者】だ。

 世界の外に行けない住人からすれば、興味ない話みたい。真実でも間違いでも、どうでもいいみたいだ。


「そっちがここをゲームだと認識していても、俺達にとっては現実だ。生まれ、育ってきた記憶がある」


 レックスは、三つ月を見上げて告げる。

 それを聞いたら、胸がもやもやしてきた。なんだろう。この感じ。


「……だが」


 私に深紅の瞳を向けると、レックスが私の頬に掌を当てた。


「感触の記憶がはっきりない。柔らかさや、あたたかさ……初めて感じることが出来たようだ」


 私を見つめて、囁くように静かに言う。

 初めて、感じる? それって私と同じ? 五感全て、得られたの?

 唖然としていたら、プレーヤーの一人が誰かに呟く声を耳にした。


「なぁ、俺さっきから自分の感触を感じるんだけど――――」


 レックスだけではなく、プレーヤーもこの仮想世界の中で全ての五感が働いている。


「私だけじゃ、ないの?」

「この世界に存在する生き物がみな、そうらしい。恐らくお前一人が五感を得るのではなく、世界中が全ての五感を得る……ということになったのだろう。お前がここにいる間、俺達や【勇者】も感じることになるのだろうな」


 私の手を握ると、レックスは歩き出した。

 レックスの言葉を頭の中でリピートするけど、その度に疑問符ばかりが増えて混乱してしまう。


「人間で、それもレベル50に、この俺を召喚できるわけないだろ。他の代価を支払うなんて、人間技ではない。魔人にすら無理だ。だからお前になんらかの特殊な能力があるとは推測していた。さっきは自分がゲームプレーヤーだと言ったから、一応人間。人間を超えた能力の持ち主が、この世界を変えたのだろ?」


 歩きながら淡々と言うレックスを、ポカンと見上げる。

 少し絶句していたけど、レックスが振り返って漸く反応できた。


「冷徹な王様っ……素敵!!」

「俺に見惚れていないで脳ミソを働かせろ」


 褒めたのに、顔を鷲掴みにされて怒られてしまう。

 冷静に見極めて納得しているレックスに、とても感心したのに……。

 慌てて謝る。王様に見惚れないで、脳ミソを働かせます。


「私はただ……感じたくって……。自由を得られると思って、自力でこの世界に入ったら……代償はあれど、自由自在に……」


 確かに人間を超えたけれど、世界を変えるつもりはなかった。


「ふむ、つまりは……お前はこの世界の支配者――――神だな」


 支配者――神。

 レックスに告げられたそれに、ゾクリと背筋に寒気が走って震え上がった。


「そ、そんな……大袈裟なっ……」


 声が裏返ってしまう。

 支配者なんて、ありえない。

 私はただ自分を自在に変えて、五感全てを与えただけ。

 でも、なんだろう。

 まるで、なにかとてつもないことをやってしまった気もする。

 私はゲームで言うチートを使って、一人楽しんでいたつもりだけど、ここはゲームの中と言うよりも――――……。


「この話はこれくらいでいいだろ。今はデート中だ、楽しむぞ」


 むにっ、と軽く頬を摘ままれた。レックスはにっと口角を上げて笑うと、次の店に移動する。

 そうだ、デート中だった。

 レックスも私と同じで、五感を楽しんでいる。ご機嫌な横顔を見て、私は思いっきり楽しませることに決めた。

 私がこの仮想世界にいる時だけ、感じることができるならば、今だけでも。

 麗しい王様と楽しもう。

 ギュッ、とレックスの手を握って、私は腕に寄り添った。

 店を回りながら、私はレックスの好きなものや嫌いなものを聞いてみた。

 レックスの好きなものをヒントに、次の店を決めた。

 武器屋や服屋に入り、試着を楽しんだ。ケーキを食べて、甘いものを堪能した。

 溶けるように口の中に消えるミルフィーユが、美味しくってメロメロになった。レックスも気に入ったらしい。

 夕暮れになってから、食堂で夕食を一緒にとった。

 牛肉が美味なビーフシチューが熱々で、ふーふーと息をかけて冷ましながら食べる。

 レックスに問われたから、私は初めて敗戦した相手のゴブリンについて話した。


「ゴブリン、ねぇ?」

「私の初めての敗北をさせたゴブリン……絶対に次会ったら、リベンジするって決めてるの!」

「ゴブリンごときに、そんな復讐心を燃やすことないだろ」


 バカにしたように鼻で笑うレックスを見て、私は拗ねて唇を尖らせる。


「王様にとったらゴブリンなんて雑魚で、私も雑魚ですよーだ……」

「お前は神だろ」

「神じゃないよ!?」


 王様だと嫌味を言ってみたけど、逆に言い返された。

 神って言わないでっ!


「あの、レックスは……【月の覇者】に、リベンジしたいと思わないの?」


 レックスが唯一敗北を味あわせたのは【月の覇者】のみ。復讐心は抱いていないのかと問う。


「リベンジなんて思わないな。【勇者】を勝たせてやるように、俺の力は制限をされていたんだ。今はルベナの使い魔だから、制限をするもルベナ次第。今の俺なら、あんな若造ども、一捻りだ」


 足を組むとレックスはふんぞり返る。

 【月の覇者】しか倒せていないボスなのに、制限されていたなんて疑わしい。

 見栄なのか、事実なのか。わからなくてひきつる。


「……騒がしいな」


 少し不機嫌そうに眉間にシワを寄せたレックスが、外を睨んだ。確かに騒がしい。

 食堂の中はランプの暖かい光で照らされた木製の建物だから、雰囲気が壊されていた。


「ああ、金曜日の夜だからログインする人達が増えたんだよ」


 学校や会社から帰ってきた人達が、一斉にログインして賑やかになってきたのだと思う。


「私もそろそろログアウトしてご飯食べなきゃ……。いくら美味しくても、現実はお腹空かせてるだろうし……」


 ビーフシチューを完食して満腹を感じるのだけれど、ログアウトすればきっとお腹が鳴ってしまう。

 二つの空っぽのお皿を見て、今更気付いた。夕食を誰かと食べるのは、一体いつぶりだろう。


「レックス、今日はありがとう。誰かと一緒に食べるの、久しぶりだったから楽しかった!」


 感謝を笑顔で伝えたのだけれど、レックスは少し不機嫌な顔で私を見ていた。


「……もう、帰るのか。自分の世界へ」


 自分の世界へ帰る。

 そんな大袈裟な言い方をするなんて変なの、と思った。でも面白いから、好き。


「まだ! 月見してから帰る! 付き合ってくれる?」

「……三つ月のことか?」


 レックスは断らなかったから、【黄昏の草原】に戻ることにする。

 食堂を出ると、噴水の方でプレーヤー達が集まって騒いでいるようだった。ギルド同士の衝突だろうか。

 何事かと聞き耳を立てようとしたけれど、レックスにグイグイと引っ張られたので、トラブルの内容は聞けなかった。

 【ラクムルナ】の空は、すっかり夜に染められていた。藍色の夜空。

 輝く三つ月が昼と変わらず世界を見下ろす。


「私ね、風の重みとか、浮遊感とか、草の柔らかさを感じたいって思ったから、欲しかったんだぁ。全部」


 丘をくるくると両手を広げて回りながら上がって、私は後ろを歩くレックスに話した。


「それだけのことで?」


 レックスにそう言われて、私は思わず吹いてしまう。


「うん。これだけのことで!」


 始まりは、これだけのこと。笑いながら、くるくる回る。


「それだけの願いを叶え……世界を変えたのか」

「うっ……それは大袈裟です……」


 ポツリと言うレックスがまた大袈裟な言い方をするから、私は回ることを止めた。ちょっといたたまれなくなる。

 世界を変えるつもりはなかったんだもの。

 私はレックスのところまで歩み、手を握った。それからレックスを軸に、ぐるぐると回る。


「夜の冷たい風とか、草原の香りとか、草の柔らかさとか、感じたらもっと素敵だと思わない?」


 くるくると、世界は回るけれど、レックスは変わらず目の前にいる。ぽかんとしたような表情の彼を見つめて、私は笑いかけた。


「世界を身体中で感じたら、気持ちいいって思わない?」


 私は左手を放す。

 私がバタリと草の上に倒れると、右手を繋いでいたレックスもつられて倒れた。

 ぐるりと歪む感覚に笑ってしまう。倒れ込んだ草は尖端がチクってするけど、柔らかいクッションみたいで快適だ。


「嗚呼、今夜の三つ月が一番綺麗だな」


 視界を埋め尽くす藍色を仄かに照す三つ月は、いつもより大きく感じる。なにより一番美しく見えた。


「……ああ、気持ちがいいな……」


 隣から、気持ち良さそうな呟きが聞こえたから、私は綻んだ。

 きっと三つ月が美しく感じるのは、この感動を共有しているからだと思う。二人だから、感動が二倍だ。

 藍色の夜空と三つ月には、圧倒されてしまう。

 月光を感じた。夜の冷たい風が肌を掠めて、前髪をひっくり返す。穏やかな空気を肺に吸い込み、深呼吸をした。

 このまま、眠ってしまいたいと思ってしまう。

 横を見れば、レックスも三つ月に見惚れている様子だった。

 そんな彼に、私は見惚れてしまう。

 月光に照らされているレックスは、白銀の髪と麗しい肌が神秘的な光を帯びていた。欠点なんて、何一つ見付けられない美しい顔だ。

 レックスの深紅の瞳が、三つ月から私に向けられた。月光を浴びたルビーと見つめ合う。


「ルベナは本当に俺の顔が好きだな」


 クスッ、とレックスが笑った。


「中身も好きだよ」


 私はすかさず言う。


「レックスは何も興味ないドライな王様かと思ってた。でも今日は私と楽しんでくれたから、とても嬉しいわ」


 私を惹き付けた麗しいイラストの印象とは違った。

 レックスも私と同じく五感を楽しんだ。今も身体中で世界を感じてくれる。共感してくれた。


「もっとレックスが好きになった」


 出会って、もっと好きになれた。


「出会えてよかった。もっと、この世界が好きになれたわ」


 両手を広げてこの世界を感じる。夜空を見つめていると、世界が回っているようにも感じた。

 この世界が大好き。

 もっと大好きになれた。


「……俺もだ」


 指を絡めて手を握り締めると、レックスはそう呟いた。

 握り返して、もうログアウトする決意をしなくては……と考える。

 ほんの少し、三つ月を見つめた。こちらを見ているレックスを数秒見つめ返してから、起き上がる。


「もう、帰るのか……」

「うん」

「……」


 レックスも起き上がり、私をすがるような目で見てきた。


「どうしたの? 帰るだけだよ」

「"帰るだけ"ではないだろ……その間ずっと、お前はいない。この世界にいない。どこにもいない、消えている」


 立てた右足の膝に、レックスは頬を置いて告げる。

 そういう考えもあるのか。

 私はこの仮想世界から消える。この世界から、いなくなる。大好きな世界から、出ていくんだ。


「……また明日来るよ」

「……朝になったらか?」

「んー、夕方になる、かな」

「……明日は戦いに行くぞ」

「うん。約束ね」


 明日も私に付き合ってくれる気満々なのが、嬉しくて綻んだ。なついてくれて嬉しい。

 手を握り合いながら、私はステータス画面を出して、操作をした。ログアウトを出して、指先でタッチする。


「……」

「……」


 いつもならタッチしたあとに、意識が浮上する感覚が来るのになにも起きなかった。

 タッチミスかと思い、もう一度ぷにっと押してみる。やっぱり意識が浮上する感覚が来ない。

 ただ草原を揺らす冷たい夜風に、髪を揺らされた感覚がきた。


「なんだ、帰れないのか」


 固まった私の表情を読んで、レックスが言い当てた。


「そ、そんな……はずないよ……ログアウトが、できないなんて、そんなっ」


 ぷにぷにぷに。何度も押したのに、ログアウトが出来ない。帰れない。帰ることが出来ない。


「な、なんで……?」


 夜風に浚われたみたいに、血の気が引いていく。


「奇跡の対価だろう」


 レックスが言った。


「さっきの騒がしい勇者達もログアウトがどうのと言っていた。恐らく、五感を手に入れる代わりに、ログアウト――己の世界に帰る術をなくしたのだろう。お前を含む勇者全員がログアウトを支払い、この世界に奇跡を与えた」


 更に私の血の気が引いた気がする。

 プレーヤー全員が、ログアウトが出来ない。私が原因。

 ――世界を変えてしまったから。

 ――私が仮想世界を壊してしまったから。

 私を含むプレーヤー全員が、閉じ込められてしまった。

 奇跡の代価が重すぎて、息が苦しくなる。


「じゃあ、いなくならないんだな。ルベナは、ずっとこの世界にいるんだな」


 麗しい王様だけが、今日一番の笑顔を私に向けた。

 私はようやく、自覚する。

 自然と会話をしたから気付かなかったけれど、ゲームだったらレックスとこんなにも話が出来るわけがない。ゲームで決められた台詞と動きをするキャラじゃないからだ。

 五感を持ち、記憶を持ち――――生きている。

 すなわち、現実。

 ここは【仮想世界のラクムルナ】ではなく、【異世界のラクムルナ】なのかもしれない。


 仮想世界を現実化した代償は、現実世界を失うこと。

 奇跡の代価だった。




20151213

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