光るキノコの町
暗闇の中、キノコの光に照らされて、彼女の長い黒髪は天の川のように煌めいていた。
「こんばんは。迷子かしら?」
その女性は、木の根元で蒼真に朗らかに微笑みかけた。
暗さと光のコントラストで正しい色は分からなかったが、白、或いはそれに準ずる淡い色のワンピースに身を包んでいる。レースの襟、くるみボタン、膝下丈のそのワンピースは、蒼真には少し古めかしく見えた。
蒼真は恐る恐る、口を開いた。
「お姉さん……誰? どうしてこんなところにいるの? もしかして、幽霊?」
「へっ? 幽霊?」
女は素っ頓狂な声を出した。蒼真が慌てて付け足す。
「ご、ごめんなさい。変なこと言って。だってこの山に迷い込むと、女の人の幽霊と出会うって聞いて……」
「あははっ、そんな噂があるのね。大丈夫、私は幽霊じゃないわ」
キノコの光に当てられた栗色の瞳が、蒼真を優しく見つめる。
ワンピースは少し黄ばみ、土汚れがある。長く森で暮らしているのだろうか。けれど、不思議と清潔感がある。古びた革靴さえも骨董品の人形の一部のようで、美しく見える。
透けるように白い肌と、優しげな目元に、蒼真は釘付けになった。
なんて、美しい人だろう。
うっとりと立ち尽くす蒼真に、女は目を細めた。
「私は静。あなたは?」
「僕は……蒼真」
「蒼真くん。ようこそ、この森へ」
キノコの灯と、大きな木、古く儚げな人形を思わせる、美しい女性。その幻想的な光景に、蒼真はしばらく、言葉を失った。
呆ける蒼真に、静は問いかけた。
「それで、蒼真くんはどうしてこんなところへ?」
「あっ、えっと、僕は……肝試しに来てて。友達とはぐれちゃって、それで」
蒼真は自分の足に視線を落とした。捻った足首が、赤く腫れている。静はひゃっと声を上げた。
「怪我してるのね! 大変、これじゃ歩くのもひと苦労だったでしょう。私の家においで」
「家?」
「ええ、こっちよ」
静が木の裏側へ回る。蒼真もついていく。巨木は根の一部が抉れており、地下に続く洞穴の入り口があった。
静が余裕で出入りできるほどの広さがある。彼女は根の下へと踏み込んでいった。彼女の家についていけば、足を治療してもらえるのだろう。蒼真は戸惑いながらも、穴の中へと足を踏み入れる。
大木の根が複雑に絡んでいる。足場は根が階段代わりになっており、安全に降りていける。洞穴の中も光るキノコがそこかしこに生えて、室内を電球で照らすが如く、視界を明るく守っていた。
根でできた階段の先には、より広い空洞が横に広がっていた。そこに広がる景色に、蒼真はまた、絶句した。
町だ。地下に、町がある。
木の根と半透明の白っぽい物質でできた、無数の建物が並んでいる。山の麓の集落とも、生まれ育った都会とも違う、ファンタジー小説の中の妖精の住処を思わせる町並みである。光るキノコで照らされているおかげで、地下なのに明るい。
蒼真は感嘆し、ぽかんとしながら周りを見回していた。上空も木の根と、半透明の膜で覆われていて、そこから淡い青白い光が降り注いでいる。地べたはまるで綿の絨毯のようで、白く、ふわふわと柔らかい。歩くたびにふわりと、粉が足元で舞う。空気はしっとりと湿っていて、甘く澄んだ香りが漂っていた。
「なに、これ……」
「驚いた? 地下にこんな町があるなんて」
静が振り向き、笑顔を見せる。
蒼真はきょろきょろしながら歩き、建物の外壁を観察してみた。蜘蛛の糸のような細く白い糸が折り重なったような質感だ。触れてみると、キノコの傘みたいにふにゃりと柔らかくて、蒼真はまた驚いた。
「こっちよ」
静が蒼真を呼ぶ。蒼真は初めて見る光景に戸惑いつつも、静を追う。
静の他にも、人がいる。古めかしいスーツを着た男が、少し離れた建物の前をゆっくり歩いている。この町で暮らす人が、他にもいるのだ。蒼真と目が合うと、スーツの男はなにも言わずに微笑んだ。
蒼真は見慣れない光景に気を取られながらも、静についていく。やがて静は、並んだ建物のうちのひとつの前で立ち止まり、扉を開けた。
建物の中も、半透明の白い物質でできていた。家具も全て同じ質感で、そして室内の照明はあの光るキノコである。
蒼真は白い小椅子に手を置いた。やはりキノコの傘のように、ふにゃっと弾力がある。
「これは……?」
「外から来ると、珍しいでしょう。これはキノコの菌糸でできているの」
静が白いベッドに目をやる。
「この森の地下には、さっき見たあの巨木を中心とした、菌糸のネットワークが張り巡らされてるの。この菌糸が土壌の有機物と結合して構造物を形成して、こんなふうに、建物や家具になるのよ」
説明されても、幼い蒼真には理解できなかった。きょとんとする蒼真に、静はくすっと笑う。
「分からなくていいわ。とりあえずここは、キノコの町。そう思ってくれればいい」
「キノコの町……」
灯りは全て、壁や床、天井から延びるキノコの光である。生活を形作る物質も全て、キノコ由来のもの。まさに、キノコの町なのだ。
「静さんは、ここで暮らしてるの?」
「そうよ」
「こんな山奥、不便じゃない?」
「それより居心地の良さが勝るわ。ここに住む人たちは余計なお節介をしてこないし、かといって冷たくもない。外へ出れば風や木の音が心地よい。自然の中に溶け込む生活は、のびのびとしてて気持ちいいわ」
蒼真は腫れた足に目を落とした。
不思議だけれど美しくて、幸福そうなこの町で、満足げに暮らす静。それに対して、反りの合わないクラスメイト、意地悪な近隣住民に囲まれて、不便な暮らしにうんざりする自分。比べてしまって、胸がちくりと痛くなった。
俯く蒼真に、静は問いかけた。
「肝試しに来たんだっけ?」
長い髪が、キノコの光で艶めく。
「お友達とはぐれちゃったのよね」
静の優しい声は、胸の扉をそっとノックするようだった。
「うん……いや、違う、かも」
蒼真は一旦頷いたのち、かぶりを振った。
「友達じゃない。知らない子だよ……。だって、全然仲良くないもん」
誰にも言えない気持ちが、自然と口からまろび出た。
「仲良くもないくせに、肝試しについて行った。行かないって断ればのけ者にして、ついていけば怖がってる姿を笑われる。そうだろうなって思ったけど、のけ者よりは笑い者のほうがましな気がして」
どちらに転んでも、傷ついた。
「結局突き飛ばされて、置き去りにされた。足を怪我したし、道に迷った」
「そう……怖かったわね」
「静さんに会えたから良かったけど。会えなかったら、死んでたかもしれない」
蒼真の声は、徐々に震えた。
「帰りたくないなあ……。帰ったら、洋介たちになにを言われるか。近所の人だってまた変な噂するだろうし、言いつけ破ったから、お母さんに怒られるだろうし」
静はなにも言わずに聞いていた。
「帰りたく、ない。あんなとこ、もう、嫌」
蒼真がそう、拳を握りしめたときだった。ふわっと、柔らかな感触に、全身が包まれた。
はたと顔を上げると、彼は静に抱きしめられていた。
「いいよ」
静の手が蒼真の頭を撫で、ぎゅっと抱き寄せる。顔に胸を押しつけられ、蒼真は頭が真っ白になった。静は蒼真を撫でながら、耳元で優しく囁く。
「つらい思い、たくさんしたんでしょう。全部、私に話してごらん」
「でも……」
「誰にも言えなかったよね。ここでは、泣いてもいいよ。怒っても、『嫌い』って言ってもいい」
蒼真は、静の胸元に顔を埋めた。 彼女の体は、少し冷たくて、でも不思議と安心できた。
「洋介なんて、嫌い」
押し殺していた言葉が、漏れる。ぽろっと、涙が溢れた。
「お母さんの悪口を言う知らない人たちなんて、もっと嫌い」
甘い匂いが、喉に絡みつく。
「接し方が分かんなくてギクシャクするおじいちゃんとおばあちゃんも、嫌い。お母さんを苦しめたお父さんも嫌い。助けてくれなかった周りの人も、みんな嫌い」
止まらない。小さな胸に抑え込んでいた思いが、溢れ出して、止まらない。
「たくさん間違えるくせに、僕に言うこと聞かせようとするお母さんも、嫌い……!」
「うん、いいの。それでいいの」
静が蒼真の髪を撫でる。
「大丈夫。ここなら誰も、蒼真くんを傷つけない」
蒼真は、唇を噛んだ。 目の奥に、言葉にならないものが渦巻いていた。
「ここは静かでしょ。誰も蒼真くんを責めない。誰も、君を笑わない。蒼真くんの声は、私がちゃんと聞いてる」
蒼真の頭には、甘美な痺れが走っていた。そうだ。山の中で置き去りにされたけれど、その結果、静に出会えた。
光るキノコの幻想的な道に出会い、地下に広がる白く美しい町を知り、そしてこうして抱きしめられる多幸感も――手に入れた。
静の腕が、そっと力を緩めた。静と、顔を上げた蒼真は、互いの目を合わせた。蒼真はすんと鼻を鳴らし、ひと呼吸おいた。静の肌は柔らかで、少し冷たい。
「帰りたくないよ」
「そうね」
「ここにいてもいい?」
「ええ、いつまでも」
「ずっと、そばにいてくれる?」
静は、蒼真の頬を撫でた。そして幼い顔を引き寄せ、囁く。
「ずっとそばにいるわ」
蒼真の肩に、光る胞子がふわりと舞い降りる。静は蒼真を抱き寄せ、そのままベッドに腰を下ろした。
蒼真は痛む足をぶら下げて、静に引き寄せられ、彼女の膝に乗った。甘い匂いに脳をとろんと溶かされて、頭が働かない。静は蒼真の頬を撫で、耳を撫で、濡れた唇に触れた。
「蒼真くん」
胞子が、蒼真の鼻先に舞う。
「この森の地中には、菌糸のネットワークが張り巡らされてる。このベッドも、家そのものも、町そのものも、さっきすれ違った人も。全部、菌糸のネットワークの一部よ」
「……?」
静に触れられた肌が、熱くなる。瞼が重くなっていく蒼真の耳に、静は吐息混じりに語りかけた。
「ここは、かつて地上で生きていた人間の記憶でできているの。構造物は全て、人々の記憶を元に模倣されたもの。そして記憶と引き離された人々の意志は、菌類の集合意識に属している」
「静さん……どういう意味? 僕、分かんないよ」
「蒼真くんも、その一部になるの。そうすれば、ずっとここにいられるからね」
蒼真の体が、ぴくんと跳ねた。しかしそれは神経の反射に過ぎない。彼の意識は、すでに遠く彼方へぼやけていた。




