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太陽

 ワールド・ダンス・コンテスト用の振り付けと、演出が決まった。ここから大会の日までに、研ぎ澄ませて完成に近づけていく。

 練習は、事務所が所有するスタジオで行う。ステージの規模や照明機材の位置などを、本番の舞台に近づけて、シミュレーションする。

 照明の位置を確認する蜜井さんに、僕はふいに尋ねた。


「照明機材、アテネの舞台にセットされてるものを使うんですよね。日本で使ってる照明と勝手が違うけれど、問題なく顔を隠せますか?」


「そこは少し不安があってな。実際に行ってみてリハーサルしてみないと分からない。こっちの機材を持ち込めればいいんだがな」


「そうでしたか」


 まあ、蜜井さんは照明の魔術師だ。どんな場所のどの機材でも、上手く顔を隠してくれるだろう。


 そう、信じていた。


「翼、舞台セットを組むまで、少し休憩していてくれ」


 蜜井さんに言われ、待機用のパイプ椅子に腰を下ろした。水分補給をして、隙間時間にスマホをチェックする。

 羽鳥先生や、母さんを預けている施設から連絡が来ていないか確認しておく。それから「ダンサー・イカロス」でエゴサーチもした。


 そのとき、僕は見つけてしまった。とあるSNSアカウントが、画像を貼り付けて投稿している。


『このシーン、明るさを調整したらちょっと顔が見えた』


「……えっ」


 ひゅっと、血の気が引いた。貼り付けられている画像は、動画サイトに投稿したダンス動画の切り抜きだ。

 本来の動画ではしっかりと、顔を光で飛ばしていたはずなのに、貼り付けられている画像では薄っすらと目鼻立ちが浮かび上がっている。


 心臓がばくばくしている。

 落ち着け。この程度のぼんやりした見え方なら大丈夫だ。殆ど見えないではないか。僕の顔に見えない。

 親父の面影なんて、見えない……。


 震える指で、画面をスクロールする。

 ネット上には、イカロス特定班を名乗る人たちがいる。顔を見せない僕の正体を暴こうとする人々だ。でも、的外れなことばかり言っていて、本当に流出する恐れはないと、蜜井さんが言っていた。

 先程の明暗を調節した画像を、他のアカウントが加工して貼り付けている。より顔をくっきりさせようと、コントラストや色味を弄っている。

 さらに別の画像では、驚くほど鮮明に顔を描き出されていた。


『薄っすら見えてる画像を元に、イカロスの顔をAIで生成してみた』


 呼吸が乱れる。照明に照らされている舞台でもないのに、踊っているとき以上に、汗が滲んでくる。

 AI生成された顔は、あまり似ていなかった。大丈夫だ。全然僕ではない。これならバレない。大丈夫、大丈夫……。

 頭ではそう思っているのに、動悸が収まらない。

 今回は、生成の元になった画像が不鮮明だったから、精度の悪い再現になっただけだ。これがもっとくっきりと顔の造りが分かる画像だったら――。

 SNSの特定班たちが盛り上がっている。

 

『動画投稿が始まってから三つ目アップされてた動画、いつもよりライティングが薄いかも』


『五つ目の動画だと、顔の向きが変わる瞬間に上手く停止するとちょっと目元が見える』


 まずい。まずい……。借りていた日の光の力が、奪われていくような気がした。


 パイプ椅子に縮こまって震えていると、聞き慣れた声が僕を呼んだ。


「翼」


 一瞬、親父の声と聞き間違えた。

 心臓がきゅっとして、そのまま止まったかと思った。


 僕を手招きしているのは、もちろん死んだ親父なんかではなくて、蜜井さんだった。


「セッティングができた。一旦、通しで踊って、本番どおりに照明を当てよう」


「あ……」


 そうだ。親父はもういない。僕はイカロスだ。人殺しの息子ではなくて、ダンサーとして、世界へと羽ばたこうとしているイカロスだ。

 蜜井さんがこちらに歩み寄ってきて、僕の顔色を覗き込んだ。


「どうした、すごい汗だぞ。さっきまで普通だったのに、随分と血色が悪い。どこか痛いのか?」


「あ、い、いえ……」


 声が掠れてしまった。


「大丈夫です」


「無理するなよ。体調が悪いなら今日は休んでもいい。最近、忙しかったからな」


「大丈夫です。踊らせてください」


 休んでいる暇はない。踊らないと。踊らないと、ここより高い空へ行けない。

 スマホはしまって、僕は舞台の中央に立った。深く息を吸う。蜜井さんが心配そうに見ている。不安げな面持ちのまま、照明をふわりと調節した。


「いいんだな。じゃあ、頭から行くぞ」


「はい」


 切り替えろ。僕はイカロスだ。


 この舞台のテーマは、イカロス。演目のタイトルは、「飛翔の奇跡」。


 僕は、自分が世界大会への切符を掴むまでの、軌跡を辿った。

 人殺しの息子だった僕を、もう一度、光の当たる場所へと導いてくれた人。ゼニスブルーが見えそうなところへまで飛ばしてくれた、そんな人たちがいて、僕は今、踊っていられる。


 一音目が入った瞬間、照明の強さが変わった。下を向いた僕の顔が、ちょうど陰になる。

 ゆっくり顔を上げると同時に、右腕を上げて、腕で顔を隠す。右腕を払うより僅かに先に顔を背け、後ろを向く。

 光と影が交錯する。太陽に挑むイカロスは、凛として空へと挑む。夢を追う者の危うさと美しさを、舞に宿すのだ。


 降り注ぐ照明の眩しさに、目が眩む。少し、暑い。

 頭がくらっとした瞬間、目に焼きついたスマホの画面がフラッシュバックした。


『このシーン、明るさを調整しタラちょっト顔が見エタ』


 ひゅっと、呼吸が乱れた。足がもつれる。しかし無様に転ぶ前になんとか姿勢を戻し、リズムを取り直した。


 大丈夫、イカロスは勇気を出して空を飛んだ。

 神話のイカロスは、鳥の羽根を蜜蝋で固めた翼を背負って。僕は、応援してくれる人たちの期待を背負って。それぞれの天空へ、飛び立つ。


 バックを流れる音楽が、壮大に盛り上がっていく。照明の光が僕を包み込む。

 また、頭の中にノイズが走った。


『薄っすら見えテル画像を元ニ、イカロスの顔ヲAIで生成シテミタ』


 うるさい。邪魔するな。

 胸の奥がざわざわする。掻き乱されて、集中できなくなる。

 僕は意識的に、音楽に耳を傾けた。余計なことは考えるな。今は踊れ。蜜井さんが正確に照明ワークを組めるように、正確に踊れ。

 この舞台の上では、僕は翼を手に入れたイカロスだ。より高い空を目指して、その翼で飛び立つ青年。


 急に、耳に親父の声が蘇った。


「翼」


「ひゅっ……」


 呼吸ができなくなる。

 違う。僕はイカロスではない。人殺しの息子だ。人殺しの息子が世界の舞台で活躍しようなどと、烏滸がましい。被害者遺族はもちろん、あの事件を知る全ての人が、許すはずがない。

 いや、僕はイカロスだ。太陽に挑む青年だ。自由の翼を手に入れて、どこまでも行くんだ。

 だめだ。そんなの許されない。

 やめてくれ。僕はいつまで許されない?

 自分の父親がなにをしたか、考えろ。一生許されない。


「う……あっ……」


 体幹が崩れた。脚がガクガクする。汗だくになって、僕は舞台に膝をついた。蜜井さんが駆け寄ってくる。


「大丈夫か。やっぱり体調が悪いんじゃないか。今日はもうこれで終わろう。休め、翼」


「違う、違う……! 踊るんだ……踊らせて……許して……」


「翼!」


 蜜井さんの声がする。僕は錯乱する頭を抱えてぶんぶん振ったあと、がしっと、蜜井さんにしがみついた。


「光が弱い!」


「えっ……」


「イカロスが目指したのは、太陽だろう!? 太陽なのに、光が弱すぎる。これじゃ、顔が見えてしまうじゃないか!」


 この光量ではだめだ。写真を切り抜かれて、顔を特定される。親父の面影が、蘇ってしまう。


「世界じゅうの人が注目する大会で、顔が見えてしまったらどうするんですか!」


「落ち着け。今回は通し練習だ。あくまで全体を確認するための……」


 蜜井さんが僕の肩に手を置き、宥めようとする。


「今日は翼の具合が悪そうだったから、刺激が強くなりすぎないように照明を暗めにしたんだ」


「そんなんじゃ太陽じゃない! 太陽で照らしてくれないと、僕はイカロスになれない。ちゃんと本番どおりにやってください!」


 不安が押し寄せてくる。アテネの舞台の照明が、思ったように動かなかったら? 光量が足りなくて、世界に顔を晒してしまったら?

 舞台でスポットライトを浴びる人間が、人殺しのあの男と同じ顔をしていたら?


「もっと……もっと光を。もっと眩しく、熱く、最大限に。太陽なんだから!」


「分かった。分かったから落ち着け」


 蜜井さんはまるで、駄々をこねる子供をあやすように、僕の背中をトントンと叩いた。それから機材のコントロールに戻り、照明機材を操作した。吊るされている照明が、ぽわ、と、少し明るくなった。


「これでいいか?」


「足りません。もっと。もっとです」


「翼、これは練習だ。私しか見ていないんだから、顔を隠さなくてもいい」


「足りない! 僕はイカロスを表現するんだから、照明は太陽を表現してくれないと!」


 僕は舞台を飛び降りて、蜜井さんが操作するパネルを触った。イカロスが挑んだ光を、ここに再現する。蜜井さんを押しのけて、光量を最大にした照明を、全部同じ方向に向ける。

 照らされた舞台は白飛びして見える。これなら、照明の光の真ん中に立てば、顔を見せなくて済む。


「ラストシーンの、見せ場のとこ……このくらい明るくしてください」


 息を荒くする僕に、蜜井さんが首を横に振った。


「翼、やめなさい。こんなに明るいと、目が悪くなるぞ。それに舞台が熱くなりすぎる」


「太陽は眩しくて、熱いものです。それじゃあ、もう一度、頭から」


 僕はひとつ大きく息を吐いて、また、舞台に立った。光が直に照りつけてくる。暑い。眩しくて、なにも見えない。暑い。暑い……。

 僕の気迫に押し負けて、蜜井さんが音楽を最初から流した。僕は踊る。音と光と影と手を取り合って、肉体で物語を表現する。照明は本物の太陽のように熱を帯び、僕の影は舞台に焼きつけられた。


 ステップを刻み、リズムに乗って床を軽やかに踏みしめる。腕を広げ、ピルエットで体をひねると、照明が渦のように僕を包み込んだ。

 伸ばした手指で宙を切り裂き、心で音を追いかける。シャッセを繋げ、流れるように前へ進む。

 強い光の中で、汗をかく。眩しくて周りが見えなければ、雑音も消えた。僕は組まれた振り付けに身を委ねながら、光の熱を浴びていた。もっと眩しく、もっと影を濃く――この顔を隠して、僕をイカロスにしてくれ。


 音楽が最高潮に達した。ここが見せどころだ。蜜井さんの、渾身の演出。

 左足の爪先で立ち、体を反らせる。体幹で魅せる、飛翔の表現だ。ミストが降り、照明器具が角度を変え、光の濃度が強まる。光の反射を利用して、僕の背中に翼を授ける。


 大翼を広げたイカロスは、遥か空の彼方、太陽を仰ぐ。

 僕は天井の太陽――眩しく照らす照明器具を見上げた。そしてその眩い光に、目を細める。


 バチッと、なにかが弾けた音がした。

 照明の周辺だ。バチ、バチ、とショートする音がする。太陽が火花を散らしている。ああ、まるで太陽フレアだ。

 そう思った次の瞬間、頭上の照明が異様な唸りを上げた。ぐらりと揺れたそれが、金属が軋む音とともに、軌跡を描いて落ちてくる。


「翼……!」


 蜜井さんの声が、聞こえた気がした。


 灼けるような光と鉄の塊が僕の顔を掠めた。

 熱が皮膚に突き刺さる。額から頬にかけて、焼けつく痛みが走り、視界が白く弾ける。


 古い白熱電球の照明は、表面温度が百度を超える。絞り出した最大エネルギーと、燃えるような熱が、老朽化した部品にダメージを与えたのだろう。


 太陽が、落ちてきた。

 蜜井さんの悲鳴が遠くで響くのに、僕の耳には自分の心臓の鼓動しか届かない。




 翼を手に入れたイカロスは、その奇跡の力で、太陽を目指した。


 だが光は夢を与えると同時に、夢を焼き尽くす。

 作り物の翼を背に、彼は太陽へと近づきすぎた。

 鳥の羽根を蜜蝋で固めた翼は、太陽の熱で溶けてしまう。




 舞台がじりじりと燃えていく。呆然と膝をつく。視界が、霞む。届かない光に焦がれるように、僕は息を吐きだした。


「眩しい……」


 イカロスは太陽に届く前に、翼を失って、空から墜ちていくのだ。

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