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平凡男、慣れる

 あの契約から、三ヶ月が経過した。

 会社からの帰り道では、刃物を持った男が電柱の裏に待ち構え、ライフルを構えた中年が潜み、今か今かと轢き殺そうとするトラックが張り付いている。

 モニが無機質な声で言う。


『危険レベル:高。推奨ルートはありません』


 誰もが、僕の「死」を待ち望んでいる。


「またか。今日、何人目だ?」


 僕は殺し屋の位置を確認した上で、歩き出した。


「さっき、この帰宅ルートがいちばん安全って言ったくせに」


『いちばん安全で、この数なんですよ。別のルートだったらもっとたくさんの殺し屋がいたと推定されます』


 刃物男が包丁を突き立てて突進してくる。彼の攻撃を躱し、背中に肘を打ち込んで相手を怯ませる。

 そうして立ち止まったところを狙って、発砲音が響いた。弾が飛んでくる位置は想定できる。低くしゃがんで躱し、刃物男の腕を取って、彼を盾にする。

 ライフルの中年が刃物男に弾を当てないよう照準を測り直している間に、身を低くして走って自宅方面へ突っ込む。トラックの存在ももちろん忘れない。発進しているのは見えている。前に飛び出したように見せて素早く避け、トラックの脇へと転がり込む。ライフルの弾がトラックのタイヤに当たり、空気が抜けた。

 ライフルの中年が銃を掲げて、茂みからずるっと出てくる。暗くて上手く狙いを定められないようだ。


『いいですね、佐藤さん! 追いかけてきているのは……ライフルの中年のみです』


「モニ、あのライフルの弾の残数は?」


『カメラにてライフルの型を確認。結論から言うと、少なくとも三発以下です。国内で所持が許されている型式で、あのタイプは五発までしか装填できません』


 最大であと三回避ければいい。仮に追加の弾を持っていたとしても、装填の隙ができれば充分だ。


 この三ヶ月、殺し屋から逃げ回っているうちに僕の殺し屋回避能力はみるみる高まっていった。

 隠れていそうな場所は察しがつくし、いる場所が分かればどんな攻撃をしてくるかも想定できる。それを躱す手段も、モニに教えてもらいながら経験を積んで、身につけていった。

 家と会社の往復の度に、殺し屋たちから一斉に襲われる。この頃は会社にいても不自然な来客が僕を呼んだり、家にいても頼んでいない宅配便が毎日のように来るが、顔を合わせなくても正体が分かる。


 AIというものは、使用者に合わせてパーソナライズされていくものだ。

 モニも僕に合わせて学習し、カメラによる周囲の状況やマイクによる集音で、殺気を検知できるようになった。


『周辺にもう一件殺気を検知。まだ距離があります。今は背後のライフルに注意を向けてください』


 中年は僕を見失わないよう、よたよたとついてくる。慌ててパン、と一回撃ってきたが、的外れな位置で火花を上げた。残り二発。


「あいつ、足を引きずったような動きをしてるな。階段に上れば距離を広げられる」


 手前に歩道橋がある。僕は迷わず駆け上った。置いていかれたライフルの中年が、もたもたと下から銃口を向けてくるが、放たれた弾は歩道橋の柵に当たり、カンと音を鳴らして散った。

 あと一撃。これで逃げ切れる、と、思った矢先。モニが警戒音を鳴らした。


『正面より殺気を検知。反対側から上ってくる人物に注意してください』


 息を呑んだ僕の視界の先に、ぬっと、大きな影が動いた。歩道橋の反対側の階段から、二メートル近い大男が現れた。手には、金属バットらしきものが握られている。


「しまった。後ろにばかり気を取られてた」


 あの大男を振り切るほど、歩道橋は広くない。かといって上ってきた階段を戻れば、ライフルの中年が構えている。挟み撃ちだ。

 スマートウォッチの画面の中で、モニの顔がくるくると回転する。


『ルート再検索中、ルート再検索中……。佐藤さん、二キロメートル先にツキトジ町バス停があります。二十時三十二分着です』


「いや、この状況でバスに乗り換えは無理……まずこの歩道橋から下りられないのに」


 急に現実的ではない提案をしてくるあたり、モニも所詮はAIだな。と、思った直後、僕はモニの言葉の意味を理解した。


「二十時三十二分に、ツキトジ町バス停……つまり、この歩道橋の下を、そのバスが通るのか」


『ダイヤの乱れがなければ六秒後です。しかし多少のズレは生じるので、目視で確認してください』


 鈍器の大男がゆらりゆらりと近づいてくる。ライフルの中年も、ようやく階段を上りきった。


「五、四、三……」


 僕は歩道橋の真ん中あたりで、柵に背中をつけた。ちらっと、真下の道路を窺う。ドルルと、バスの音が聞こえた。

 行くしかない。

 僕は柵に掌を押し付け、両足を揃えて柵を飛び越えた。腕の力だけで全身を押し出し、そして歩道橋を潜り抜けたバスの天井に着地した。

 パシュッと、ライフルの弾が道路に転がった。


「はあ、死ぬかと思った」


 バスの上で、僕はばくばくしている心臓を押さえた。胸に押しつけたその手の傍で、モニがニコニコ笑う。


『安全ルートに入りました。しかしこのままでは道路に落ちる危険がありますので、ツキトジ町バス停でバスが停車したら、そこで降りてくださいね』


「ちょうど自宅の最寄りのバス停だ。無賃乗車になっちゃうのかな、これ」


 やがてバスが停まった。僕は乗客の列から少しずれて、バスから飛び降りた。モニが光る。


『このままご自宅まで百メートルです。……自宅アパート前に殺気を検知。待機しています。最後まで気を抜かずに』


 もう、やっと家が見えてきたというのに。


「建物脇の物置の裏かな」


 物置が見えるアパート前まで、慎重に向かう。薄暗くて見落としそうになったが、物置から人影が動いたのが、たしかに見えた。

 この距離では逃げ切れない。迂回路もない。


 僕が気付いたことに、向こうも気付いた。ニット帽の男が、ナイフを構えて突っ込んできた。

 僕はわずかに身を捻り、男の腕を掴んで回転した。腕を捻られた殺し屋の男が、呻く。


「ぐっ……」


 僕は殺し屋の手からナイフを抜き取り、逆手に持ち替えて地面に突き刺した。


「よし、今のうちに」


 ナイフと男を放り、僕はアパートの入り口へと駆け込み、自室へと逃げ込んだ。

 ここまでくれば安全である。


「さてさて、今日も無事に生き延びたぞ」


『佐藤さん、本日の夕食のメニューを提案します。冷蔵庫の中のあり合わせで作れるメニューは、こちらです』


 モニが平穏な通知を入れる。

 平和に起きて、襲われながら出社して、平和に仕事をして、襲われながら帰宅して、そして平和な夜を迎える。これが僕の、当たり前の日常になっていた。

 モニから提案された野菜炒めを作る。モニにヘルスケアをされるようになって、この頃は自炊をするようになった。


「田辺がおいしい定食の店を見つけたらしくてさ。今度また、一緒に飯に行くことになったんだ」


『いいですね』


「あいつ、僕といると盾にされるからヤダとか言いながらも、誘ってくるんだよなあ」


 最初こそ蒼白になっていた田辺や、その後に事情を知った職場の面々も、今となってはもう顔色を変えない。彼らも、僕が殺し屋に追われている様子に、もう慣れてしまっている。僕の背景の殺し屋は、すっかり風景の一部として馴染んでしまった。

 タイマーをかけていた炊飯器が、音楽を鳴らす。米の炊き上がりと同時に、野菜炒めが出来上がった。生活音と、生活感。今日も僕は、平凡だ。


 野菜炒めを盛り付けた皿を持って、テーブルに運んでいた、そのときだ。ピピッと、スマートウォッチが鳴った。


『通知を受信しました』


 モニが画面の中で目をぱちくりさせる。


『ヒューマナフォージ社からです』


「ヒューマナフォージ社から? なんだろう」


『読み上げますね』


 こんな通知は初めてだ。僕は箸で野菜炒めを摘みつつ、モニの音声を聞く。


『除外通知。佐藤翔平殿。本日をもって、AI学習対象から除外されます』


「へ?」


 僕は口の前で、箸を止めた。


「なに? 僕、AIの学習対象じゃなくなるの?」


『はい。日付が変わると同時に、監視終了です。この件についてお話があるため、急ですが明日、佐藤さんのお勤め先へ上倉さんが来社します』


 監視終了。あっさりと告げられたその言葉が、まだ上手く呑み込めない。僕の頭の中に、NowLoadingの文字とくるくる回る円が浮かび上がっていた。


「てことは、学習終了? 充分データを得られたってこと? 死ななくてもAI開発が進むのか?」


『いいえ。学習対象から外されたので、これまで採集されたデータはボツです。AIには使われません。全部無駄になりました』


 モニの淡々とした語り口に、僕は呆然とした。AI学習が終わる? それもデータが集まったからではなくて、要らなくなったから?


「急だな。どうして?」


『理由は以下のとおりです』


 モニが画面を光らせ、続ける。


『平凡性からの著しい逸脱。日常的に殺し屋に追われ、そして殺し屋に追われても動じず、凡人離れした分析力と身体能力で攻撃を躱し続けている佐藤さんは、およそ平凡とはいえない』


 言われてみればそうだ。平凡な人は、三ヶ月延々と殺し屋に追われ、常態化したりしない。


『佐藤さんの行動は、もはや平均的日本人男性の範疇を逸脱しています。よって、AI学習モデルからの削除が決定されました』


 僕の生活をAIに学習させたら、平均的平凡な日本人のAIではなく、殺し屋に追われてそれを躱す、アクロバティック出退勤サラリーマンのAIができてしまう。ヒューマナフォージ社が作りたいAIと、かけ離れた存在だ。

 ヒューマナフォージ社は、これ以上、僕のデータを取り続けても意味がないと判断したのだ。


「僕、もう平凡じゃないのか。なんか、複雑だな」


 僕の少し不思議な非日常的な日常は、あっさりと終わりを告げた。

 僕が死んだら動くはずだった大金は、動かなかった。殺し屋を雇ってまで僕を殺そうとしていた人たちも、僕を殺す必要がなくなった。雇われていた殺し屋たちも、もう僕を殺しても報酬を得られない。

 動いたのは、僕に支払われる月々一万円の協力金のみ。三ヶ月だけだから、三万円である。


 僕は「そうかあ」と間の抜けた声を出した。それくらいしか言えない。ひとまず、口の前で止めていた野菜炒めを、口に入れる。


「まあいっか。今日もごはん、おいしくできたし」


『それは、非常に平凡的な発言ですね』


「今さら戻れないよ」


 たれの味付けに大成功した。モニのおかげでちょっと料理が上手くなったな、と僕は内心で呟いた。

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