第一次地底コンタクト戦略
あれから一週間が経過した。
「隣の畑を含め、トマトを選んだ班が多いね。あとキャベツも。いいね、みんなどんな料理にするんだろ」
西川がよその畑に気を取られている。すでに植わったトマトの苗が、ぬくぬくと日光を浴びている。北堀が自分の畑にスコップの先を入れた。
「ジャガイモを選んだのはウチの班だけらしい」
「そうなんだ」
「うん。南澤先生に申請シートにジャガイモを作るって書いて出したら、『他の生徒と被ってない』って言ってた」
南澤先生は、造園生産科の担当教師である。南澤先生の座学はちょっと眠くなるが、実習中は害虫駆除剤を持って畑に君臨し、現れる虫から畑を守ってくれる。畑の守護神は、僕ら生徒からの信頼が厚い。
トマトの苗の世話をしている隣の畑の生徒が、ちらっとこちらを見た。
「北堀班、まだなにも植えてないのかよ」
くすくすと笑い声が聞こえてくる。僕はいたたまれなくなり、土に向かい合う北堀に囁いた。
「なあ北堀。流石に土づくりに一ヶ月も費やす必要はないんじゃないか? 教科書によると、一週間で充分だって」
「いや、本気で作るなら一ヶ月は土を育てるべきだ」
北堀が土づくりにこだわるせいで、僕らの畑は他の班の畑に遅れをとっていた。北堀は至って真剣なのだが、収穫重視の他の班からは笑われてしまう。
他の班はさっさと畑仕事を済ませて、教室に戻っていった。まだ土いじりをしているのは、もう僕らの班だけだ。僕は北堀に言い聞かせた。
「でも遅くても四月中旬には植えないと、ジャガイモに合った時期を逃しちゃうだろ」
「だけど……」
北堀はまだ僕になにか言い返そうとしたが、先に西川が甲高い声を出した。
「えーっ、やば! 折角こだわりの土を作っても、植えるタイミングを逃したらもったいなくない!?」
折角の土が活きないとなると、北堀の顔色も変わった。
「それはそうか。じゃあ少なくとも来週中くらいには土を完成させて、タネイモを植えよう」
こういうとき、コミュ力の鬼の西川は強い。僕が上手く伝えられないことを、西川は軋轢を生まない表現で言葉にできて、そしてお互いが納得する形に物事を進めてくれる。
北堀も強情なようでいて、ちゃんと人の話を聞く。妥協はしないが、自分のこだわりだけが全てではない。
今はこの畑は、まだなにも植わっていない耕地だけれど、きっと上手くいく。そんな気がしてくる。
と、思ったときだった。
北堀がスコップを入れていた辺りで、ボコッと、土が盛り上がった。北堀はスコップを動かしていないのに、ボコボコボコッと、ひとりでに土が動く。
西川が青くなった。
「え……なに?」
北堀と僕も息を呑んだ。
やがてひと際大きくボコッと土が揺れ、中から茶色い頭が飛び出した。
「ちょっと失礼しますよ」
「うわあっ!」
北堀が飛び退き、尻餅をついた。西川は立ち尽くし、僕も動けなかった。
土から、土偶らしきものが顔を出している。模様の刻まれた土色の体に、つむった大きな目。歴史の教科書で見る、土偶そのものである。
数秒の沈黙のあと、僕はそっと前のめりになった。
「なに? なんか出土した……?」
「あ、いえ、土偶じゃないです」
土偶が喋った。いや、土偶じゃないらしいが。土偶らしきそれは、もぞもぞと腕を動かして土から這い出てきた。大きさは二十センチほど。どう見ても土人形だが、生き物のように動いている。
「わたくしは地底人のドグーと申します」
「ち、地底人?」
「はい、地底人でございます。この畑のちょうど直下に住んでいる者です」
北堀も西川も僕も、唖然とした。地底人?
突然のことに、頭が追いつかない。地底人なんているはずないし、ましてこんな姿だとは思えない。でも、現に今、目の前にいる土偶っぽい奴は自主的に動いている。間違いなく、生き物である。しかも喋っているから、文化的生物である。
まだ呑み込めない僕らの元へ、聞き慣れた声が飛んできた。
「おーい、北堀班。まだいたのか」
南澤先生だ。他の班が農作業を終えても、まだ畑にいる僕らを呼びに来たのだ。我に返った西川が、目を白黒させた。
「先生ー! 先生ぇええー! なんかウチの畑から土偶出てきたんだけど!」
「土偶? なにをバカなことを」
先生はこちらに向かって歩いてきて、そして僕らの畑に鎮座する土偶に気付いた。
「あっ、ドグーさん。お久しぶりです」
「ご無沙汰しております、南澤先生」
土偶がぺこりとお辞儀をした。先生も小さく会釈する。
「ここ数年の生徒は土に殆ど手を加えなかったからなあ。五年ぶりくらいですか?」
「そうですねえ。あの年のこの畑は、ニンジン畑でした」
先生と土偶が和やかにお喋りしている。僕は北堀と西川と顔を見合わせてから、先生に視線を戻した。
「先生、知り合い?」
「そうかあ、今年はこの畑は北堀の班だったか。畑の位置は班長の出席番号で割り振ってるからなあ……よりにもよって、土にこだわる北堀に当たっちゃったか」
先生は頭を抱え、それから僕らに言った。
「お前たち、驚いたよな。まあ見てのとおりだ。この方は、この畑の地下で暮らす地底人のドグーさんだ」
「見てのとおりって、見たところなにひとつ分かんないんですけど」
なんで先生も平然としているんだ。困惑する僕を見かねてか、土偶型地底人、ドグーさんが切り出した。
「わたくしから説明いたします。我々地底人は、地上から五分ほど潜ったあたりに国を築いて暮らしています」
地底人の存在が当たり前である、それで前提で説明が始まる。
西川が大きな目を一層大きく見開いている。
「すっご! あたしも地底行ってみたい」
「ああ、先程申し上げた『地上から五分ほど』というのは、地底人の掘削力を基準とした時間ですので。地上人が地底に行こうとすれば何年かかることやら」
「マジかあ、ドグーさんは地底人だから行き来できるけど、あたしたち地上人には真似できないんだね」
先程まで驚いていた西川が、もう順応した。西川がコミュ強なのは知っていたが、こんなに受け入れるのが早いとは。
ドグーさんは話を戻した。
「さて、わたくしの自宅は、この真下です。なにが起こっているかと言いますと、そうですね……例を出すなら、アパート。上の階でドタドタ暴れたら、下の階に響くでしょう」
そして自身を囲む土を、ゆっくりと見回す。
「この畑の土の状態が変わると、わたくしの生活にモロに影響が出るのです」
「え、マジ?」
西川が眉を寄せた。
「あたしら、ピートモスや堆肥を混ぜたりしたよね。ドグーさんち、どうなったの?」
「ええ、土が酸化し、微生物が増えた影響で、キッチンの引力が乱れました。上からの圧が強くて、茶碗が転がってしまいます」
「どんな因果関係だよ」
僕は理解に苦しんだ。でもコミュ強の西川は、関心ありげに聞いている。
「やっばー。茶碗転がったら精々ごはん食べらんないじゃんな」
黙っていた先生も、「そうなんだよ」と付け足した。
「農業実習の生徒は、毎年入れ替わる。ドグーさんが住んでいるこの区画を受け持つ生徒が、土を弄くり回さない生徒であれば、ドグーさんの生活にも変化はないんだがな……」
でも北堀みたいな土の状態にこだわる生徒だった場合、土の環境が変わって、ドグーさんの生活空間になんらかの歪みが出る、と。
ドグーさんは大きな頭をしゅんと下げた。
「わたくしもなるべく、クレームを言いたくはないのですがね。ここ一週間の茶碗の安定感のなさは、耐えかねてしまいまして」
「一週間耐えてくれたんだ。ごめんね」
西川がしゃがんで、ドグーさんに視線の高さを近づける。
「土の状態を戻せばいいの?」
「できればそうしていただきたく。自然の雨風によって整った、手を付けない状態の土が、いちばん安定するので」
ドグーさんが遠慮がちに申しつける。しかしそんなことを言われては、黙っていられない奴がいる。
「ちょっと待った! さっきから聞いていれば、話がめちゃくちゃだぞ!」
腰を抜かしていた北堀だ。彼は立ち上がると、ドグーさんの前で仁王立ちになり、小さなドグーさんを見下ろした。
「地底の国は、地上人が到達しようとしたら何年もかかるくらい、深いところにあるんだろ。俺たちがここを深く耕しても、鍬が届かないくらい」
「そうですね」
「そんなに深い地底なら、地上からの影響は受けない。地表に近い畑の土質が変わったところで、地底までは届かないはずだ。理屈が破綻してる」
真剣な北堀を横目に、僕は口の中で呟いた。西川もだけれど、北堀も地底人の存在はすんなり受け入れるのか。まだその段階で戸惑っている僕は、遅れているのか。
他にもツッコミどころはあるはずだが、土第一の北堀はそれらはすっ飛ばして畑の心配をしていた。
「折角理想のpH値に持ってきたのに……! こんな意味不明なクレームのせいで、この美しい土を無駄にできるか……!」
「気持ちは分かるよ、北堀。でもドグーさんの言ってることは事実なんだ」
そう言って北堀の肩を叩いたのは、南澤先生だった。
「地表に近い畑の土と、ドグーさんの暮らす地底とでは距離がある。普通に考えたら、地表の土質変動など、地底に影響があるとは考えられない」
「逆も然りで、地下の営みも地上には影響がない。だからお互いに干渉せず、存在も忘れて生活ができるのですが……」
ドグーさんが土の上で体育座りになった。
「わたくしの家は、それらの条件から少し外れていまして。この班の畑の区画だけはピンポイントで特殊な地盤構造の上にあるのです。表面の土質変動がひとつ下の層の土質を変動させ、さらにそのまた下の層を変動させ、と、連鎖的に土質が変化していき、最終的にわたくしの住む地底に影響が出ます」
「そんなこと、あるわけ……ない……はず」
北堀は困惑し、考え、みるみる顔を歪ませた。ドグーさんが親切に付け加える。
「具体的に申し上げますと、この地下の構造は直伝層と呼ばれる作りになっております。直伝層とは、地表の土壌の構造や水分動態が、地底の床板に即時伝播する層です。さらに、この場所には響導脈と呼ばれる土中の振動経路が走っており、土壌の酸度が変われば、引力が変動します。加えて、地表付近の土が含む空気の量で、我らの居住空間に漂う根気流が乱れる。根気流とは、根の呼吸が生み出す微細な気流で、地底人の眠りを支える大切な環境要素です。つまり、この班の畑は、地底にとって直下共鳴区。地上と地底が、土を介して直結する稀有な場所。ゆえに、あなたがたの土づくりのこだわりが、そのままわたくしの暮らしに直撃するのです」
「うわああ、知らない専門用語が次々と出てくる」
北堀がまた、膝を折った。
「俺は土を愛しているはずなのに……土の話でこんなに知らない情報が……!」
「だ、大丈夫だよ北堀! 多分地底の言葉だよ。分からなくて当然だよ」
僕は北堀の丸まった背中に、ぽんと手を置いた。打ち震える北堀を、ドグーさんは横線の入った大きな目で見上げている。
「土というものは『繋がり』であり、粒子ひとつひとつが互いに寄り添い、水も空気も菌も根も、全てが手を取り合う『共生』の世界。土はただの物質にあらず、それは静かなる合唱であり、我ら地底人の暮らしも、君ら地上人の営みも、その旋律の一部にすぎぬのです」
理屈っぽいのかポエムっぽいのか、掴みどころのない人だ。崩れていた北堀が、顔を上げた。
「それは分かる気がする。そうだよな、たとえ届かないくらい深く遠い場所でも、土は上下左右で常に繋がって、最終的に一体になってるんだよな」
「なんか共感してる……」
なぜか納得している北堀に、僕は小さく呟いた。北堀はドグーさんに共感しつつも、譲れない想いを胸に、揺れていた。
「でも、俺はこの土を捨てたくない。他の班より遅れようと、笑われようと、最高の土を目指してきたんだ」
ドグーさんはふう、と苦しそうなため息をついた。
「そろそろ日光に耐えられなくなってきました。では皆様、そういうことで。ご理解ご協力ください」
そして自分が掘り返した穴に足を突っ込み、ズモモモと沈んでいく。振動で土が動いて穴は封じられた。
西川がぽかんとしている。
「地底に帰っちゃった」
ドグーさんがいた辺りの土を、西川は手で触って首を傾げた。南澤先生が、彼女の隣にしゃがむ。
「地底人は地底の暗く湿った環境に適応してるからな。地上の日差しや乾燥に慣れてないんだ」
「先生、ドグーさんと仲良さげだったね」
「別に仲良くはないが、この区画の生徒の土づくり次第ではああして現れるからな。数年おきに見ていれば、そういうものだと慣れる」
先生はそう言うと、僕らの作った土を見下ろした。
「さあ、そろそろ教室に戻るぞ」
僕らの畑に、地底人が現れた。そんな訳の分からない一年間の実習は、まだ始まったばかりだ。




