隣人
それは些細なキッカケだった。
「あの……回覧板です」
冬だというのに、ランニングにブリーフの格好の隣人は、『それ』を受け取ると不気味に口角を上げた。手渡し足早にその場を立ち去るが、あの何とも言えない笑い顔が、脳裏に焼き付いてしまった……。
翌日、その隣人宅の前を通ると測ったかのように鉢合わせる。「昨日はどうも」「いえ」私は目を合わせず、速歩きで、通り過ぎようと、かつ隣人に対して失礼の無きよう。しかし、気遣いと言うより自己保身。
「あの、奥さん。昨日これ落としましたよ」
振り返ると、彼は、私のハンカチを持ってニヤついていた。
「ど……どうも」
人差し指と親指で摘まむように受け取る。
取るや否や、その手首が掴まれ、男の胸元に引っ張り込まれる。次の瞬間には唇が重ねられた、ネットリとした感触に全身がささくれ立つ。(なに、なに)
必死に引き剥がそうとするが、その抵抗は強い力で抑える込まれる。
(そんな……何でこんな事をするの……)離してとも喋れない、私は首を掴み強く爪を立てる。「ん……ん……」
男の力が緩むと、私はその場に崩れ落ちる。
「馬鹿にしやがって!」
彼は言葉を吐き捨てると、倒れた私の腰あたりを蹴りつけた。「っ痛」
再度、馬鹿にしやがって、と男は言い、そのまま家に入って行ってしまう。
冬の空、夕暮れどきの赤い太陽が見える。呆気に取られ。
私は何がどうして 、こうなったかを必死に考えたが、ひたすらにループするだけで答えらしきものすら出てこなかった。
【終わり】