夜の森の肝試し
「よし、揃ったな」
夜の校門の前で、洋介は集めた面々の顔を懐中電灯で照らした。
田舎の夜空は、都会に比べ星が多かった。街明かりがないぶん夜の道は暗く、蒼真は家から学校までの短い距離にも緊張した。
母や、同居の祖父母には見つからず、上手く家を抜け出してこられた。洋介とその友人も、慣れているのか全員難なくここに集合していた。
照りつける太陽が引っ込んでも、生ぬるく温まった空気のせいで、じっとりと蒸し暑い。周辺の田んぼから聞こえるカエルのざわつく声が、べったり塗られた黒い夜空に響き渡っている。
「それじゃ、早速行くぞ」
洋介が音頭を取り、子供たちは裏山の入り口に入っていく。蒼真も、彼らの後ろ姿に続いた。
森がざわざわと、木の葉を擦らせる。パキッと、誰かが小枝を踏んだ音がした。時折ガサガサと動物のものらしき物音がして、蒼真は身を縮こまらせた。
蒼真以外は、全員が懐中電灯を持っている。おかげで行く先も足元も、明るい。木々のトンネルが延々と続く。細い足場は土と朽ちた葉で柔らかく、泥濘んでいた。
メンバーはクラスメイトや、学年は違えど同じ学校の子供たちである。引っ越してきて間もない蒼真は話したことのない子ばかりで、自分が浮いている空気を嫌でも感じ取っていた。
彼は敢えて、思い切って話題を振った。
「山に幽霊が出るって噂なんだよね。僕、まだ引っ越してきて日が浅くて、そういう話を全然知らないんだ。教えてくれる?」
「ああ、そうだったな」
先を行く洋介が振り向く。
「俺たちが生まれるよりずっと前に、集落で暮らす女が、この山で行方不明になったんだって。それ以来、夜に山に入ると、女の幽霊と出会うって言われてんだ」
「その女の人は、山の中で事故に遭ったりとか、道に迷って帰れなくなっちゃったのかな……」
風で木の幹が揺れる。コウモリが飛び、雲が星を隠す。
本当に幽霊が出そうな不気味な気配と、道に迷ったらどうしようと現実的な不安感で、蒼真は、蒸し暑いのに鳥肌が立った。
洋介がわざとらしく、蒼真を脅かそうと声を低めた。
「多分な。今も幽霊になって、山から出られずに彷徨ってるんだよ」
「そうそう! でね、その幽霊を見た人は、同じように山から帰れなくなるんだって」
そう付け足したのは、洋介の友達のひとりだった。蒼真はまだ、顔と名前を一致させていない。他の友達が言う。
「でもさあ、帰ってこなかったんなら、山でなにがあったか分かりようがないよな。幽霊を見たかどうかだって、証明できないじゃん」
「やっぱ作り話なんだよ」
静かな森の中に、子供たちの声が響く。
「昔からある話みたいでさ、地域に伝わるわらべ歌もあるんだよ」
洋介がそう言うと、友達のうちのひとりが、徐ろに歌い出した。
森の奥に 光が灯る
誰も知らない 木の根の下で
ひとりぼっちの 子供が来れば
優しい声が 名前を呼ぶ――
蒼真は大人しく聞いていた。
山の中で、ひとりの女が行方不明になった。彼女は幽霊と呼ばれるようになり、出会ってしまった人は同じ運命を辿る。そんな、ありきたりな怪談だ。
油断してる山に迷い込まないよう、戒めとしてそんな話が創作されたのだろうと、子供ながらに思う。
母が話していた、「山は危険だ」という言葉を思い出す。この地域で生まれ育った母は、実際に行方不明になり、帰ってこなかった人がいた話を知っていて、蒼真にも念を押したのだろう。
でも、帰ってこられれば、問題ない。
なにかあったら危ないから、という教えならば、なにもなければセーフだ。洋介の言うとおり、なんでも母が正しいわけではない。母は過保護すぎるかもしれない。蒼真は懐中電灯で照らされた森の奥へ、さらに踏み込んでいく。
と、そのときだった。
ガサガサッと、間近で木が大きく揺れた。音に驚いた子供たちは、全員が飛び上がった。
「うわああ! 出たあ!」
いちばん勇んでいた洋介がいちばん大きな声を上げ、いちばんに駆け出して来た道を戻っていった。狭い通路で突然走り出す洋介に、蒼真は弾き飛ばされた。泥濘に足を取られて、転ぶ。しかしそんな彼に見向きもせず、洋介は一目散に駆けていく。
リーダー格の彼に釣られるように、残りの子供たちも走り出した。蒼真も追いかけようとしたが、尻もちの姿勢から起き上がるまでの数秒が、大きなロスになった。
「ま、待って!」
足首がズキッとした。追いかけようにも、走れない。湿った木の葉で滑り、もたつく。
カサカサッと揺れた木からは、タヌキが一匹現れ、蒼真を見上げてから逃げていった。
連れ立っていたはずの面々の懐中電灯の灯りはあっという間に小さくなり、見えなくなった。月の光は鬱蒼と茂る木の葉に遮られている。辺りは真っ暗だった。
「みんな……待って……」
蒼真は絶望で、か細い声を出した。もう、懐中電灯の光は見えない。声は誰にも届かない。
完全に、取り残された。
よたよたと歩き出し、通ってきた道を戻る。しかし暗くて周りが見えない。道だと思って足を出した先は絶壁で、慌てて引っ込める。湿った空気の中、額と背中に汗が滲む。
来た道を戻っているつもりが、道幅は狭くなり、森は深まっていく一方である。捻った足が痛む。道を間違えたようだ、とまた数メートル戻り、別の通路を見つけて入り、また戻りと繰り返しているうちに、方向感覚は完全に失った。
「どうしよう……」
山で道に迷い、行方不明になった人がいる。きっとその人も、こんなふうに……。
お母さんの言うこと、聞けばよかった。たとえ肝試しを断って、友達ができなかったとしても、こんな目に遭うよりはマシだった。足の痛みで余計に孤独を感じる。今さら後悔して、泣きそうになる。
蒼真はふらふらと、必死に歩いた。いつかは広い道に出られるはずだと、信じる他なかった。
そんな彼は、視界の先にふと、黄金色の粒がひとつ見つけた。暗い森の中、そこだけ明るく光っている。
懐中電灯だろうか。蒼真を捜しに、洋介が戻ってきてくれたのかもしれない。蒼真はその灯に吸い込まれるように、足を引きずりながら歩いていった。
光の粒は、近づくとふたつに増え、三つ、四つと増えた。みんな、戻ってきてくれたのか。
少し足を速めた蒼真だったが、しかし、灯の正体は懐中電灯ではなかった。
「キノコ?」
光っていたのは、木の根から生えたキノコだったのだ。懐中電灯ではなかった。でも、打ちひしがれるほどショックでもなかったのは、このキノコの優しい光が美しかったからだろうか。
蒼真はキノコに目を奪われた。キノコは暗闇の中で、青白くほわほわと発光している。まるで、星くずで作った道みたいだ。
辺りを見回してみると、光るキノコは他にも、周辺にぽつぽつと生えていた。少し先には、もっとたくさん生えている。蒼真には、その灯は道しるべに見えた。小さな灯の粒を辿り、より光り輝く方へと、足を引きずっていく。光るキノコの密度は徐々に上がり、増えていくごとに、足元が明るくなった。
やがて彼は、一本の巨木に辿り着いた。
星を散りばめた木。蒼真の頭に、真っ先にそう浮かんだ。
木の幹には光るキノコが無数に生え、周辺もキノコの灯でふわりと照らされている。まるでここだけライトアップされているかのように、キノコが放つ光に包まれているのだ。
「すごい。こんな場所があったんだ」
なんて美しいのだろう。優しい柔らかな灯は、眩しすぎなくて、温かみがあって、見ていると心が癒されていく。
呆然として木を見上げていると、カサッと、落ち葉を踏む音がした。蒼真は我に返り、辺りを見回す。
すると、キノコで光る巨木の裏から、若い女性がひょこっと顔を出しているのを見つけた。蒼真と彼女とで、目が合う。
「あら、お客さん?」
その涼やかで優しい声は、ひとりぼっちの蒼真を、そっと迎え入れたように聞こえた。




