出会い
《クローネ・アイリス》
空のカップをすすって、クローネは昼下がりの光に目を細めた。
「……今日はここまでかな」
一滴だけ残っていたココアがカップの内側を伝い、クローネの口に粘つきを供給する。
自然と、溜め息がこぼれる。
朝からこの一杯だけで粘っていたが、さすがにもう限界だ。
カップをソーサーに置く。これで、今日の「日課」も終わり。
「このままじゃダメだよね。どうしたらいいのかな……」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりとそう呟いた。
◇
ここは、酒場『ポルカ』。ミディールの街の中央に位置し、街中の冒険者が好んで居座る有名な場所だ。
冒険の待ち合わせやパーティーの結成、前準備、打ち上げなどにもよく使用され、冒険者たちのギルドといった体をなしている。
クローネの「日課」は、毎朝このギルドにやってきて、「冒険パーティーへの参加希望」を出すことである。
プロフィールに必要事項を記入して提出すれば、一杯だけ飲み物がサービスされるのだ(店側はそのかわりに冒険者から仲介料を取って儲けているという寸法なのだが)。
日々の生活費にも苦労するクローネはこの一杯を最も栄養価の高いココアに使い、おかわりもせずに一日の半分を過ごす。
とはいえクローネとて、もちろん最初からタダでココアをせしめるためだけにそうしているわけでは決してない。
そう、冒険がしたいのだ。
パーティーへの参加希望を出せば、当然冒険者がそれを見つけ、声を掛ける。
雇う目的は、基本的には雑用や荷物持ちだが、腕の立つ者になると用心棒などを頼まれることもある。
冒険者は酒場に仲介料を払って希望者を雇う。そこで給料などの条件をすり合わせ、冒険に出る。
クローネだってそういう毎日を望んでここにいるのだが、「とある理由」のために、誰も彼女を雇ってくれないのだった。
◇
「……」
席を立つ間際に口が寂しくなり、無意識にカップを傾けてしまう。
当然中身は無い。
恨めしげに立ち上がりカップを置こうとしたその時、ソーサーに既にカップが置かれているのに気付いた。
しかも、ココアが並々と注がれている。どうして。
ふと顔を上げると、向かい側に見知らぬ男が座っていた。
若い青年、いや少年と言うべきか。あまり特徴の無い平凡な顔だが、短い黒髪にわずかに青みがあるのが印象的ではある。
「よかった、今日は間に合ったな」
少年はクローネに向かって人当たりの良い笑顔を浮かべ、そう言った。
「な、なんですか……?」
この少年とかつて会った記憶は無い。どう考えても初対面のはずだ。
クローネは警戒の色を視線に含めて彼を睨んだ。
「昨日もココア飲んでたから、好きなのかと。ダメだったか?」
「いや、そうじゃなくて、あなたは一体……」
「ああ、えっと、俺はユーロ。冒険者だ。君をパーティーに誘おうと思って」
「……えっ?」
時が止まった。
――一瞬、本当にそのように思えた。
「な、なんで私を」
「なんでって、プロフィールを見たんだけど」
当然のようにそう言って、ユーロと名乗った少年はプロフィールを机の上に置く。確かにそれはクローネが提出したものである。
「あ、ココアは飲んでね。俺からのサービスだから」
「ありがとう……じゃなくって!こんなプロフィールのどこを見て――まさか」
プロフィールといっても、その人間についての必要最低限のことしか書かれていない。
名前と性別、おおまかな容姿、戦闘力や冒険知識やサバイバル力などの自己評価、そして――、『スキル』。
「それはもちろん、スキルで選んだよ。それが基本だよな?」
冒険において最も重要なのは、戦闘力でもサバイバル力でもなく、このスキルなのだ。だから、ほとんどの冒険者は仲間を選ぶ際、スキルを判断基準にする。
スキルというのは、簡単に言えば、その人の能力のことだ。ただし料理ができるとか釣りが上手いとか、そういう次元の話ではない。
その人間のみが持つ、常識を超えた固有の能力。
例えば火を出現させるとか、目的地への道を検索するとか、透明になるとか、魔獣の動きを封じるとか、そういった類。
そして、プロフィールなんてものは、実はこのスキルを見るためにあるのだった。
冒険者は自分の目的に合ったスキルを探し、冒険に雇う。スキルが有用ならば、その者は多くの冒険者に重宝される。逆にスキルが無用の長物ならば――。
「あ、あの、私のスキルは……役に立たたないんじゃ……」
まさに、それこそがクローネが雇われない理由だった。
彼女のスキルは、『魔獣の言語を理解することができる』能力である。
独特で類を見ない能力ではあるが、決して重宝されるものではない。
魔獣は、冒険者に襲い掛かり、その命をいくつも奪ってきた。そんな、冒険において危険な障害物でしかない、殺しあうべき対象の言葉が理解できたところで、何の役に立つはずもない。
仮に魔獣関連の能力にしても、魔獣を操るとか、遠くからでも魔獣の気配が分かるとか、そんな能力だったらある程度は重宝されていただろう。
だが、クローネの能力の対象は、あくまで普通の人間の耳にも唸り声として聞こえるものだけ。それを意味のある言語として解釈できたところで、「去れ」だとか「死ね」だとか言っているに過ぎない、意味のないものなのだ。
いや、例え意味のあるものだとしても、少なくともプロフィールを見る冒険者には、意味がないと捉えられる。それが何度も経験した、クローネにとっての「当たり前」だった。
だったのだが。
そんなクローネの能力に対し、ユーロはこう言い放った。
「いやいや、このスキルでないと駄目なんだよ。こんな能力の持ち主を、俺は探してたんだ」
開いた口がふさがらないとは、まさにこの事だろうか。
クローネは一瞬、それが自分のスキルであることも忘れ、こんなスキルを評価するこの男は正真正銘の馬鹿なのだろうかと呆れ返ってしまった。
しかし。その一歩後に遅れて出てきたのは、
「……あ」
涙、だった。
「お、おい。どうした?大丈夫か」
「っ……う……なんで……っ?」
自分でも、わからない。いつの間にか頬を伝っていた。何故泣いているのだろう。どうしてこんなにも心が動かされるのだろう。
今さっき出会ったはずの、この見知らぬ少年の言葉が、何故こんな純粋に嬉しかったのだろうか。
スキルはその人間の心の結晶だ、とよく言われる。能力の中身は決してランダムに手に入るものではなく、本人の深層心理に応じて与えられるらしい。
ならば、魔獣の言葉がわかる能力とは、クローネ自身も気付いていない無意識の人格を表しているのだろう。
ユーロの言葉は、見事にその無意識の心の死角を打ってしまった。
スキルが必要とされること。それは、自分自身が必要とされることでもあるのだ。クローネはその言葉の意味を、今初めて心から理解した。
「なんで……どうして」
「おいおい、もしかして冒険に出るのが嫌なのか?まさかココアだけ貰いに来てたとか?」
「ち、ちがうよっ!」
ずれながらも微妙に間違ってない所を突く嫌な言葉に、クローネの涙は醒めかけた。
今まで泣いていたことをごまかすように、やけになって答える。
「行くよ!行きます!私の力が必要とされてるのなら!」
「お、おう」
なぜかユーロが引き気味になった。
「んじゃ、日が暮れるまでに戻りたいし、すぐにでも出発しよう。場所は西の森。内容はアイテム収集だ。それでいいか?」
「アイテム収集?」
争いはできれば避けたいクローネとしては、それは願ってもいない条件だった。
「ああ、ちょっと気になるものがあって。まあ向かいながら話すよ」
そう言ってユーロは席を立った。
「わかりました」
クローネもココアの飲み残しを一気に飲んで、席を立つ。ああ、こんなに贅沢な飲み方をしたのは何年ぶりだろう。
ユーロの後に続きながら、クローネは人知れず幸せな余韻に包まれていた。




