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月へ、届くまで

「月にでも……」


 あの日から一週間。私は毎日、亨おじさんのラボに忍び込んでは、アポロ軽11号のシートに座っていた。

 目を閉じて、想像する。美しくて冷たい、灰色の世界を。


 亨おじさんが突然消えた夜。私は、ガレージのどこかに亨おじさんが隠れているのではないかと、捜し回った。

 でもいくらごちゃついているとはいえ、狭いガレージの中におじさんが隠れられる場所なんて限られている。シャッターの鍵も内側から閉められたままだった。

 捜しているうちに、外から音がしなくなった。お母さんとお父さんが別の場所へ移動したらしい。私はシャッターの鍵を持って、ラボから出た。


 亨おじさんはまだ見つかっていない。

 相変わらずおばあちゃんは亨おじさんの話をしないから、捜索願を出しているのかどうなのかも、私には知るすべがない。そもそもいなくなったのが成人の場合は、特殊な事情がないかぎり、警察も捜してくれないらしい。

 持ち出した鍵でたまにラボ、もといガレージに出入りして、亨おじさんの痕跡を捜した。でも、ゴミ袋に捨てられているあの日のお弁当のパッケージが、亨おじさんの最後の足跡だった。


 私は、ひとつの結論に辿り着いた。

 亨おじさんは、月に永住してしまったのだ。


 月は空想の世界だったはず。亨おじさんが、本当に永住してしまうはずがない。隣で目を瞑っていたはずなのに。

 でも現実として、彼は、地球から消えてしまった。


 なにがきっかけかは、分からない。きっかけがあるとすれば、私だろうか。私があの人を「特別な人」だなんて言ったから。

 あのとき、滅多に笑わない亨おじさんが、少し頬を綻ばせた。彼の中でなにか区切りがついてしまったのだろうか。そんな想像を、勝手に膨らませた。


 アポロ軽11号の助手席で、私は目を開けた。どれだけ月をイメージしても、不思議と、亨おじさんがいた頃のような没入感がない。どこまでいっても、ただの想像の域を出られないのだ。


 ラボの床にはいろいろと書き込まれた紙が落ちている。それは機械の設計図とか、エネルギーを生み出すための計算式とか、私にはちんぷんかんぷんの文書である。

 唯一、アポロ軽11号の構造を描いた図は分かった。それを頼りに、ボンネットを開けてみる。

 中は、一般的な車の構造とは違っていた。見たことのない機械が積まれ、詰め込まれ、微かな唸りを上げている。

 

 月は空想の世界だったはず。

 本当に?


 実は亨おじさんは、あれでいて天才科学者だったのではないか。彼は本当にこの廃軽自動車を改造して、目を閉じているうちにだけ月に飛べる、奇跡の宇宙船を作ったのではないか。


 嘘みたいな話だが、そうだとしたら、辻褄が合う。彼はこのアポロ軽11号のメンテナンスを私に託して、自分は月に残ることを選んだ。地球での「亨おじさん」という存在を捨てて、月で新たな姿で、新たな人生をスタートさせているのだ。


 もうちょっと考えてほしかった、とか、いなくならないでほしかった、とか、言えない。

 私が思うよりたくさん考えて出した結論なのだろうから、彼のことをちょっとしか知らない私が、口を挟んではいけない。

 ただ私にできるのは、亨おじさんの言葉を信じること。


『バカ共を見返せ』


 これからたくさん勉強して、天才科学者になる。亨おじさんに託された、このアポロ軽11号を引き継ぐ。宇宙工学を学んで、これを操作ができるようになったら、今度は私が運転席に座る。

 そして、亨おじさんに会いに行く。


「そのためにも、学校にでも行くか」


 月に届くには、並大抵の努力では足りないから。亨おじさんの言う「バカ共」に足を引っ張られている場合ではない。

 私はシートに深く沈んで、アポロ軽11号の薄汚れた天井を見上げた。

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