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面影

 羽鳥先生は、高校のダンス部の講師だった。僕を全国の舞台へと導いてくれたのは、羽鳥先生だと言っても過言ではない。

 ダンス部の生徒は他にもいたし、先生は、表向きは全員に平等に指導していた。でも、先生に見いだされた本人だった僕は気づいている。他の生徒に比べ、僕にだけ明らかに指導に熱が入っていた。


 高一の夏、僕は高校生を対象にしたダンスの全国大会で、優勝を果たした。

 あの瞬間は、誰もが僕に注目した。学校で表彰され、地元メディアのニュースや舞台芸術業界の雑誌にも載った。

 ダンス界の麒麟児と持て囃され、顔写真入りの記事が拡散され、僕の名前は知れ渡っていった。


 地獄の始まりは、その数日後だった。

 親父が、人を殺した。しかも、三人も。


 紙袋で顔を隠した通り魔が、仕事帰りの若い女性を狙って三人殺した。異様な佇まいの男に殺された女性たちは、一体どれほど怖い思いをしたことだろう。

 逮捕前、紙袋を被った彼の姿が防犯カメラに映り、全国ニュースになった。不気味な覆面男の映像が出回ると、人々は「次は自分が殺されるかもしれない」と恐怖した。

 僕も、不安に駆られていたひとりだった。まさかその犯人が、同じ家に住んでいるなんて、考えもしなかった。


 親父が三人目を殺した翌日、彼は警察に捕まった。警察からの連絡で、僕と母さんも事実を知った。家族だったのに、目の前の人殺しに気がつかなかった。

 紙袋の仮面を剥がされた親父の顔が、これまた全国放送で流された。覆面の人物の素顔というものは、それだけで注目を集めた。


 さらに具合が悪かったのは、親父のルックスが無駄に良かったことだ。

 写真が出回るなり、SNSで軽率に「イケオジ」と言い出すアカウントが現れ、拡散され、人が殺されているのに不謹慎だと炎上し、度々取り沙汰された。話題が広がる度に、親父の写真は、人々の記憶に刷り込まれた。


 そして同時期にダンスの全国大会のニュースで取り上げられていた僕も、重ねられた。印象に残らない顔なら目立たずに済んだかもしれないのに、下手に恵まれたルックスが災いした。

 顔がそっくりで、名字も同じ。事件があった地域と、僕の所属していた学校の場所も一致する。


 その日から僕は、ダンスで全国優勝の高校生から、人殺しの息子に変わった。


「あの事件のせいで、お前さんは学校に居場所がなくなって、学校を中退しちまった」


 先生がコーヒーに息を吹きかける。


「折角、全国でいちばんを獲ったのに。あの事件さえなければ、お前さんは次の年も注目されて、将来は世界一のダンサーになるはずだった」


「たらればの話なんか、しても意味ないですよ」


「おかしいだろう。お前さんが人を殺したわけじゃないのに。こんなことって」


 先生が深く項垂れる。


 親父が捕まってからは、僕に向けられる視線は一変した。人殺しの息子に向けられる、冷ややかな目。

 殺したのは親父だ。僕は悪いことなんかしていない。でも、世間からは一緒くたにされる。

 それはそうだろう。遺族からしたら、犯人の身内まで憎い。まして顔が似ている僕なんて、見たくもない存在だったはすだ。不幸を願われても仕方ない。

 周囲の人々だって、犯罪者の遺伝子を体に持ち、犯罪者に育てられ、犯罪者のコピーみたいな顔の僕を、親父と似た思考の持ち主だろうと想像する。警戒されて当然だ。実際僕だって、己の体にあの親父の血が流れていると思うと死にたくなるのだから。

 逃げるように学校を辞めた。就職だってできない。どこに行っても僕は、『人殺しの覆面男の息子』なのだ。


 罪悪感で息ができない日々だった。被害者遺族への謝罪や、近隣からの嫌がらせで、母さんはみるみる疲弊していった。親父は勝手に獄中で死んだ。

 せめて、引っ越して遠くへ逃げてしまいたかった。しかしお金はないし、母さんが不安定で引っ越しどころではない。なにせ、全国ニュースになったのだ、どうせどこへ行っても顔を知られている。

 遺されたのは、壊れてしまった母さんと、行き場所をなくした僕だった。


 そんな僕を唯一気にかけてくれたのが、羽鳥先生だった。

 事件から一年が経ったけれど、今でもこうして、僕に会いに来る。学校を辞めたから、もう部員と講師の関係でもないのに、彼は未だに僕の面倒を見ている。言い訳みたいに、「特別な生徒だったから」と添えては、僕を食事に連れて行く。

 僕がかろうじて正気を保って、人間らしく生きていられるのは、先生のおかげだ。


「……伊狩は、もっと高いところまで飛び立つはずだった」


「期待に応えられなくて、すみません」


 先生が時々、僕の名前を『大田』と呼びそうになることにも、僕は気づいていた。目をかけていた生徒だった頃、期待していた頃の名前で、僕を呼びそうになる。

 でも、それが親父の名字なのを分かっているから、呑み込むように、母さんの旧姓に言い換えている。


 オムライスが運ばれてきた。そういえば、お腹がすいた。

 幸い、僕が勤めていたコンビニは弁当の廃棄を持ち帰らせてもらえる。母さんにも、それを食べてもらっている。

 この頃は、僕は疲れが出ていたのか、あまりちゃんと食事を摂っていなかった。目の前のオムライスの匂いで、ふと、生きている実感を覚えた。

 先生が僕に問いかける。


「お前も、ダンサーになるのが夢だったんじゃないのか」


「もう追えない夢です」


「でも、もう名前が変わってるんだ。ほとぼりが冷めれば、バレやしないんじゃないか」


「それでも、この顔を見れば誰もが思い出しますよ」


 この顔では、表舞台には立てない。

 被害者遺族はもちろん、あのニュースに怯えた人々にとっては、見たくない顔だ。人殺しの息子が華やかな舞台へ上がるなど、許されてはいけない。

 僕は自身の顔面を両手で覆った。


「僕自身がこの顔を誰よりも嫌ってる。整形費用があれば、全部作り変えるのに」


 顔を覆った手で、爪を立てる。このまま顔の皮膚を引き剥がせたら、どれだけ楽だろう。

 先生がコーヒーを口元へと運ぶ。


「顔を見られなければいいなら、特殊メイクや被り物で顔を隠せば……」


 途中まで言いかけて、やめた。彼は誤魔化すように、コーヒーを飲んで、沈黙した。

 仮面で顔を覆うのは、どうしても嫌だ。犯行に及んだときの親父と、同じだからだ。仮面を剥がしたらこの顔が出てくるのでは、親父の完全再現ではないか。僕はこれ以上、あいつに近い存在になりたくない。


 僕は無言で、オムライスにスプーンを差し込んだ。たまごがとろりと蕩け、夕日色のチキンライスと混ざった。

 先生は数秒押し黙ったあと、先程出しかけたチラシを、再び取り出した。


「さっきの、このオーディションの話なんだが」


「もうダンスは諦めたって、言ってるのに」


「審査員の中に、蜜井一郎がいるんだ」


 先生はそう言って、チラシをテーブルに置いた。クリアファイルごと滑らせ、僕の方に差し出してくる。僕は無視して、オムライスを食べ進めた。


「知りません。誰ですか」


「『照明の魔術師』と呼ばれてる、舞台演出家だ」


 聞いたところで、僕に舞台に上がる未来はない。だから、聞き流す。はず、だった。


「この人の作る舞台は、光の演出が見事なんだ。光と影のコントラストで、物体の質感を表現したり、音を視覚化したり……」


「はあ」


「演者の明るい表情を見せるときには、白く明るい光を顔に集中させ、逆に曖昧に見せたいときは、顔が程よく見えにくくなるように影を利用する」


 先生はコーヒーカップ越しに、僕をまっすぐ見据えた。


「蜜井氏なら、舞台のダンサーの顔も、照明で隠せるんじゃないか? ……と、俺は思う」


 スプーンが、止まった。

 固まる僕を窺い、先生が続ける。


「このチラシを持ってきたのは、その話をしたかったからなんだ。どうだろう、伊狩」


 顔を見せずに、ダンスを続けられる?

 一瞬揺らいで、僕は、スプーンを置いた。


「でも僕は、人殺しの息子です。日の目を見ていい人間じゃない」


「人を殺したのは伊狩ではない。お前さんだって、被害者のひとりだ」


「でも……」


「そうかそうか、なら言い方を変える。蜜井氏の作る舞台においては、演者は舞台装置だ。表の存在ではない。舞台という芸術品を作るための、裏方のひとつだ」


 舞台装置。裏方。主役ではない、有象無象のひとつ。それなら……。

 僕はまた、光り輝く舞台に上がってもいいのか?


「といっても、『できるんじゃないか』って思っただけで、実際にどうかは、オーディションを受けてみないと分からない」


 先生は肩の力を抜いて、穏やかに微笑んだ。


「前向きに検討してくれたら、俺もまた、あの頃みたいに熱くなれる。な、恩師を喜ばせると思って、考えておいてくれないか」


 僕はオムライスの皿の横のチラシに、視線を注いだ。黒い背景に、白い舞台、靭やかなポーズのダンサーのシルエットが、僕を惹きつけて離さない。

 僕はそっと、再び、スプーンを取った。


「自分で恩師とか、言っちゃうんですね」

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