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※ツイッターが最新ツールとして登場します。その時代設定でお読みください。


 ()()()(あゆ)()は掏摸だ。しかし自分は悪党ではないと思っている。なぜなら持ち金全部を奪うわけではないからだ。しかも女性からは奪わない。

(男なんてちょろい)

 今も心の中でほくそえみながら、鴨の前でわざとらしく躓いたところだ。

「だ、だだ大丈夫?」

「やだ、ごめんなさい」

 科を作るついでに、少しだけ両腕を内側へ押しやる。それだけで、もう男の視線は一か所に集中せざるを得なくなる。

 歩佳自慢の、Hカップ乳の谷間に。服装も、それがよく見えるよう胸元がくっきり開いたものを何日もかけて作った自信作だ。

 そうして視線を奪っている間に、仕事をこなす。

「ありがとうございます。大丈夫です」

「そ、それ、破壊魔暴走少女の新バージョンのコスだよね? すす、すごい完成度だ、写真撮らせてもらってもいいかな」

「ごめんなさい。限定で、どうしてもほしいものがあるの」

 こんな風に別の理由で食いつかれても、引き下がらせる術も心得ていた。限定なら仕方ないと肩を落とす男性に、

「また会場内で会えたら、その時に」

とそつないフォローを添えて、短いスカートと豊満な胸元を揺らして去っていく。あくまで急ぐふりを忘れずに。

「旧バージョンコスの子もいたから、できればその人と一緒に」

 鴨(過去形)が往生際悪く、その背に向かって上機嫌な声をかけた。意外にかわいい財布の中身がどうなっているかも知らずに、呑気なことだ。


 いくら百戦錬磨の掏摸とはいえ、こんなことを往来でやっていたらさすがにいろいろな点で見とがめられるだろう。

 しかしここは東京ビッグサイト。年に二度開催される大型イベントの大混雑の中に隠してしまえば、歩佳の行為に目を向ける者など皆無だ。

 誰もが、己の欲望のために前しか向いていないのだから。


「盗難が発生しましたー。注意してくださいー」

 人がごった返す会場を、プラカードを持った警備員が巡回していた。次の獲物を探してあてどなく彷徨っていた歩佳は、眉をひそめる。

「盗難? 危ないわねえ」

 あいにくと単独行動をしていたため、ツッコミ待ちにしか聞こえない歩佳の独り言を拾ってくれる者はいなかった。それが幸か不幸かは別として。

 イベントはまだ開始して一時間も経っていない。だというのに、もはや通路の先を見通せないほどの来場者数だ。しかもまだまだ増えていくだろう。歩佳は少しだけうんざりする。

(まったく、これだけ多いと取捨選択に困るってものじゃない。人がごみのようだってのはこういうのを言うんでしょうけど、あたしにしてみたらお宝の山だわ)

 イベントの一日は長いようで短い。さてもう一稼ぎと脳内で舌なめずりをしたところで、背後から手を掴まれた。

この場内に、彼女の知り合いたる人間はいない。ならばこんな風に引き止めてくる者は、会場内で知り合った人間に違いない。

(またカメラ小僧(カメコ)? もう、しつこいったら……)

「捕まえたぞ、泥棒め」

 しかし振り向いた先にいた男に見覚えはなく、しかも投げつけられた言葉は聞き捨てならないものだった。

「やだ、なんですか、あなた。ちょっと、離してよ」

「黙れ、お前を本部に連行してやる」

 突然立ち止まった二人のせいで通路の流れが僅かに緩慢になったが、しかしほとんどの人がやはり前しか見ていないため、迷惑そうな視線をよこす以、外彼らに注意を払う者はほとんどいなかった。

 しかしだからといって歩佳の心中が穏やかであるはずもなく。

(嘘、バレた!? このあたしが!? そんなヘマをするはず……!)

 だが仮にバレていたからといって、素直に負けを認める彼女ではない。今すぐ逃げなくてはと、正義感を両目に燃やす男に掴まれた手を力の限り振り回した。

「離して、離してよ! やだ、誰か! この人痴漢です! 痴漢ですー!」

「何、痴漢だと」

「彼女の腕を離せ、このけだものめ」

 途端に足を止めた体格のいい二人組の男性が男を取り囲んだ。それでも腕を離そうとしないので、強制的に引きはがしにかかる。

「な、ち、違う、こいつは泥棒で」

「ええい、わけのわからんことを」

「いや、待たれよ、同志。世の中には痴漢冤罪なるものがあるだろう」

 拘束を解かれたため早速逃げようとしていた歩佳は、男らの視線を浴びて一瞬だけ立ちすくむ。けれどすぐさますべきことを思い出して、自慢の乳を持ち上げるようにして両腕で己を抱きしめた。

「その人、あたしのおっぱい触った」

「よし、連行だ」

「本部に突き出してやる。うらやまけしからん」

「誤解だああああああ!」

「こういう奴にこそ天罰を食らわせるべきだ!」

「まったくだ、事故に遭われて欠席を余儀なくされた神の代わりに事故れ! 砕け散れ!」

 喚きながら連れられていく男を、通りすがりの人々は何事かと一瞬だけ振り向いて、けれどやはり興味など湧かないとばかりに顔を戻し、一心不乱に前を見つめる。その足取りを緩めることすら叶わない。皆、自分のことで忙しいのだ。

 だからこそ脇が甘くなるのだけど。


「捕まえたぞ、盗人」

 再び歩佳が腕を掴まれたのは、それから一時間も経たないうちだった。こってり絞られた跡がありありとわかる憔悴した姿だったが、その目に宿る正義感は依然変わらぬ熱さで健在だった。むしろ一度ひどい目に遭ったからこそ余計に、怒りをも追加してたぎらせているようにも見て取れた。

「またなの? いい加減にしてよ」

「ふん、また痴漢と叫ぶ気か? 無駄だぞ。本部にて俺の痴漢嫌疑は晴れた。むしろ今度はお前が厳重注意を受ける番だ」

「なんなのよ。あたしは何も盗んでなんかいないわ」

「嘘つけ」

 怯む歩佳に男は、人の行き交う東館から西館へ至る通路にて堂々たる仁王立ちを見せつけるように、ずばりと真実を告げた。

「お前が盗みを働いているところを俺はこの目でしっかと見たんだ。観念して俺に連行されるんだな」

「あたしは掏摸なんかしてない」

「……」

 こちらも堂々と、悪びれることなど一切なく告げた歩佳だったが、男は今の発言で言質を得たとばかりに、得意げに片眉を上げて見せる。

 歩佳がしまったと思った時には、もう遅く。

「今、会場内では別件の盗難も起きているんだが……俺は掏摸なんて一言も言ってないぞ」

「……そんなの、掏摸くらいあるでしょ、こんな人手なんだから」

「ある、とお前に言い切れるのか? 本部で聞いたわけでもないだろうに。見たところコスプレ参加のようだが……持ち物はその小さなポシェットだけで、同人誌は一冊も買っていないな」

「そ、そんなのあたしの勝手じゃない。たったそれだけであたしを掏摸と決めつけないでくれる? だいたい証拠でもあるっての?」

 間髪入れずに、彼女の目の前にずいっと四種の財布が突きつけられた。いずれも男物で、使い込み具合から見てもそれぞれに持ち主がいることが明らかだった。

「この人ごみで、どうしてもう一度お前を見つけられたと思う? 落ちていた財布を辿って行ったら、お前に巡り合えたんだ」

「うぐ……っ!」

「なぜお前の歩いた後には、足跡のように点々と財布が落ちているんだろうな? それはお前が、そのやたらだらしなくて際限なく膨れた脂肪の塊で男をたぶらかしている間に盗み取る掏摸だからだ。QED証明終わり!」

「……ぐぬうっ……」

「と、言いたいところだが」

 袈裟切りにされた悪代官のようなうめき声をあげた歩佳の腕を、その時になって男はようやく解放した。ここで離される意味が分からずに、歩佳は思わず困惑の表情を浮かべる。

「俺が拾った財布には中身が残っている。それもおそらく帰りの電車賃程度と思われるぐらいの。まあ、東京都内に限った話だがな。だが問題の掏摸は、盗んだ財布を丸ごと返さない輩ということだ。帰りの新幹線の切符も、免許証も、パスモも、タスポですら」

「あたしじゃないわ」

 自分でも信じられないほど低く呟く歩佳。掲げられた財布を下ろす向こうで、聞きとがめた男が小首をかしげるのが見えた。

「その否定はどこにかかっている?」

「その掏摸はあたしじゃない。あたしはそんな下品な真似しない」

「罪を犯しているという自覚はないのか? 掏摸に上品も下品もあるまい」

 歩佳は、開き直ることにした。胸を強調するためではなく怒りをあらわにするために腕を組んで、傲然と顎を上げる。

「あんたの看破した通りよ。あたしがやったことに関しては認めるわ。でもそれは、あたしじゃない。そんな下品は掏摸をあたしがやったことにされるなんて、我慢ならない。できるならばそいつの首根っこをとっ捕まえて、市中引き回しの刑にしてやりたいわ」

「自分のことは棚上げにしてずいぶん重い刑を処するんだな。まあそれはいいが……首根っこをとっつかまえたいのが自分ひとりだと思ってもらっては困る」

 こちらも挑むようにして、顎を上げる男。その時になってようやく、彼の背が歩佳と同じくらいだということに気づいた。

「やたら熱いと思ったけど、あんたもしかして中学生?」

「中学は四年前に卒業した! これでも社会人だ社会のごみめ。脳へ供給すべき栄養分を間違えてため込んだその醜いぶよぶよしたものをしまえ」

「醜いですって!? この至高のおっぱいになんてことを!」

「持ち上げるな馬鹿女!」

「御処野よ、おちびちゃん」

「……三条(さんじょう)(やす)(おみ)だ」

 馬鹿女と呼ばれるのが嫌で思わず名乗ってしまった歩佳だったが、後悔より先にもう一人の掏摸への怒りがこみあげてきて、気づいた時には差し出された手を強く握り返していた。


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