平凡男、やり過ごす
翌日は、恐る恐るながら出勤した。本当は家に引きこもっていたいが、AI学習が死ぬまで続くとしたら死ぬまで引きこもっていなくてはならない。
スマートウォッチの電源を落として、監視自体を無効にすることも考えた。しかしそうしたところで、「平凡な人間は約一週間で監視に耐えられなくなる」というデータが採集されるだけ。
なにより、データの収集が止まったら、僕の価値はなくなる。AIの発達に役に立たない上に、生きているせいでAIの開発が進まない、世間から見て邪魔な存在になるのだ。殺し屋を雇ってまで僕を殺したい人たちからすれば、一層煩わしいだろう。そうなれば、引きこもっていようと家を襲撃されてしまうのがオチだ。
現実的に考えても、いつまでも仕事を休み続けるわけにはいかない。僕はスマートウォッチ片手に家を出た。
家から駅までの道で、モニが鳴った。
『赤外線カメラにて異物を検知。百メートル先のマンホール蓋を避けてください』
僕はモニの指示どおり、少し先に見えたマンホールの蓋を踏まないよう、大回りで避けた。直後、ボコッと蓋が外れて道に落とし穴ができた。
あのマンホールの上を歩いていたら、地下に落とされて、待機していた殺し屋に殺されていた……のだろう。
駅の近くで、またモニが鳴った。
『マイクにて装填音を検知。十時の方向、高さ十三メートルです』
言われたとおりに見上げると、近くのマンションの四階の窓から、銃が突き出されているのが見えた。
『遮蔽物はありません』
「となると……駅舎まで走るしかないか」
判断してからは早い。のんびり歩いている暇なんかない。一気に走る。駅舎の軒下に転がり込んだとき、ぱしゅっと、足元に火花が落ちた。
どうにかスナイパーを振り切り、電車に乗る。車内で、音声を切り忘れたモニが鳴る。
『サーモグラフィーカメラにて異様な液体を検知。車両を移動してください』
「毒を持ってる人がいるのか? それじゃ、車内の人全員危ないじゃないか」
『ライセンス所持者の殺し屋は、ターゲット以外を巻き込みません。ここで毒を撒くことはないでしょう』
そういえば、大通りで他人を盾にすれば、銃撃されにくくなると聞いていた。
「毒物は僕個人を向けて使われる……注射器なんかで刺されるのかな」
だとすれば、車両を移動して逃げ切ればいい。僕は動き出した電車の連結部から隣の車両に移り、途中の駅で降りて、毒物を持った殺し屋の乗った電車を見送って、次に来る別の電車に乗った。
会社に着いてからは、驚くほど平和だった。通勤中の襲撃が嘘みたいに、いつもどおりに仕事ができる。
しかし平和は忘れた頃に破られる。昼休み、なにも知らない田辺が僕を呼んだ。
「佐藤、たまには飯に行かないか? こないだのヒューマナフォージ社の件、話を聞かせてくれよ」
「ああ……うん」
外に出るだけでも命賭けの日々になったことを、誰かに話したかった。
しかし僕が金のためにも死んだほうがいいと知られたら、田辺も寝返るかもしれない……という恐ろしさはあったが。
外の店に昼飯を食べに出かけたら、刃物を持った男に待ち伏せされていた。社屋の前にいた覆面の男が、僕に向かって包丁を突き出して走ってくる。
「うわあっ!」
「な、なんだ?」
巻き込まれた田辺が目を剥く。ポンと、モニが鳴った。
『緊急回避ルート検索。二時の方向、ツキトジビルの通りに入ってください。そこからホテル・ビジネットの階段を経由。ホテルで警備員が刃物男を規制する隙に、駅周辺の地下通路へアクセスしてください』
「ありがとう、モニ! 行くぞ田辺」
「お、おお……?」
困惑する田辺を連れ立って、モニに指定されたルートで刃物男を撒く。
地下ルートで、田辺に誘われた店に逃げ込んだ。
「はあ、事なきを得た」
「なにが起こったんだ……?」
戸惑う田辺に、僕は安堵のため息とともに言う。
「ごめん、先に言えばよかった。食事しながら話そう」
席に案内され、テーブルにつく。田辺のおすすめのオムレツ定食を頼み、僕は田辺に、ヒューマナフォージ社のAI学習について語った。
「というわけで、命を狙われてるんだ」
「よく平然と会社に来られたな」
「平然とじゃないさ。昨日は怖くて悩んだし。でもそうして考えた上で、引っ込んでいても仕方ないという結論に至ったんだよ」
オムレツ定食が運ばれてきた。食器を手に取り、食べはじめる僕を、田辺は「はあ」と感嘆しながら見ている。
「食べ物に毒を仕込まれたりは……?」
『それは考えにくいですね』
田辺の不安げな呟きに、モニが返事をした。
『ライセンス所持者の殺し屋は、ルールを守っての殺人のみが許されています。こういった飲食店の料理や、小売店で商品として販売されているものに手を加えることは、ルール違反となります。公衆衛生が優先です』
「なるほどな。店の迷惑になることはしないんだな」
大通りでは他人に誤射しないよう狙撃に慎重になるし、電車内で不特定多数を巻き込む毒ガス事案を起こしたりもしない。
殺し屋が警察に見逃されているのは衝撃だったが、見逃されているライセンス所持者の殺し屋は、ルールを守る。こうなってくると、なんとなく攻略法が見えてくる。
「モニ。僕は会社では襲撃されなかった。会社での攻撃も、ルール違反になっているのか?」
『そういうわけではありません。ただ、佐藤さんの場合は、たまたま環境がいいんです』
オムレツを口に運ぶ僕の腕で、モニが話す。
『佐藤さんの所属する経理部は、外部業者との接触が少なく、また部署の立地的にも外から狙撃されにくい位置です。社屋から出なければ安全と言えます』
「そういえば、家にいる間もなんともなかったな」
『佐藤さんのお住まいのアパートは、周りに他のアパートが並んでいるため外から狙いにくいんです。その隣接アパートから狙撃される可能性はありますが、現状、周囲の部屋は埋まっているので、住人が殺し屋でない限り攻撃され可能性は極めて低いでしょう』
モニが画面の中でニコニコ笑う。職場と家は安全というわけだ。僕はほっと胸を撫でおろす。
「じゃあ僕が気をつけるべきなのは、通勤時と、こうして昼休みに外出するときと、休日に外に出るときだね」
『そうですね。それも、本日のように私が危険を予知して、佐藤さんが最適な死亡回避ルートを取れば、比較的安全に外を歩けるのです』
淡々と話す僕とモニの前で、田辺がぽかんとした顔になっていた。
「やっぱ平然としてるよな」
「平然とじゃないってば。不安だし怖いんだけど、どうにかするしかないってだけだ」
僕はオムレツの欠片を、口に運んだ。
「モニがいつも冷静だから、僕も引っ張られるように落ち着いていられるし。落ち着いて分析すれば、案外切り抜けられる」
「それってつまり、命を狙われることに慣れちゃったってことか」
「そうとも言うかもしれないね」
僕は冷たい水をひと口飲んで、そうだ、と閃いた。
「殺し屋は、間違ってターゲット以外を殺すミスを避ける。てことは、会社への帰りは田辺を盾にすれば安全だな」
「おいおいおい、ちょっと待て! 命を狙われる状況に慣れすぎて、倫理観おかしくなってねえか!?」
急に慌てだす田辺に、僕は、はははっと笑った。
「大丈夫大丈夫、さっきも言ったとおり、ターゲット以外はうっかりでも殺さないようにしてるみたいだから。モニのフォローもあるんだから、なんとかなるよ」




