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「ちゃんと医者行ったのか?」
「ううん。行ってない」
慎也の問いに、みゆきは自転車の荷台で揺れながら答えた。
朝の登校。約束通り、慎也はみゆきを迎えに行った。彼女は少し照れながら、玄関から出てきた。
でも、玄関のチャイムを鳴らすのに慎也がどれほど恥ずかしかったか、彼女は知らないだろう。
それでも、足を引きずっている彼女の姿を見て、慎也は自分のとった行為をよかったと思った。
背中の少女に声をかける。
「大丈夫なのか?帰りに医者、連れてってやろうか?」
その言葉にみゆきは少し笑いながら、
「どうしたの、慎也?昨日からなんだか、優しいね」
「ばっ、なっ、そんなんじゃねえ。おまえが歩きにくそうだから……」
「ふーん。たまには、怪我するのもいいかな」
少女はそういって楽しそうに笑った。
慎也は少しドギマギしていたが、そこで、少女に聞いてみたくなった。
「なあ、みゆき」
「ん?」
「その怪我、痛くていやだったら、俺が無くしてやろうか?」
「え?どうやって治すの?」
慎也は、自分が昨日に戻って、みゆきの怪我を防げばいいと思った。だから、治すではなくて、無くすだ。
「いや、どうやってて言うのは、説明が難しいというか、なんというか……」
慎也が口ごもっていると少女は明るい声で言った。
「いいよ。いらない。だって、すぐ治ったら、慎也に迎えに来てもらえないもん」
「そう…か」
「うん」
慎也は、少しガッカリしてその言葉を聞いた。
自分の得た力を、少し使ってみたかったし、それで、みゆきの役に立てると思ったからだ。
だから、みゆきの言った言葉に込められた意味を、あまり気に留めなかった。そのかわり質問が口をついてでた。
「おまえさ、自由に時間を超えられたら、なにしたい?」
「え?なにそれ?どらちゃん?」
みゆきは怪訝な声で聞いた。
「いや、例えば昔に戻れるとしたら、なにがしたいかなあと思ってさ」
慎也がそういうと、少女はしばらく無言でいたが、静かに答えた。
「慎也と一緒に過ごしたい……」
そのいい方があまりに真剣だったので、慎也は一瞬呆気にとられた。それから、心臓が騒がしく鳴る音を聞いた。
「ば、バカ、なんだよ、それ。小学校も、中学校も一緒に行っただろうが、俺達……」
一瞬の沈黙のあと、みゆきが慌てたように言った。
「そ、そうだよね。もう一度してもね。かわり映えしないよね」
「なんだよ。それ。自分でいっといて」
「あははは。捻挫のせいかなあ」
「絶対、違うだろうが!」
慎也は、まだ治まらない胸の鼓動を隠すように、思いっきりペダルを踏み込んだ。
昼休みに購買で買ったパンを食べ終えて慎也が教室に戻ってくると、クラスの女子が何人か集まって、はしゃいでいた。
その中にみゆきがいるのを、慎也は目の端に認めた。うわあ。とか、かわいい〜、とか言う声が聞こえてくる。
慎也は脇を通って自分の机に向かいながら、チラッと女の子たちが見ているものを確認した。
それは、よくあるファッション雑誌だったが、いま彼女たちが見て話題にしているのは、流行の服ではなく、むしろ少し前のはやり物だった。
見開きページのタイトルは、『懐かしのグッズ!あなたのお気に入りだったのは?』だった。
そのうちみゆきが話すのが聞こえてくる。
「これいいなあ。へえ、こんなの在ったんだね」
「あれ?みゆき知らないの?たれアライグマ?」
「う、うん。覚えて無いなあ」
「そうなんだ。中一ぐらいの時に、あんなにはやったのに」
「そうなんだ……」
その会話を自分の席で聞きながら、慎也は、そのグッズ、ぬいぐるみの『たれアライグマ』を思い出していた。
そうそう、そんなの在ったな。やたらぐたっとした感じにデフォルメされたアライグマ。
そういや、人気だったっけ。もう、5年ぐらい前だっけ?と思った。
その時、みゆきが言うのが聞こえた。
「ああ、いいなあ、これ。わたしも欲しかったなあ」
慎也の脳裏に、ピンと何かが立った。
そうだ、これだ。
慎也は一人呟いた。
授業が終わって、慎也がみゆきのところにやってくる。
「送っていくぜ」
「あっ」
少女は少し照れた表情をして、それから、「ありがとう」と答えた。
「医者行かなくていいのか?」
慎也が背中の少女に声をかける。
「うん。もうだいぶ腫れが引いてきたから、行かなくても大丈夫」
「そうか」
「でも、あの……」
少女のためらいがちな声。
「ん?なんだ?」
慎也は訊いた。
「あしたも……送ってくれる?」
「あ、ああ。いいぜ」
「ほんと?!」
「ああ」
みゆきはうれしそうに、「約束ね」と言った。
「あ、そういえば」
今度は慎也が話しかける。
「おまえ、たれアライグマ、欲しいのか?」
「え?」
「昼休みにそんな話、してなかったか?」
少女は少し驚いたように、
「聞いてたの?」
「ああ、ちょっとな。それで、もし欲しいんだったら、おれんちに寄れよ」
「え?どういうこと?」
みゆきは怪訝そうに聞いた。
「あ〜、おれんちに、あんだよ。それ」
「ほんと?」
「ああ」
「なんで?」
「なんでって……」
慎也はちょっと言葉に詰まって、
「昔、買ったやつがあるんだよ」
「へえ、誰が買ったの?慎也?」
「悪いかよ?」
「う、ううん。そうじゃないけど……」
「何だよ」
「似合わな〜い」
少女はくすくすと笑い出した。
「おまえ、やらねえぞ」
「え?くれるの?」
少女が驚いていう。
「ああ」
「うれしい!」
慎也の答えに、みゆきは素直に喜んだ。
「そこで待ってろ」
慎也の家のリビングルームで、みゆきはソファに座った。
この場所に来るなんて、何年ぶりだろう?
「うん。待ってる」
そう言ってソファに腰掛けたみゆきを残して、慎也は自分の部屋に向かった。
その部屋に、たれアライグマは……もちろん無かった。
「よし、やるぞ!」
慎也は一声自分に気合いを掛けると、脳裏にたれアライグマ熱狂時代(?)を想い浮かべ、引き出しから取り出したラベンダーの香水を自分に振りかけた。
途端に視界が白く埋め尽くされる。
気がついた時には、デパートのおもちゃ売り場にいた。
そこに、大小さまざまな大きさのぬいぐるみがところ狭しと置かれている。大半が、たれアライグマ。
へえ、こんなに人気だったんだ。
と慎也は感心した後、あ、タイムリープ成功した、と今更ながらに思った。のもつかの間。
その場にいるたくさんの女子高生の、なーにい、この人、という冷たい視線を浴びた。
「うっ」
思わず逃げ出しそうになって、危うく踏みとどまった。
慎也は心の動揺を隠し、平静を装って、ぬいぐるみをひとつ手に取ると、一目散にレジに駆けつけた。
お金を払って、トイレに駆け込む。
何で、やっぱりトイレなんだか、と慎也は自分でもあきれた。
それでも、目的地(時間?)を想い浮かべ、ラベンダーの香水のにおいを嗅いだ。
「みゆき、悪い、待たせた」
そういって慎也がリビングに入って来たのは、出て行ってからまばたき三つ程の時間だった。
「うわ。はや!」
みゆきは驚いた声を出した。
「もう、取ってきたの…て、それ?!」
少女は慎也の腕の中を見つめて声を上げた。
そこに……ほとんど等身大のたれアライグマのぬいぐるみがあった。
「大きい〜、ていうか、大きすぎ?どうやって、貰って帰ればいいのよ?」
「え?あ?そうかあ?」
慎也は今初めて気がついたというように言って、頭をかいた。そして、
「あ、大きすぎるんだったら、代えてもらってもいいけど……」
「はあ?代えてもらうって、誰に?」
慎也は、みゆきに言葉に、自分の失言に気づいた。
「い、いや、嘘だ。えっと、俺が持って行ってやるよ」
「ほんとに?」
「ああ」
「でも、いいの?こんなの貰っちゃって?」
「ああ、いいんだ」
「でも、慎也の抱き枕じゃないの、これ?」
慎也は目を丸くした。
「はあ?違うよ。なにが悲しくて、たれアライグマを抱かなきゃ何ねえんだ?」
「あははは」
少女が楽しそうに笑った。
ちょっと怒った顔をしていた慎也も、つられて笑い出した。