表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/42

平凡男、契約する

 夜の帰り道。街灯の下に、僕を見つめている男を見つけた。目を見開いて、立ち尽くす彼の手には――ギラリと光る刃物が握られていた。

 僕を待ち構えるその影を見つけたと同時に、手首に巻いたスマートウォッチが光った。


『脈拍の上昇を検知』


「モニ。刃物を持った男がこっちを見てる」


 僕がスマートウォッチに呟くと、スマートウォッチの中のアプリ、モニが言った。


『カメラにて対象を確認。刃渡り約二○センチ、殺傷可能です』


 続けて、モニは周囲を警戒した。


『背後、また、二時の方向にも殺気を検知。計三箇所です』


 その瞬間、ガサッと音がして、背後の植え込みから人が立ち上がった。汚れたニットに無精髭の、清潔感のない中年だ。その腕には重たそうなライフルを構えている。

 街灯の裏の刃物男より少し先には、トラックが停まっている。運転席の人物は、目深に被ったキャップの下から、こちらを凝視していた。

 モニが無機質な声で言う。


『危険レベル:高。推奨ルートはありません』


 誰もが、僕の「死」を待ち望んでいる。


「またか。今日、何人目だ?」


 僕は肩をすくめ、歩を進めた。他にルートがないなら、行くしかない。もはやこれが、僕の日常になっていた。



 遡ること三ヶ月前。とある平和な朝、僕の日常の歯車は狂いはじめた。


 僕は某中小企業の経理部に勤めているサラリーマンだ。

 三十一歳、短大卒、単身者用アパート住まい、年収は平均かそれよりやや少ない程度。付き合っていた女性と先日別れて現在独身彼女なし、趣味はポイントカード集め。

 特に珍しくもない、平凡なスペックだと思う。


 普段どおりに職場に着いて、他部署から来た領収書の整理をしていたところへ、同僚から呼ばれた。


「おーい、佐藤。エントランスに客が来てるぞ」


「え? 僕に客?」


 僕の仕事は、社内向けの経理業務であり、他所からの来客は滅多にない。アポイントもなかったし、なんの用だろうかと疑問に思いつつも、呼ばれたからには応じる。

 僕を呼んだ同僚の田辺が言う。


「客、ヒューマナフォージ社を名乗ってるんだけど……マジ?」


「ヒューマナフォージ社!? あのIT企業最大手の!?」


 社会人なら知らない人はいないといっていいほどの、大手企業の名前が出た。「人間性を鍛造する」をコンセプトに、生々しいくらい人間味のある人工知能を開発している企業である。


「僕のスマートウォッチ、ヒューマナフォージ社製だよ。あのすごいデバイスを作った会社の人が来たのか?」


 僕になんの用が? もしかして、引き抜き?

 そんな有名企業に引き抜かれるような業績もないが。与えられている経理業務を無難にこなしているだけなのだから。

 エントランスには、スーツ姿の眼鏡の男性がいた。彼は感じよく微笑んだ。


「突然お邪魔してすみません。ヒューマナフォージ社開発企画室の上倉です。初めまして、佐藤翔平さん」


 受け取った名刺は、本当にあの大企業の名刺だった。


「アポイントもなく、急な訪問となってしまったのは、致し方ない事情がありまして」


「は、はあ」


「実は、今のあなたのリアクションも計測しているんですよ」


「はい?」


 上倉さんは、にこっと目を細めた。


「流石です、佐藤翔平さん」


 なにを言われているのか、よく分からなかった。分からなかったが、この上倉という人物は、僕に手応えを感じたらしかった。

 僕はエントランスから応接室に彼を案内した。上倉さんは早速、資料を取り出す。


「弊社は今、世界のどこよりも先を行く新しいAI技術の開発に取り組みはじめています。そのひとつとして、人間社会に紛れ込めるほどリアルな、人間より人間くさいAIを作っておりまして」


「へえ。なんか、すごい技術ですね」


「その最新型AIの学習元となる実在の人物を選ぶべく、弊社商品のユーザー様の中から、最も適した人物を探しておりました」


 なるほど。AIをリアルな人間に近づけるために、実際この世を生きている普通の人を学習元にするのか。

 上倉さんは、資料を僕に差し出した。


「佐藤さんはその、最新型AIの、学習元に選ばれたんです」


 話が一気に飛躍した。早速置いていかれる僕を眺め、上倉さんは平然と続けた。


「佐藤さんの人格、行動、発言内容が、AIの倫理テンプレートになるんです」


「僕がですか?」


「はい。最終審査となる、『ヒューマナフォージ社を名乗る人物が、アポなしで突撃してきたときの、一般人のリアクション』も完璧でした」


 上倉さんが大真面目な顔で続けた。


「ヒューマナフォージ社が作ろうとしている新型AIは、人間より人間くさいAI。佐藤さんは、どこにでもいる普通の人代表として、AIのベースにぴったりなんですよ」


 僕は平凡な人間だ。優秀でも有能でもなくて、秀でた才能もなければイケメンでも金持ちでもない。

 AIに学習させたいのは、特別でもなんでもない、平均値の人間。平凡中の平凡。僕はまさしく、AIが目指すような平凡な人間ドンピシャだったのだ。


「褒められては……いないですね」


「はい、別に褒めていません。『ちょうど良い人材』としか思っていません」


「平凡であること」に価値を見出されるほど、俺は平凡なのか。複雑な気持ちである。

 上倉さんは資料の一角を指さした。


「佐藤さん。こちらのAIの学習元として、行動の監視にご協力いただけるのであれば、月々一万円の協力金をお支払いさせていただきます」


 上倉さんが示した個所には、たしかに「毎月一万円」と刻まれていた。


「平凡な人の自然な行動を学習することが目的なので、佐藤さんには特別な行動をしていただく必要はなく、普段どおりに生活してもらうだけ。普段どおりなだけで、毎月一万円です」


「お、おお……」


 それは、ちょっと魅力的だ。


「でも、監視されるんですよね?」


「ご安心してください。データの学習は、ご利用いただいているスマートウォッチから得られる情報のみです。物理的にストーキングされるとか、家の中にカメラをつけられるなど、プライバシーの侵害はありません。佐藤さんが開示しているデータを収拾されるだけです」


 僕は自身の少しよれたスーツと、磨きが甘い靴に目を落とした。

 平凡に生きて、平凡に暮らすだけで、毎月一万円……。スマートウォッチはもともと使っていたから習慣がついているし、なにか新しく意識する必要もない。しかし即決するほどの度胸は、僕にはない。


「今すぐ決めないとだめですか?」


「その困惑と、揺らいで決めかねている感じも、ナイス平凡ですね。私は遠方からここへ訪ねており、これから帰社して別の仕事がありますので、今ご契約の可否を決めていただきたいです」


 上倉さんは穏やかな風でいて、押しが強い。悩んでいる暇は与えられないみたいだ。

 生活そのものは変わらないみたいだし、有名な会社だから危ないものでもない、だろう、多分。僕は思い切って、月々一万円で私生活を売った。


「分かりました。やります」


「ありがとうございます。では、スマートウォッチをお借りします」


 上倉さんは笑顔で、僕に手を差し出した。僕は手首のスマートウォッチを外し、上倉さんに手渡す。

 上倉さんは鞄から取り出した機器を僕のスマートウォッチに接続し、数秒後、こちらに返した。


「佐藤さんのスマートウォッチに、監視用アプリをインストールしました」


「監視用アプリ、ですか」


「はい。あなたの行動を学習する、専用アプリ『モニタロイド』です」


 上倉さんから受け取ったスマートウォッチを、腕に巻く。指紋認証で反応して、フォンと、画面が柔らかく光った。


『モニタロイド、起動します』


 ぱっと、画面が切り替わった。空色の背景に、白抜きで、ニコニコマークのような顔が映し出されている。


『初めまして、佐藤翔平さん! モニタリングアンドロイド、モニタロイドです』


「わっ、すごい。喋った!」


 僕が驚いて目を見開くと、モニタロイドなるアプリは、自然に返事をした。


『びっくりしました? これから、私はあなたの相棒になります。愛着がわくように、“モニ”とお呼びください』


「脈拍や内部カメラ、マイクで、佐藤さんの感情や反応を検知しているんです。モニは、人間相手みたいに、自然に会話が成立するんですよ」


 上倉さんが自慢げに微笑む。

 僕は呆然としてしまった。まるで、普段から使っていたスマートウォッチに命が宿ったみたいだ。突飛な話に驚いていて忘れかけていたが、そういえば今取引をしている相手は、AI開発の一流企業だ。彼らには、監視用アプリとしてこんなものを作ってしまう技術がある。

 画面の中のモニが、無邪気に表情を変える。


『佐藤さん、私にいろんなことを教えてくださいね! お仕事についてでも、趣味のお話でも、あなたのことをたくさん知りたいです』


「佐藤さんの自然体な言動を引き出すために、フレンドリーなキャラクターとなっております」


「なんか、かわいいですね」


 画面の中でくるくる変わるモニの表情は、ただの機械だと分かっていても、小動物的なかわいげがある。監視用などという枕詞がついているのに、モニ自身も言うように、愛着がわいてしまいそうだ。

 上倉さんは、にこにこ笑って続けた。


「佐藤さんの心理的・身体的状態のモニタリングのために、日常会話、興味関心に繋がる検索機能、ヘルスチェックなどもこれひとつで完結します」


「めちゃくちゃ便利だ。このアプリ自体は、製品化しないんですか?」


「あくまで監視用アプリですから、製品化は想定されていません」


 こんなに便利なアプリなのに、勿体ない気がする。

 上倉さんは、事務的に続けた。


「電子契約書を、モニを通じてお送りしました。まずご契約内容、監視に関する重要事項をお読みいただき、同意していただけたら、クラウドサインを入れてください。送信していただいたサインを弊社で受領して、契約完了です」


 契約内容、監視に関する重要事項をお読みいただき――これがどれだけ大事か、社会人なら身に沁みて分かっているはずだ。分かっているのに、ちゃんと読まない。それが、平凡な一般人というものだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ