第二章
手入れの行き届いた庭園。
草花に残る朝露に美しい金色が揺れる。
朝の庭園の空気は、執務前の良い気分転換になる。
エルディア国の第一王女……リリア姫は、ゆっくりと庭を歩く。
青々とした草花の香りがぼやけていた意識を目覚めさせてくれる。
「今日も良い天気ね……」
雲一つない青空。気持ちの良い朝の空気。
これで煩わしい執務がなければ完璧な一日なのに……と教育係に知られれば、叱咤されてしまいそうな考えを思い浮かべて、口元を綻ばせてしまう。
「……今朝の予定はなんだったかしら?」
考えはしたが、王族として勤めは果たさなければならない。
「本日の第一の予定は、エルディア第二騎士団、騎士団長殿がご出立前のご挨拶にいらっしゃいます」
「まあ……!」
やはり今日は良い日なのかもしれない。
朝一番に彼に会えると、浮き足立つ内心を抑えて、侍女に言葉を返す。
「出立……戦の話は聞いていないわ」
「ええ。戦ではなく……隣国への」
「……隣国?」
隣国であるグランヴェルド国は確かに野心の強い王が治めており、エルディアとの関係性も友好国とは言いがたい。
しかし、そんな国に悪戯に騎士団を派遣して、国家間の仲を刺激するようなことはない筈だ。
ましてや、平和を脅かす存在……魔王は伐たれたと聞く。
ならば、いったい何のために騎士を派遣するというのか……。
「隣国の王都って……」
「一日で……人が」
「もう誰も残ってないとか……」
リリアの専属侍女の後ろに控えている侍女やメイドが小声でひそひそと話し始める。
すると、リリアに柔らかく微笑んでいた専属侍女が急に後ろを振り返り、焦ったように彼女たちに声をかける。
「貴女たち……姫様の御前よ」
いつもの注意とは思えない侍女の様子に何故だか胸の奥がざわめいた。
リリアが話を聞き取るよりも前に、専属侍女が厳しい声色で嗜めれば、噂話は打ちきられてしまった。
庭の散策を終えて戻ろうとした時、リリアの目に精悍な騎士の姿が飛び込む。
「……ご機嫌よう」
「王女殿下に拝謁賜ることが出来、光栄でございます」
騎士の礼を取る彼に、にこりと微笑む。
髪は乱れていないだろうか、もっと化粧を丁寧にして貰えば良かっただろうかと、焦る内心を圧し殺して王族として振る舞えた自分を誉めてやりたい。
「第二騎士団が隣国へと派遣されると伺いましたわ」
「我が国エルディアのために……そしてリリア姫、貴女に見合う騎士として、この剣を振るって参ります」
頬が紅潮し、胸の鼓動が全身に響いていく。
王族としての立場など捨てて、この場で彼にこの気持ちを伝えられればどんなに良いだろうか。
「……貴女のような騎士を持てたことは我が国の誇りですわ」
王族であることの重さを理解しているリリアは品の良い王女様として彼に答える。
「……少しだけ、庭を歩きませんか?」
「……ええ、勿論」
エスコートのためにと、差し出された彼の手を取る。
このまま胸の鼓動までもが彼に伝わってしまわないか……いっそ伝わってくれれば良いのにと考えてしまう。
「段差があります。……ご注意ください」
「ええ……あ……っ」
彼に取られた手を軽く引かれて、リリアはバランスを崩してしまう。勿論、その身体は予定調和とばかりに彼の腕に支えられる。
「……必ずや武功を立てて、貴女を迎えに参ります。その時には貴女のその金の髪に映える緋の髪飾りを用意します。……受け取っていただけますか?」
エルディアでは緋色の髪飾りは特別な意味を持つ。
それはつまり……。
「アルド……お待ちしております。貴方のご無事を祈っておりますわ」
「……必ずや」
真摯な低い声と真剣な眼差しが、リリアの胸の内を包み込んでいく。
名残惜しいが侍女に咎められる前に、身体を離し、王族としての立場に戻る。
「……ご無礼を致しました」
彼を許すように頷きを返し、手を離す。
先程までの寂しさはない。
彼は自分を迎えに来ると、そう、約束してくれたのだから。
城内に悲鳴が響き渡る。
美しかった絨毯は赤に濡れ、綺麗に磨かれていたガラスは割れ、壁は煤けている。
明るかったあのメイドは床に転がっている。
厳格だったあの教師は、無惨に切り裂かれている。
愛しい彼は……隣国から戻ってくると言っていた、迎えに来ると約束したあの騎士はここにはいない。
「姫様……! 早くお逃げくださ……っ!!」
今、目の前で燃やされたのはリリアの専属侍女だ。
どうして……何が起こっているのか分からなかった。
いつもの日常が、平和が……リリアの愛する国が、人が壊れていく。
ローブの男がリリアに剣を向ける。
剣の心得などないリリアにはどうすることも出来ない。
逃げても後ろから斬られてしまうだけだろう。
「なぜ……」
ならば、とリリアは口を開く。
「何故、このようなことをするのですか……」
本当は、恐怖と悲しみのままに、泣き崩れてしまいそうだった。
しかし、そうしない……出来ないのは、知るべきだと考えたからだ。自分の国がどうして滅ぼされようとしているのか……王族でありこの城の最後の生き残りであるリリアにはその義務があると考えた。
「戦う力もない、貴方に何かしたわけでもない……罪のない人間を……どうして!!!」
戦争で命が奪われるのは、悲しく辛いが理解できる。お互いに大切なものを守るためには綺麗事だけではいられない。
それでも、今の状況は違う。
目の前のローブの彼が城内の人間を、この国の人間をこんな風に殺す理由などない筈だ。
「どうして……」
「世界が、間違っているからだ」
リリアの言葉を遮るように返された男の言葉を理解出来なかった。
リリアは黙って男の目をみる。
自分を正当化しているわけでも、殺しを楽しんでいるわけでもない。
彼の目に写るリリアはあまりにも……無機質だった。
人が人を見る目ではない。片付けるべき塵を処理している……そんな目だ。
「……化け物」
リリアの言葉に男がピクリと反応する。
「貴方は……人間ではありません」
「……そうか」
肩から腹にかけて、とてつもない熱さが走った。
一拍遅れて、男に斬り付けられたこと、体験したことのない痛みがリリアを襲った。
「……やっぱり、間違いだったな」
床に倒れ、苦しみ傷口を抑える。
真っ赤な血液が全身を濡らしていく。
自慢だった金色の髪が赤く染まっていく。
約束したのに、待つことが出来なかった……彼は許してくれるだろうか。
「……全員死んだのか?」
「ああ……こいつで最後だ」
誰かと話しているらしい男の声が聞こえる。
目も霞み、会話もよく聞き取れない……だが、もしこの城に生き残りがいたのならば。
「……いき、て……」




