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家に帰った慎也は、もう一度冷静になって考えてみた。
みゆきとは幼なじみだ。
以前タイムリープしたとき、彼女の庭のプールでふたりで遊ぶ姿を目撃している。
だから、あれは間違いなくあったことだろう。
じゃあ、いつ彼女に出会ったのか?
その記憶は、慎也の中で、鮮やかだった。忘れもしない幼い頃。そうあれは……
慎也はまず、それを確かめようと思った。
見慣れた住宅街。けれど、どこかしら懐かしさを感じる通りに慎也は立っていた。
その時にタイムリープしてきたのだ。
つきあたりの道の右側から、小さな男の子が、幼稚園の制服姿で歩いてきた。
「俺だ!」
慎也は一人呟いた。
男の子は道をあっちに行ったり、こっちに来たりしながら、なにがおもしろいのか、遊びながら歩いていく。
慎也はその姿に、我ながら苦笑してしまった。
子供の姿を追いかけて、通りを曲がった。
その道の先、幼い自分のさらに向こうに、一人の女の子の姿が見えた。
その姿は、まるで天使のように見えた。
ふわっとしたワンピースから、細い腕が覗いている。短めの髪にピン留めのリボン。小さな赤いイヤリングが耳を飾っていた。
しかし、その顔は涙に濡れてくしゃくしゃになっている。
少女は、立ちつくして、泣いているのだった。
その姿をようやく目に止めた幼い慎也は、口をぽかんと開けて、少女を見つめていた。
ああ、そうだったな。といまの慎也は思い出していた。
あの時俺は、どこかのお姫様がいるのかと思ったんだ。童話で読んだお姫様。
それが、どうして泣いているのか不思議だったんだ。だから……。
幼い慎也が、少女に声をかける。
「どうした?なんで、泣いてる?」
少女が話しかけられたことにびっくりして、顔をあげた。そうして、目の前の男の子を見つめた。
「帰れ……ないの」
「え?」
「どこだか、わからないの……」
そういって、少女は嗚咽をあげる。
「どこから来たんだ?外国か?おとぎの国か?」
少年が訊いた。少女は首を振ると、
「わかんない。わかんない」
と繰り返した。
すると少年は、なにを思ったか、少女の手を取った。ビクッと少女の肩が揺れる。
「一緒に……」
少年は言った。
「え?」
「一緒に探してあげる。君のおうち」
少女は一瞬驚いた表情をして、それから、
「ほんと?ほんとに、探してくれる?」
「ああ。まかせとけ」
その言葉を聞いて、少女がほっとしたように、笑った。
慎也の心臓がドクンと鳴る。いまの慎也も、子供の慎也も同様だった。
その少女の泣きあとの笑顔。慎也の脳裏に鮮明に刻みつけられていた。
「俺、慎也。君は?」
少年が尋ねる。少女は恥ずかしそうに言った。
「みゆき」
ふたりは、そのまま手をつないで、歩いていく。
幼い慎也に何か当てがあったわけではない。お巡りさんの所にいけば?と言うことも、気がつかなかった。
ふたりは当てもなく歩き、やがて、疲れて道ばたに腰掛ける。少女が、再び泣きべそをかきだした。
「大丈夫。絶対見つけてやるから。泣くなよ」
幼い慎也は、気持ちだけは、お姫様を守る王子になっていた。
並んで座りながら、少女の手を握りしめていた。そして、
「大丈夫だから」
と繰り返した。
ふっと、視界に黒い影が被さった。
慎也は、顔をあげてその影を見る。目の前に、自分の母親ぐらいの若い女の人が立っていた。
「あ、透のおばさん」
それは、慎也の近所の友達のお母さんだった。
「どうしたの、慎也くん?」
「えっと」
「その子は、どこの子?」
おばさんの声に、少女が顔をあげた。
その時、少女のイヤリングが、キラリと光を発した。
一瞬の出来事。
しかし、次の瞬間、おばさんは、少女を抱き寄せていた。
「みゆき!どこ行ってたの。心配したわよ」
え?
なんだ?どうした?
物陰に隠れて見ていた、いまの慎也が、驚きの声を上げる。
だって、さっきまでおばさんは、みゆきのこと知らないふうだったぞ。それが、一体、どういうことだ?
混乱する慎也を残して、幼い慎也とみゆきは、手を振って別れていく。
みゆきのもう一方の手は、おばさんにしっかり握られていた。
慎也は混乱する頭で、考えていた。
これって、みゆきは迷子だったって言うことだよな?透のおばさんの子供……じゃない?もしかして、違う?
でも、急におばさんは、みゆきをわかったようだった。それって、どうなってるんだ?
慎也の頭の中を、はてなマークが乱れ飛ぶ。
あ〜、わかんねえ。慎也は頭を抱えた。
ただ、どういう経緯やからくりがあるにせよ、みゆきが幼なじみであることは、確かなようだった。
それなら、中学のアルバムに載ってないのは?あの時、彼女が忘れられてたのは、どうしてだ?
もしかして、いつかいなくなったのか?現れたときと同じように?
突然、慎也の脳裏を何かがフラッシュバックした。
叫ぶみゆきの幼い姿。自分が声を上げて追いかける記憶。足元に投げ出した、自転車が倒れて……。
くっ!
慎也の頭が痛みに歪む。
くそっ!なんだ、これは?いつの記憶だ?
断片的な記憶は、意味をなさなかったが、なぜか、胸が騒いだ。
慎也は、訳も分からず、だけど、何か大切なものを感じた。胸が苦しくなってくる。
たぶん、これだ。これが鍵なんだ。
慎也は、そう思った。そして、それを確かめるべく、ラベンダーの香水を開いた。
夕暮れ時の鮮やかな夕焼けで、空が染まっていた。
公園から、子供たちの元気な声が聞こえている。
「さよならー」
「またね」
「また、あした」
公園の入り口から、自転車に二人乗りして、子供がでてきた。
小学校3,4年ぐらいだろうか?少年がハンドルを握り、少女が荷台に腰掛けている。
少女は膝小僧をすりむいているようだった。
幼い慎也が背中に声をかける。
「みゆき、痛いか?」
「ううん。だいじょうぶだよ」
「おまえさあ、もうちょっと女の子らしくした方が、いいんじゃないか?」
「なによ、それ」
「いや、なんていうか、生傷が絶えないっていうかさ……」
「だって、そんなの……」
「あん?」
「慎也が、危ないことばっかりして遊ぶから……」
少女の頬に、怒りとも、照れともわからない赤みがさした。
「いや、だから、無理して俺に会わさなくても……」
「なによ、わたしが、邪魔?」
「いや、そういうわけじゃ……」
幼い慎也は困ったような声を出した。
その姿をいまの慎也は、少し離れたところから、歩きながら見ていた。
自分の言い分に、ちょっと複雑な感情が湧く。
このころ、俺って、素直なのか?素直じゃないのか?あははは。
そう思いながら自転車についていっていたとき、突然、複数の人影が、前方の自転車を取り囲んだ。
幼い慎也が、ブレーキをかけて止まる。
「なんだ?」
彼は、訝しげに、前に立ちはだかった男たちを見た。
なにやら時代がかったスーツ姿に、夕暮れ時だというのに、サングラスの大人が3人。
彼らは立ちはだかったと思った次の瞬間には、一人が自転車の後方に回る。そして、少女を抱え上げた。
「きゃあー」
みゆきが足をばたつかせながら、叫んだ。
「なっ!」
幼い慎也は、自転車を投げ出し、みゆきを抱える男にくってかかろうとする。
しかし、その体が、もう一人の男に押さえつけられた。
「くっそ〜。離せ!この野郎!」
慎也が悪態をつく。
「慎也!」
みゆきが手を伸ばして、慎也を呼んだ。
「みゆき、待ってろ!」
慎也は男を振りほどこうと体を激しく揺すった。
しかし、その時、男の手の平が幼い慎也の口を被った。途端に慎也がぐったりする。
見ると、みゆきも同じように意識を失っているように見えた。
それが、ほとんど一瞬の出来事だった。
後ろで見ていたいまの慎也が、ハッとして我に返った。
「な、なにしやがる!」
慎也は、そう叫んで、駆け出そうとした。
ところがいつの間にか、3人目の男が、慎也の傍に来ていた。
あっと思ったが、とっさに体を離して、男を避けた。
かわした、と思ったとき、後頭部に衝撃が来た。うっと、意識が薄くなりかける。
手に持っていた、ラベンダーの香水が滑り落ちる。
地面にぶつかった香水が、飛び散った。
どうして?という想いが消える意識の中で浮かび上がる。
その時、慎也にラベンダーの香りが届いた。




