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わらべ歌『森の灯』

森の奥に 光が灯る

誰も知らない 木の根の下で

ひとりぼっちの 子供が来れば

優しい声が 名前を呼ぶ


水をあげれば 地が潤い

手を触れれば 心が繋がる

けれどその先 帰り道

どこにも もう 見つからない





蒼真そうま。山には絶対に入っちゃだめよ。森が広がってて、危ないからね。言うこと聞ける?」


 宇津森うつもり蒼真の母親は、終わりにこのひと言をつける癖がある。小学五年生の蒼真はもう、反発するほど幼くもない。母の口癖に慣れており、返事はいつも変わらなかった。


「うん。分かったよ、お母さん」


 彼はそうして、母親に従ってきた。

 

 中部地方の山間部に、とある小さな集落があった。東京生まれ東京育ちの蒼真は、両親の離婚を機に、母の故郷であるこの集落に引っ越してきた。

 七月の中頃の、酷く蒸し暑い時期だった。


 自分の部屋がない蒼真が居間で宿題をしていると、外から近所の子供の大声が飛んできた。


「蒼真ー! 良いもの見せてやるぜ」


 蒼真は一瞬顔を顰めたのち、渋々と立ち上がって玄関の扉を開けた。その途端、顔の真ん前にクワガタの腹が突き出された。


「ひっ」


 思わず飛び退く蒼真に、クワガタを突きつけた少年が笑う。


「はははっ、ビビリすぎ。虫が怖いのかよ」


 クラスメイトであり、ふたつ隣の家の洋介は、悪気もなく蒼真に虫を見せては反応を面白がっていた。

 洋介のよく響く声を聞いて、向かいの家の前で立ち話をしていた老婆たちが、蒼真の方を見た。彼を横目に、ひそひそと話す。


「宇津森さんちの娘さん、離婚して戻ってきたんだってねえ。気取って都会に出ていって、結局子連れで出戻りだってさ。みっともない」


「息子のあの子は、暗くてかわいげがない。子供は洋介みたいに、わんぱくで素直な子がいちばんかわいい」


 窒息しそうだ、と、蒼真は口の中で呟いた。


 娯楽が少なく、不便な土地。距離感の掴めない近所の子供、不快な虫、夜中のカエルの声、凝り固まった古い考えの近隣住人たちからの、好奇の目。

 もとより大人しい性格である蒼真は、この息苦しさで笑顔を失っていたせいもあり、陰気な子供扱いを受けた。母の事情もあって偏見を持たれるから、余計に色眼鏡で見られる。

 だだっ広いのに、逃げ場がない。蒼真にとって集落を囲む山々は、緑の檻だった。


 鬱屈とする蒼真に、洋介が歯を見せて笑う。


「クワガタごときでビビって、面白え。そうだ! もっとビビること、教えてやる」


 蒼真は黙っていた。早く戸を閉めて居間に引っ込みたいが、ここで冷たい態度を取ると、近所からの評判が余計に悪くなる。

 洋介は盗み聞きをしている老婆たちを一瞥してから、彼女らに聞こえないよう、声を潜めた。


「学校の裏山の森に、女の幽霊が出るって噂があるんだよ」


「ふうん」


「今夜、ハッシーとゴンとタミちゃんと、本当かどうか確かめに行くんだよ。要は肝試しってこと。お前も来るか?」


 洋介の友達らしき名前が羅列される。蒼真は即刻、首を横に振る。


「だめだよ。山には行っちゃだめだって、お母さんから言われてる」


 と、蒼真が言うなり、洋介は露骨に肩を竦めて見せた。


「つまんねえ奴。なんでも母ちゃんの言うとおりかよ。大人に寄生する奴のこと、パラサイトシングルって言うらしいぞ」


「それ、意味知ってて言ってる?」


 子供が親の注意を聞くのと、大人になっても親に依存するのとは、違う。と、蒼真は思った。あまり深く考えずに、テレビで見た言葉を使っただけの洋介は、少し返事に詰まってから、主張を変えた。


「ともかくさ、なんでも母ちゃんの言うことだけ信じていればいいのか? そんなになにもかも、母ちゃんが正しいのかよ」


「それは……」


 今度は、蒼真が言葉を詰まらせた。

「言うこと聞ける?」母親にそう念押しされるたびに、彼は素直に従ってきた。しかし、全て母が正しかったかと振り返ると、自信を持ってそうだとは言えない。

 母は父との結婚を後悔していた。その果てに、散々揉めて離婚した。母に従ってついてきたこの集落での生活は、今まさに蒼真を苦しめている。

 母は必ずしも正しいわけではない。だから、彼女に従ってばかりが正しいとも限らないのだ。


 黙ってしまう蒼真に、洋介が言う。


「肝試し、仲間に入れてやってもいいぞ。お前に度胸があればだけど」


 蒼真は考えた。引っ越してきてまだ日が浅く、蒼真はまだこの地に馴染めていない。学校に友達はいない。このまま夏休みに入って学校へ行かなくなれば、夏休み明けにはより孤立してしまう。

 洋介は苦手なタイプではあるが、この集落では同世代の子供は貴重だ。デリカシーは足りないとはいえ、話しかけてくる存在でもある。

 母親の嫌味を言う年寄りたちよりは、余程ましだ。


「肝試し、行ってみたい」


「えっ、マジで?」


 どうせ断ると思ったのだろう、洋介は意外そうに目を剥いた。蒼真がこくんと頷く。


「折角誘ってくれたから。仲良くなりたいし……」


「そ、そうか」


 自分から誘ったくせに、洋介は面食らっていた。


 蒼真は下を向く。友達が欲しいのは、本心だ。今は苦手だけれど、もし洋介やその友人と打ち解けられたら、ここでの生活が楽しくなるかもしれない。近所の人も、他の「わんぱくで素直なかわいい子供」たちと遊んでいる蒼真を見れば、「かわいげがない」などと言わなくなるかもしれない。

 この狭いコミュニティの中では、いかに他人と上手く関わるかが大事。周りからの蒼真への評価が変われば、母への偏見も少しは改められるかもしれない。

 母の言いつけを破って山へ遊びに行くのは、母のためでもあるのだ。


 洋介が尋ねる。


「お前んち、懐中電灯ある?」


「あると思うけど、引っ越してきたばかりだからどこにあるか分からない」


「そうか。いいよ、俺が持ってくから、はぐれないようについてこいよ」


 洋介にそう言われると、蒼真は少し、仲間内に入れた気持ちになれた。洋介が小声で締める。


「それじゃあ、今夜十時、学校の裏門に集合な。大人にバレると面倒だから、寝たふりしてからこっそり家を抜け出すんだぞ」


「うん」


 母の言いつけを守って真面目に育ってきた蒼真は、初めての冒険を心に決めた。不安と期待は、夜の集合時間に向けて、胸にみるみる膨らんでいった。

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