ー最終話−
白い世界。
これは夢の中なのか?ぼんやりした意識で、慎也は思った。
白い霧が所々晴れると、いつか見たような、合戦の場面が現れる。甲冑に身を固めた武者が馬で駆け抜けていく。
自分は、どこでそれを見ているのだろう?
再び、視界が白く閉ざされ、やがてまた晴れていく。
今度は、見たこともない世界が広がっている。
巨大な熱帯の植物が生い茂り、どこからか、どどどど、という地鳴りが聞こえる。
巨木が倒され、現れたのは、はるかに見上げる様な巨大な生き物。
恐竜だった。
あまりのことに、慎也はようやく意識がはっきりしてきた。自分のいる場所もわかってきた。
一体何で、こんなところに?どれだけ、時間を跳び越えたんだ?
戻らなきゃ。あの、みゆきが連れていかれそうになった時間へ戻らなきゃ。
そう思って、ポケットを探って、慎也は、ハッとした。
ない!香水が、ない!
そうだ、あの時!落とした!
慎也の胸が焦燥で満ちる。
これじゃあ、帰れないのか?俺は、この時代から、帰れないのか?
みゆきを助けることも、もう、二度と会うこともできないのか?
慎也の頭は真っ白になった。
周りを見る余裕もなかった。だから、巨大な生き物が、大きな足音を立てて近づいていることも、気がつかなかった。
背丈ほどもある下草の間から、その恐竜は飛び出してきた。
本来おとなしい草食竜だったが、おわれていたのだろう、怒濤の勢いだった。
慎也が気がついたときには、すでに目の前まで迫っていた。
「うわあ」
巨大な足がぶつかる。まるで、いつかのダンプカーのようだった。
俺は死ぬのか?
チラッと脳裏をよぎったとき、仄かなラベンダーの香りがして、慎也は白い霧に被われていた。
え?と思った。
視覚がホワイトアウトしたからではない。自分のお腹に、白い腕が後ろから回されていたからだ。
「なにやってるの、慎也?」
耳元で、聞き慣れた声が聞こえた。
驚いて首だけで振り返る。そこに、みゆきが、背中から自分を抱きしめているのを見た。
「な!?なんで、みゆきが?」
「だめだよ。こんな不完全なタイムリープしちゃあ」
みゆきは慎也の質問には答えず、そんなふうに怒った。でも、口調は、全然怒ってはいない。
「みゆき、おまえ、どうして、タイムリープのことを……ていうか、いま、おまえも、してきたのか?」
慎也は驚きながら訊く。
「うん。そうだよ」
「なんで?」
「慎也を連れ戻しに来たんだよ」
「いや、そうじゃなくて、なんで、おまえが、タイムリープできるんだ?」
「それは……」
みゆきが少し、口ごもって、それから、言った。
「わたしが、未来人だから」
「……はあ?」
呆気にとられて、慎也はそれ以上言葉が出てこなかった。ただ、
「おまえが、なに?」
と呟く。
「だから、未来人。わたし、未来から来たの」
慎也はただ、呆けたようにみゆきの顔を見つめていた。
みゆきも、頬を赤く染めながら、それでも、しっかりと慎也を見つめている。
やがて、白かった世界に色と形が戻ってきた。
「あ、着いたよ」
みゆきはそういって、ずっと抱きしめていた慎也の体を離した。
そこは、学校の理科準備室だった。
慎也は、部屋を見渡した。いつか慎也が見た不思議な実験装置がテーブルの上に、所狭しと並んでいた。
「これは……」
ハッとして慎也は呟く。その声に、みゆきの声が重なった。
「そう。これは、あの時慎也が見たものだよ」
慎也がみゆきを振り返る。
「これって?」
「うん。タイムリープに必要な成分を分離してたんだ」
「こんなところで?」
みゆきは、ちょっと困った表情になった。
「ここは、ほんとは別次元なんだけどね。なんで、あの時慎也が入れたのかなあ。わかんないよ」
「そ、そうなのか?」
「うん。だから、焦っちゃった」
みゆきが、あははは、と弱く笑った。その笑顔を見ながら、慎也は、もう一度ハッとした。
「みゆき。おまえ、未来人って、ほんとなのか?」
「うん」
彼女が肯く。
「でも、俺達、幼なじみだろ。おまえ、ずっとこの時代にいたじゃないか?」
慎也は自分でも、そうじゃないとわかっていた。ただ、そうであって欲しいと思って言葉が口をついて出た。
「うん。私たちは、幼なじみだよ。それは本当」
「だったら……」
「聞いて、慎也。ちゃんと説明する」
みゆきは人差し指で慎也の言葉を制した。そして、話し出す。
「わたしね、子供の時に、迷子になったんだ。”時”の迷子に……」
その時、たぶん幼かったわたしは、なにも分かっていなかったんだと思う。
うちにあった、ある装置を偶然触ってしまったの。そして、わたしはこの時代に飛ばされた。
未来では、そんな事故の時のために、ある程度対策が施されていて、わたしにもまさかの時のための装置が持たされていた。
「覚えてる?」
みゆきが訊いた。
「初めて会ったとき、わたしがしていたイヤリングのこと?」
「ああ。赤い小さなイヤリングだった」
「それが、そうだったの」
みゆきは、それが緊急用装置で、異なる時代の人に、自分の存在を無理なく認めさせる効果がある、いわば、催眠術のようなものだといった。
それと共に、本来は”時”の遭難者の位置を知らせる機能が備えられているはずなのだが、なぜか、その機能は効果を発揮しなかった。
おそらく、故障したのだろう。そのせいで、みゆきがどこに飛ばされたのか、探し出すのに5年もの時間がかかった。
そして、彼らは、ようやく彼女を見つけると、連れ帰るために現れたのだ。
あの日、あの公園の帰りに。
「わたしも、びっくりしたの。もう、5年も経って、幼い頃の記憶が曖昧になっていたし。ここでの暮らしがすっかり身に付いていたから」
だから、未来に戻ってから、なんだかなじめなくて……
両親はとても優しく接してくれたけど、でも……
そういって、みゆきは、少し俯いた。
「それで、戻ってきたのか?」
慎也が声をかける。
「うん。そうね。それもあるわね」
「それも?」
「ほんとはね、一番の理由は……慎也と一緒にいたかったから」
少女がにっこり微笑んだ。
慎也の心臓が、ドクンと跳ねた。
「俺と、一緒?」
「うん。だって、わたし……」
みゆきが慎也を見つめる。
「あなたのことが、好きだから」
その言葉で、慎也の胸がカッと熱くなった。うれしさが満ちてくる。
俺のために、戻ってきてくれたのか。
俺に逢いに来てくれたのか。
未来から。
「みゆき」
そういって、慎也は、みゆきの両腕を掴んだ。
「慎也……」
みゆきが慎也の瞳を覗き込む。慎也はその瞳に惹き込まれるように言った。
「俺も、みゆきが、好きだ」
見つめるみゆきの瞳が揺れる。その瞳から、一粒の雫が流れた。
「みゆき?」
彼女は慌てて手で涙を拭う。
「ああ、よかった。慎也のその言葉が聞けて、もう、想い残すことはないな」
その言葉に、慎也は急に不安になった。
「想い残す事って、なんだよ?」
えへっと、彼女は微笑んだ。まるで涙を隠すように。
「えっとね、わたし、もう、ここにはいられないの。未来に帰らなきゃいけないの」
「な、なんでだよ?」
「……あなたに、知られたから」
「俺に?」
「そう。この時代の人に、自分の存在を知られたから、もう、ここにはいられないの」
「なんでだよ?」
「そういう約束なの」
「でも……だったら、また、もっと過去に戻ればいい。俺が、そのことを知らない過去に。それか、さっきいってた機械で、俺の記憶を変えればいいじゃないか」
「それは、わたしの一存では、出来ないの。ほんとはね、タイムリープも、そんなに簡単にしちゃいけないのよ」
「だけど、それなら、どうすれば……」
慎也は、焦燥感で、唇を噛む思いだった。
このままじゃ、また、みゆきと別れることになってしまう。また……。
「俺は、イヤだぞ」
慎也が低い声で言った。
「え?」
「俺はイヤだ。また、おまえと別れるなんて、そんなことイヤだ。あの日、公園の帰り道、連れ去られるおまえの姿を見て、どんなに俺が悔しかったか……思い出したぞ。なんで、忘れてたか知らないけど、もう一度、あんな苦しさを味わうのは、もう、ごめんだ」
慎也は、一気にそういい放った。その表情をみゆきは、じっと見ていた。
そして、彼女は、思いきったように言った。
「慎也、あなたは、わたしと一緒にいたい?」
「ああ。もちろんだ」
彼女が慎也に体を寄せる。
「待ってて、くれる?」
「もちろんだ、て、うん?待つって、なにを?」
みゆきは慎也に体を預けた。
驚く慎也は腕を回して彼女を支える。
抱きかかえられた腕の中で、みゆきがつま先を伸ばした。
ふたりの唇が重なる。
柔らかく、温かい感触が、やがて離れた。
みゆきは、赤い頬で、花のように笑いながら、
「わたし、決めた。戻ってくる。この時代に住むために。この時代だけに住むために。あなたと一緒に……生きるために。だから……」
みゆきは、慎也の瞳を見つめ、力強く言った。
「未来で、待ってて」
「ああ」
慎也がそう答えたとき、
みゆきが弾ける笑顔を見せたとき、
まるで、魔法のように、みゆきの姿はかき消えた。
抱いていた慎也の腕の中から、彼女の体は消えてなくなった。
慎也は、それを驚きつつも、もう、悲しんではいなかった。
心は繋がった。
約束は交わされた。
きっと、いつか、その約束は果たされる。
そう。俺は、未来で、待ってる。
慎也は、心にそう刻んだ。
おわり
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたでしょうか?
それでは、また、別のお話で。