02 現実化の奇跡。
【ラクムルナ】を始めて三日。仕事をしつつも、なんとかレベル30へ到達。
その道のりはしんどかった。
始めのようにレベルはひょいひょい上がらなくなったせいか、飽きを感じ始めてきてしまう。
街で見掛ける召喚士が、使い魔として戯れている姿を見掛けると羨ましくなる。
可愛い立て耳をした小さく白い子猫みたいな獣と頬擦りしていて、女性のプレイヤーは嬉しそうだった。
スライムのようにねばねばした生物に絡まれていた男性プレイヤーは、別に羨ましいとは思わないけど。
召喚士を楽しむための、道のりは長い。美しい光景を見ては物足りなさを感じる。
決して、満たされない。
人間は欲張りだ。貪欲に、満たされようとする。私も貪欲な人間だと、自覚していた。
貪欲さが人を生かすのか、貪欲さが人を殺すのか……。
人間はちょっと頑張れば、装置に頼らずとも仮想世界に入れると思う。
仮想世界は出来ている。あとは自分からアクセスして入り込む。
私は、SFのような超能力を人間は秘めていると信じている。
人間の脳は10%しか使われていないという説には、可能性を大きく秘めていると期待していた。その説は間違っていたと知った時は、ショック。
でも、私には未知の力ってあると確信している。
私は何度か予知夢を見たことがあった。漫画やドラマのシーンを見ただけだけで、しかもデジャブを覚えるだけの程度だけど。
例えば、毎週買っていた週刊雑誌で連載している好きな漫画があった。
まるでその場にいるように、漫画の中のキャラと行動する夢を見た。その一週間後に、その内容と酷似した内容が掲載されていたのだ。好きでもない漫画の予知も見たこともあったけど、それは忘れた。
好きなドラマのシーンも同じだ。好きな海外ドラマのキャラ達が夢に出たと、その時はその程度に思っていた。
でも数か月後、新しいシーズンが放送されたそのドラマを観てみたら、夢に出た内容と同じシーンがあった。
ただのアルバイトの私が、公開前の内容を知りようもないにも関わらず、夢の中でそれを観た。
脳科学者でもないけれど、超能力は絶対にあるはずだ。
自分からこのゲームに入ることが出来たのならば、きっと感じられる。
夢の中で温かさとか冷たさを、錯覚するみたいに。こんなに鮮明な光景のあるゲームならば、きっと。
杖のざらついた感触や重み、冷たい風や草の匂い、もっと楽しめるはずだ。
「人間超えてみましょうか」
仕事を終えた私は、試してみることにした。
人間を超えてみることを。
先ずは仕事の疲れを癒すために、お風呂に入った。温かいお風呂に浸かり、瞑想用のアロマでリラックス。
ピリピリしていては、なにも出来ない。なにも考えず、ただ深呼吸した。
すっかり疲れも取れて、まったり気分で食事をする。
そのあとは、また瞑想。
なにも考えないことは脳を活性させるらしい。美しいものを見ることもだ。まぁそれはここ数日で十分。
電源をつけて、ヘルメットを被る。
『ログインしますか?』の文字を見つめて、枕に頭を置いた。
呼吸はそのまま。自分からアクセスするイメージをする。脳からオーラが出て、ヘルメットに入り込む感じだ。
呼吸に合わせるように、次第に力が抜ける。
そして私は――――眠ってしまった。
眠るにはヘルメットは邪魔だったから脱いで、寝返りを打つ。すっかり人間を超えたログインをすることを忘れ、夢を見た。
魔人の国の【月の王】が召喚される夢だ。あり得ない。敵の大ボスである魔人の王は、召喚対象ではないのだから。
それから、何度か街で見掛けていた最強ギルドと会う夢を見た。
「むにゃ……」
よだれが気になり、目が覚める。口元を拭きながら、リラックスのあまり寝てしまった私は、自分にうんざりした。
まぁ、人間を超えるという発想をしてしまう辺り、羞恥心を覚えるべきかも。
「あぁ……ゲームつけっぱなしだ」
ゲーム本体がつけっぱなし。
電気代、困ることにならないといいけど……。ゲーム以外で節約してみようか。
5月13日の金曜日だけれど今日は仕事が休みだから、一日中チャレンジしてみよう。人間を超えること。
飽きたら、普通にプレイだ。
一人暮らしは、快適。眠りを妨げられることはないし、買いためしたお菓子を食べられることもないし、散らかされることもないし、平穏で静寂だ。
寝間着のまま午前を過ごして、いざゲームをやろうとした時に、夢の内容を思い出した。
最終目的の【月の王】と夢の中で会った。ちょっとにまけてしまう。
彼を召喚することは、ゲームの設定上は不可能だ。
でも、どうだろう。
もしも予知夢を見るような能力でログインが出来たのならば、多少は自在に変えられるかもしれない。コスチュームや、職業変更や、敵ボス召喚とか……。
魔人の国の城に乗り込んで【月の王】の顔を拝む道と、人間超えて【月の王】を召喚する道。
どっちが近道か……。
「……人間超えてやる!!」
人間超えたら、イケメン魔人の王に会える! 私は人間を超えてやる!
モチベーションがグンッと上がった。
美麗なイケメンに会うためならば、人間超えられる。
昨日と同じく、瞑想をしてリラックスをしたあとに、ソファーベッドに横たわりヘルメットを被った。
『ログインしますか?』を見つめて、また自分からログインするイメージをする。
すると、眠りに落ちる感覚がして、目の前が真っ暗になった。
また、眠ってしまったのかと思った。
「……!」
でも目映さを感じて、目を開く。
そこは、通い詰めている【黄昏の草原】だった。
うっかり「ログインします」と言ってしまったのかもしれない。そう考えたけど、すぐに違うと知る。
草原を揺らす冷たい風が、私を通り過ぎたのだ。湿った草の苦い匂いがして、冷たい空気が肺に入り込んだ。
途端に身体の中から燃えるように熱さが沸き上がってきた。
感じる。
求めていたものを、感じている。
今まで欠けていた感覚だ。
真っ先にしたことは、あの丘に行くことだった。窮屈なブーツで草原を走ったら、すっ転んだ。
手には湿った草と泥がつく。少しツンとして、フレッシュな香り。思わず、辺りの草を撫で回した。
「嘘っ……嘘っ! ……本物だっ!」
人間の能力を超えて、自ら仮想世界にログイン。可能にした。
求めていたものを、手に入れられた。
立ち上がって、草原を駆ければ、蹴り上げてしまった草が舞う。
丘を上がると息が辛くなった。それが嬉しい。
丘のてっぺんに辿り着いたら、後ろに押し飛ばしそうなほど強い風を受けた。
風がローブと髪を吹き上げる。目が開けていられないほど強い風だけど、澄んだ青い大空を視界一杯に入れたかった。
大きな三日月と、そばにいる小さな二つの三日月。三つ月は淡い白だ。
綿あめのように大きく広がる白い雲が、いくつもあって風で流れていく。
三つ月を見上げながら、グルグルグルグルとその丘で回る。ローブは重くて邪魔。絡み付く風は気持ちいい。
目が回ってきて、感覚までぐるりと回り出してきたから、私は回ることを止めて背中から倒れた。
ドンッ、と背中に衝撃を感じる。頭も打ってしまったけど、柔らかい地面だからそんなに痛みを感じなかった。
「なんて素敵な世界……」
はぁ、と息を吐く。
これこそ、異世界の体験だ。本物の異世界にいるみたいで、本当に最高。
空気も清々しくて、風が気持ちいい。ああ、土の匂いもする。
額に触れて、髪を掻き上げた。指が入り込む髪の感触がいい。
でも、その髪を見ると黒かった。明るい空に透かすと、少し茶色に見える。もっと違う色がいい。もっと長い髪がいい。
何色がいいかな? 赤毛? 白銀? 白金がいいな。
現実では、前髪はないから、挑戦してみよう。長さは腰に届くぐらい。少しウェーブする方がちょうどいい。カチューシャの代わりに三つ編みをしよう。
新しい髪を思い描きながら髪を撫でていく。ふと気付けば、左手に絡み付くのは長い白金髪だった。
歓喜の悲鳴を上げて、足をじたばたさせる。
自由自在だ。
自由だっ!!!
両足を空に向けて上げながら、ブラウンのブーツを見る。何色に変えようかな。とりあえず白のニーハイブーツに変えてみた。
絶対領域が見えるように前開きのスリットのスカートにしようか。ドレープデザインがいい。
コルセット風のデザインが好きだから、柔らかいインナーとコルセットにしよう。現実では出来ないへそ出しにしてみた。せっかくだから胸元を露出するものもいい。胸が大きく見えるように胸を包むのも、ドレープデザインにしてみよう。肩も露出して、手が隠れるくらいのドレープデザインの長袖の上着。
なんだか踊り子みたいな格好に出来上がり。
立ち上がって、自分の格好を確認する。
うん、なかなか! 少々露出が多いけれども、現実じゃないから挑戦できる!
まだ首が空いている。襟風のチョーカーをつけてみた。三日月と青い宝石。
ふわりと、蛍より淡い光が浮かび上がり三つ月へ向かう。さっきから変身する度に、この光が出ている気がする。
今まで着ていたコスチュームの残骸が、まるで三つ月に吸い込まれるようだった。
不思議だと思いながら、くるくるりと回ってみる。さっきより軽い。袖の中に入り込む風が気持ちいい。スカートも軽々と舞い上がり楽しい。
白金髪はきらきらと光るし、しなやかで嬉しい。
目が回ってきたけれど、倒れずに踏みとどまる。地面に置いた杖を拾ってから、ステータスを表示した。
【ルベナ・ギルバ レベル30】【魔法使い】
変わらない表示だ。
ワクワクしている私は、顎に手を当ててどうするかを考えた。
「召喚士になるには、レベル50にならなくちゃいけない……」
先ずはレベルを50。
表示されたレベルをすっと上に向かって撫でると、数字が変わり出した。少し肉キュウみたいな柔らかさと弾力を感じた。
31、32、33、34……。
そして50で止まった。
するとレベルアップの表示が現れ、習得した魔法が複数一気にパパパッと表示されてビックリする。視界一杯に埋め尽くされて、ちょっとパニクった。
「できたできた!」
すぐに嬉しさが上回って、子どもみたいにその場で跳ねて、一回転。
それから私は、職業に手を翳した。
「職業、召喚士にチェンジ!」
ピカン、と職業が【魔法使い】から【召喚士】に変わった。
また子どもみたいにバタバタ跳ね上がったあと、堪らず私は。
「人間を超えたぁーっ!!!」
と叫んだ。あまり木霊はしないけど、声を張り上げた感覚も楽しい。
ぴょんぴょんぴょん。髪もコスチュームも舞い上げて、跳ねた。
ひとしきりやってから、私は杖を両手で握り直して深呼吸した。
新たに表示されたコマンド。【召喚】に杖の先をつける。
ポンッと軽く弾かれれば、右に【フェンリル レベル30】。左には【ガーゴイル レベル30】が表示されていた。
名前からしてなんか強そう。試しに使ってみたいけど、待ちきれない。
「【月の王】を召喚!!」
杖を両手で握り、地面に叩き付けた。瞬時に赤黒く光る魔法陣が現れる。
パンッ! と杖は粉砕して、消えてしまう。
ブォオオッ、とその魔法陣から溢れてくる黒い霧が、暴れるように撒き散らされた。
渦を巻いて大きな塊になったかと思えば、それが大きな黒い翼によって引き裂かれる。蝙蝠のような大きな翼だ。
その持ち主が、私の目の前にいる。
翼とは真逆で、髪は神秘的な光を放つ白銀だ。瞳は血のような赤。鋭利に尖った瞳孔が、私を鋭く見据えていた。耳は先端が尖っている。
私を魅了した美麗イラストに描かれたあの【月の王】だ。
ゾッとするほどの美しさに見惚れた。
赤と黒の鎧と漆黒のコートを身に纏う彼は、禍々しさを放つ。魔人の王だけある。
ああ、今朝の夢と同じだ。全く同じ光景を見ている。予知夢だったんだ。
ぼんやりと頭の隅で思った。
「――――我が名は【月の王】レックスリオ。小娘、この俺を呼んだのは貴様だな?」
魅惑的な艶のある唇が動き、鋭利で白い牙が見えた。その声はとても低くて、何故かゾクッとしてしまう。
私が見惚れていると、彼は口を閉じてただ私を見下ろした。
睨むような鋭い眼差しの彼に、そっと右手を伸ばす。
その手に疑問を抱いたように見たけれど、彼は拒まない。
レックスの白い頬に、私の右手が触れる。頬は冷たかった。少し、柔らかい。小指で輪郭をなぞって、頬を撫でた。
レックスは黙って、私を見ている。
彼の呼吸を感じた。右手に息がかかるからだ。
白銀の睫毛を揺らして、瞬きをした。触れた毛先は、ちょっとチクッとする。
「……あなたを感じる」
ほんの少しだけ、私の体温で彼の頬の冷たさが消えた。
本物だ。全てをリアルに感じることが出来る。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて、しょうがないけれど、跳ね回るより彼を見つめていたかった。
口元が緩んで、ただ彼の頬を撫でる。
少し目を見開いた彼が、やがて私の手に顔を寄せるように首を傾けた。
「――――……俺もだ」
静かにレックスは微笑んだ。
想像と違う優しげな微笑と肯定に、私は嬉しくなった。
思わず、敵ボスの魔人の王【月の王】に抱き付いた。甲冑は冷たいしごつい。でもちょうど露出した首元に顔が当たった私は、耳にする。
レックスの呼吸と、鼓動。
仮想世界なのに、温もりを感じて、鼓動を感じて、生きているように思えた。
全てが、現実のように思えた。