征服者とニーアの覚悟
「――ッ!?」
ニーアが振り返る。
そこに、悪魔が居た。
紅い瞳。鴉色の塗れたような髪、金色の鎧からは殺気とも狂気とも付かない、圧倒的な存在感が漂っている。
「……す、スローター……」
ニタリと大きく発達した八重歯が――それこそ猛獣の牙のようなサイズのそれが――垣間見える。
「ッ! スロータアァァァ――ッ!!」
事務官が腰ベルトから何かを取り出す。
響くのは甲高い音。
「MP-443(グラッチ)か? 悪くない銃だなァ」
左胸を正確に打ち抜かれたはずのスローターにダメージはない。<女王蟻>の装甲板はちゃちな9ミリ弾丸など通しはしない。対物クラスの12.7ミリでさえ難しいだろう。与えられるのは僅かな衝撃――もちろんタクムにとっては――だけだ。
カツカツカツ、そんな音が病室に鳴り響く。
足跡に合わせるかのように銃声とそれを弾く音が聞こえる。
事務官がじりじりと下がる。既に弾丸は切れている。それすら分からず、引金を引き続ける。事務官、とはいえ将来を嘱望されるニーアに付けられる事務官だ。麗しい容姿をしてはいるが、かなり優秀なエージェントであった。
「邪魔だぞ、三下ァ!」
「――ヒッ」
事務官が尻餅をつく。
戦闘者としての格が違っていた。
「黙っていろ」
その首をタクムは刎ねた。
「あ……」
ニーアが止める間もなかった。ただ作業のように、煩わしい羽虫を刈り取るかのような仕草だった。
――悪魔……。
ニーアの心が折れていく。彼女の能力は指揮官、あるいは参謀として特化している。高レベルではあるが、その戦闘能力はそこらの開拓者にも及ばない。
「やあ、会いたかったよ、ニーア・チェルツコア」
壁際に追い込まれるニーア。タクムはそろそろと腕を伸ばすと、患者着の胸元を掴んだ。
瞬間、
ぐるりと反転する世界。
唯一の優しさは硬い床ではなく、ベッドに叩き付けられたことだろうか。
「けふっ……かふ……」
「ニーア、二つに一つだ。決めてくれ」
タクムは眉間に<コルト・ガバメント>を突きつけた。
「死ぬか、生きるか」
「ヒッ……」
つっと銃口が体を這う。額から頬、首筋、心臓、そして薄い布切れの上でしっかりと自己主張する左乳房の上で止まった。
「苦しみ抜いて死ぬか、俺のものになるか」
冷たい感触。
冷たい視線。
まるで物を見るかのような瞳。
「ヒッ、イヒ……ヒヒ……」
他人の視線には慣れていた。いやらしい、獣欲に近いそれには慣れていた。
けれどこんな視線は初めてだった。
死ぬか、生かすか。彼には本当にどうでもいいのだろう。自分に従うなら生かす、少しでも反抗するというならその場で後顧の憂いを払うために、殺す。しかも考えられうる限り、最も残酷な処刑をするであろう。
それがソフィスト軍に影響を与えることを、この冷徹で知性的な獣は知っているのだ。
怒りに震えようが、絶望に暮れようが、感情を崩すことさえできれば後はどうとでもなると思っているのだ。
それをきっかけにしてソフィスト全軍をコントロールするのだろう。
――敵わない……彼には、きっと……誰も……。
「分かり、ました……今から私は貴方のものです……」
このまま彼が暴走を続ければ本土のほうまで戦火は及ぶ。
ニーアのすることは一つだ。
この男を収めること。
荒れ狂うスローターを鎮めること。
入隊からずっと忌避していた初めて長所を使うつもりになった。
――例えこの身が汚物に塗れようとも、私は絶対、絶対に……。
守ってみせる。
強い視線でニーアは見た。
悪魔を。
支配者を。
征服者を。
スローターはサファイアブルーの瞳を見て、ぽつりとこぼした。
「あ、やっぱいらね」
ニーアは死んだ。




