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飛翔

 蜜井さんは、ダンスと照明が織りなす舞台に、可能性を見出した。


「翼、いや、イカロス。次のステージはサイバネティクスフェスだ。屋内ステージの出演権を取った」


 蜜井さんが新しいステージへと、僕を解き放つ。


 サイバネティクスフェスは、機械工学と芸術・音楽の融合、未来感溢れるステージを題材にしたイベントだ。僕の舞台も、その世界観に合わせたダンスに変わる。


 舞台に立つと、僕の足元が、眩しい蛍光グリーンに染まった。

 ステージは脈打つように光り、影が断片的に僕の輪郭を切り取っていく。ビカビカと瞬く照明は、まるで電子の嵐。僕の体はその中で、機械仕掛けの鳥のように動き出す。カクカクと硬いロボットダンスを取り入れ、人間らしくない動作を筋肉で再現する。

 体をひとつ捻るたび、蛍光の残像が空間に線を描く。足を踏み込むたび、床が光を跳ね返し、僕の影が幾重にも重なって踊る。直接の照明だけでなく、衣装の色による反射も利用して、顔を光と影で覆い隠す。

 観客の目には、僕の顔は見えない。ただ光と影の中で、僕の体だけがリズムを刻んでいる。

 サイバーな光の渦に包まれながら、僕は未来都市の空を翔ける幻影になる。


 サイバネティクスフェスの映像は、全国へ配信された。先日の芸術祭以上に幅広い層に観られ、SNSでも「イカロス」がトレンド入りした。

 不織布マスクで顔を隠して買い物に出かけたら、すれ違った女子高校生たちがキャッキャとお喋りしていた。


「知ってる? イカロス」


「ネットで見た! 超かっこいい。あたしファンになった!」


「顔が見えないんだよね。でも横顔のシルエットがめっちゃきれいだし、絶対ビジュアル良い」


「顔見せしないかなー」


 舞台芸術の界隈だけでなく、普段ダンスを見ない層にまで浸透している手応えがあった。



 どこぞのイベント会社が話題を聞きつけて、事務所にオファーが来た。


「今度はジャズピアニストのコンサートで、コラボレーション企画だ。ジャズダンスは初めてじゃないか? いけるか、翼」


「はい。蜜井さんが照明を担当してくださるなら」


 経験のないジャンルにも、臆することなく挑戦できた。

 ステージ当日、ジャズピアニストがピアノを奏でる傍で、僕は会場に合わせた黒い衣装に身を包み、舞台に立った。


 音楽が始まると、僕の身体は自然に跳ね、腕はスイングする風のように舞った。 舞台の床に、黄色い光が弾むように広がる。ステージはまるでリズムそのものが形を持ったように、明滅を繰り返す。

 僕の動きに呼応するように、影は二重三重に重なり、まるで仲間と一緒に踊っているかのようだった。観客の手拍子が波のように押し寄せ、僕はその波に乗ってさらに軽やかにステップを踏む。

 ピアノの音が心地よい。顔を隠す影の中で、僕はただ体で語る。光と影が交錯する舞台で、僕はジャズの自由を羽ばたきに変えた。


「お疲れ様、イカロス」


 舞台後の僕を、蜜井さんが労う。僕は汗だくで息を切らせていた。


「照明で顔を隠す舞台、すごく評判良いし、僕も顔を隠してもらえて本当に助かってるんですけど……」


 滴ってくる汗で、髪が濡れている。


「めちゃくちゃ暑い……」


「そうだよなあ。LED照明の舞台なら少しはましだが、今回の舞台は白熱電球の照明だった。LEDより熱の放出量が多いから、暑いんだよな」


 蜜井さんが眉を寄せる。


「今後はもう少し、光を弱くするか?」


「だめです。弱くしたら顔が見えてしまいます……」


 照明の光が強ければ強いほど、舞台の温度が上がる。特に顔を隠すほどの光を当てれば、汗が噴き出すほど暑い。

 けれど、弱音を吐きながらも、僕はこの演出を変えたくなかった。なにがなんでも顔を隠したいし、この演出がなければ、僕はダンサー・イカロスでいられない。

 蜜井さんは、暑がる僕を気にかけつつも、この演出を貫いてくれた。



 ジャズピアニストとの舞台が成功を収めると、今度は外国のダンスプロジェクトから事務所に連絡が入った。

 ジャズピアニストには世界中にファンがいた。僕は彼らの目にとまり、海外でも話題になったみたいだ。


「ワールド・ダンス・コンテストへ出場しないか、と誘いが来てるぞ。世界進出だ」


 蜜井さんが手を震わせる。


「世界の頂点になるダンサーを決めるコンテストだ。ここで頂点を取れば、翼は世界一になれる」


「なんか、怖いくらいに売れていきますね。下積みがないのに、僕なんかが、良いのかな」


「良いんだよ! 君の才能は本物だ。活動一年以内なら、新人部門で出られる。注目度が高い部門だぞ」


 蜜井さんは僕をおだてるけれど、僕にはまだ、いまひとつ実感を掴めていなかった。

 つい最近まで、コンビニで働いていた僕が。荒んだ生活をして、時には羽鳥先生から食べ物を恵んでもらっていた僕が。

 でも背中を押してくれた羽鳥先生と、引っ張ってくれる蜜井さんが僕を信じてくれるのだから、僕も僕を信じる。

 もっと売れたら、先生にお礼のプレゼントをしたい。母さんも喜ばせたい。そのためにも、活動を広げていきたい熱意はある。


 海外への道が拓かれている間も、顔を見せないダンサー、イカロスの評判は、国内でもますます盛り上がっていた。

 事務所のスタッフからは、若い世代により親しんでもらうため、SNSアカウントを作って日常を見せるのはどうか、などとも言われた。だが、蜜井さんが首を縦には振らなかった。


「だめだ。イカロスは正体不明の、ミステリアスな孤高の存在だからこそ美しい。SNSで身近な印象をつけてしまうと、この耽美な雰囲気が失われてしまう」


 僕としても、身の回りを人に晒したくはなかったから、蜜井さんの反応は好都合だった。

 SNSなんて、怖い。居場所や持ち物で、特定されてしまいかねない。特定されたら、僕が何者か、誰の息子なのかまで、辿り着かれてしまう。

 蜜井さんには、僕のそんな気持ちまで見透かされていたのかもしれない。


「今の時点でも『特定班』を名乗る奴らが好き勝手言ってるんだ。まあ、全部的外れだから、翼の素顔が流出する心配はないが」


「なりすましアカウントが出てきていますよ。それなら本人がアカウントを作ったほうが……」


 スタッフが言うが、蜜井さんが応じない。


「事務所のアカウントから、イカロスの個人アカウントはないと発表しておけ」


 強くそう言ったあと、蜜井さんは閃いた。


「でもまあ、若い世代からの注目を惹きつけておきたいのは事実だ。気軽にイカロスを観てもらえるように、動画サイトでダンス動画をアップするのはどうだ?」


「それならいいですね」


 動画なら、編集で顔を隠せるし、僕も賛成した。

 そうして、事務所管理の動画サイトアカウント、「Icarus」が立ち上がった。

 このチャンネルで、イベントに足を運べない人たちにも、イカロスを観てもらえるようになった。ファンが知り合いに観せてファンを増やす、布教活動にも使われて、イカロスの輪はますます広がった。


 動画の中で、僕が踊る。

 挙動が光と影に描き出され、体の輪郭が際立たせられる。踊りの純粋な力だけが、舞台に浮かび上がる。

 僕のダンスは、顔を隠すことで、肉体そのものが語る物語になる。


 動画は蜜井さんに新しいアイディアが浮かぶ度に撮られた。


「そうだ。次はモノクロで撮ろう。コントラストと閾値を調整して、顔を光と影の半々にして……」


 彼曰く、僕のダンスを見ているとインスピレーションが湧いてきて止まらないとのことだ。


「衣装に電球をつけてエレクトリックな演出はどうだ? あっ、動画だったらグリーンバックで背景を背景を変えられるから、海岸や草原で踊るシーンも撮れる。カメラワークを利用して顔を隠すのもいいな」


「ひとつずつ作っていきましょう、蜜井さん」


 僕もこの人となら、どんな舞台でも堂々と立てた。照明という太陽が、力を貸してくれるから。

 照明はすごく暑いけれど、この強い光があるから、僕は僕でいられる。

 蜜井さんがさて、と切り替えた。


「ワールド・ダンス・コンテストの舞台も考えないとな。翼の意見も聞いておきたい」


 ワールド・ダンス・コンテストは、来年の冬のアテネで行われる。

 世界が注目するこの大会に向けて、僕と蜜井さんは究極の舞台を作る。


「これまでの全てを詰め込んだ、最高到達点の作品にする。テーマはなににしようか」


 蜜井さんの気合の入り方は、これまで以上だった。

 問われて、僕は自分が名前を借りた、神話の中の青年を思い浮かべた。


「ギリシャ神話のイカロスをテーマにするのはどうでしょうか」


 翼を持たない青年は、塔の中に幽閉されていた。

 彼は塔に訪れる鳥の羽根を、蜂が集めた蜜蝋で固めて、空へと飛び立つための翼を作った。


「神話なら、世界共通で伝わりやすいです。どうでしょうか?」


「うん、良いな。空を飛ぶような振り付けを取り入れた舞台にしよう。いいぞ、アイディアが湧いてきた」


 蜜井さんは早速、振付師は誰にするか、音楽はクラシックを使うかオリジナル音源を作るか、などと演出イメージを膨らませはじめた。

 僕はスマホを手に取り、ワールド・ダンス・コンテストのWebページを見た。舞台はアテネ。どんな場所なのだろう。


「飛行機かあ」


 お金がなくて、海外旅行なんて考えたこともなかった僕は、間の抜けた反応をした。蜜井さんが微笑ましげに笑う。


「飛行機は初めてか。文字どおり、イカロスが空を飛ぶ日が来るな」


 そう思うと、なんだかギャグみたいだ。

 まだ見ぬアテネの情景を想像してみる。コンテストの結果はどうであれ、羽鳥先生と母さんに、お土産を買って帰ろう。

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