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決行、最後の戦い

 その晩、俺はユーリとともに、改めて情報を整理した。


「食事の配給係……いや、もう、監視者と呼ぼう。あいつらは、俺たちに整った環境と食事を与える。定期的な身体検査もある」


 夜空に星が瞬いている。月が俺たちを見下ろし、それはまるで、この会話を盗み聞きされているかのように思えた。


「ヴィノは体調を崩してから回収されてる。思い返せば、以前、日向で休んでばかりのレイチェルが連行されたこともあった。揉め事を起こしたビクターとリックの間に監視者が来たのは、多分、怪我の恐れがあったから」


 ユーリがひとつ、まばたきをする。


「監視者たちは、僕たちの身体を気にしてるってことですかね」


「死なれちゃ困る、っつーことだな」


 俺たちは生きること、ここに存在することの全てを、あいつらに管理されているのだ。

 うーん、と、ユーリが首を傾げた。


「でも僕、前の現場でもピンピンしてたけど、ここに連れてこられましたよ?」


「たしかにあんたは、うるせえくらい元気だな。となると、回収される要因はひとつじゃねえんだろうが……」


 俺は真上の月を睨んだ。


「少なくとも、いくつかある回収要因のひとつは、身体異常だろうな。体調が悪そうだったり、危ねえ挙動で他の奴を怪我させそうだったりすると、回収されるんだ」


 この現場の治安を乱せば、現場から追放される。それが、外の世界を知る近道だ。


「ユーリ。明日、俺はあんたを殴る」


「えっ!?」


「そしたら何倍もの力で、俺を殴ってくれ。滑りやすい岩場があっただろ。あそこで俺を殴って突き落とせ。俺も這い上がってきて、もう一度あんたにやり返す」


「僕と先輩で喧嘩するんですか?」


「フリだけだ。俺はあんたに怪我を負わせたりしない。でも、ユーリは本気で殴ってこい。怪我しないと、連行されねえかもしれないからな」


 目立つ暴動を起こせば、監視者は俺をマークする。そして怪我を負えば、ユーリよりも俺が優先的に回収されるはずだ。

 ユーリがぽつりと言った。


「……カイ先輩、なんでそんなに、外の世界が気になるんですか?」


 月明かりの中、ユーリが身に纏う白と黒のコントラストが浮き上がる。


「僕が喋るまでは、先輩は外の世界なんて全然気にしたことなかったんでしょ。それなのに、身を挺してまで調べようとするのは、なんでですか」


「さあな」


「僕、ちょっと後悔してます。僕が余計なこと言わなかったら、先輩は危険を冒したりしなかったんじゃないかって」


「どうだろうな。きっかけはたしかにあんただったが、どのみちいずれは気づいて、気になって、追い求めたと思う」


 ユーリが現れる前から、俺は水底という、自分の知る限りの世界の果てへと潜っていた。きっと心のどこかで、自分で辿り着ける場所の限界を追い求めていたのだ。


「ありがとな、ユーリ。あんたのおかげで、俺は自分がなにをしたくて生きてるのか、分かった気がする」


「先輩……」


 ユーリは俯いて、声を萎ませた。


「本当は、僕、先輩にどこにも行かないでほしいです。まだここに来て日が浅くて、分かんないこといっぱいで。先輩がいなくなったら、不安です」


「勝手にしんみりすんな。回収されるかどうか、まだ分かんねえだろ」


「だけどもし明日、喧嘩のフリして先輩を殴って、それが最後になったらと思うと……」


 ユーリがぐずぐずと縮こまる。明るくてうるさいユーリが落ち込むと、らしくなくて見ていられない。俺はぽんと、彼の背中を叩いた。


「分かった、じゃあ約束する。この現場の外へ飛び出して、誰も見たことがない世界の果てまで見てきたら、必ずここに戻ってくる。それでいいだろ?」


 柄じゃねえのは分かっている。でも、ユーリが現れた日、俺はこいつの面倒を見てやると決めた。引き受けたからには、やり遂げるのが仕事のできる労働者だ。

 ユーリは少し顔を上げ、俺を見つめてから、頷いた。


「約束ですよ」


「ああ」


「思いっきりぶん殴りますから」


「任せた」


 俺は短く返事をしてから、目を閉じた。そして閉じたまま、ぽつんとぼやく。


「でもあんた、最初に会った夜、『寝るから静かにしろ』って言ったのに約束破ってお喋りしてたよな……」


「ちょ、ちょっと! だからって今の約束、破んないでくださいよ?」


 ユーリのひっくり返った声を聞くと、なぜだか少し、安心した。



 夜が明けてすぐ、監視者が姿を見せた。俺はすぐにユーリを起こし、足が滑りやすい岩場へと向かう。

 岩場に着くなり、声がデカいユーリは、真っ先に叫んだ。


「うわぁああ!」


 彼の声で、各々作業に入っていた同僚たちが振り向く。現場のメンテナンスに入っていた監視者も、顔を向けた。

 注目が集まったことを確認して、俺はユーリの頬に手を翳した。


「行くぞ、ユーリ!」


 パンッと、ユーリの頬に平手打ちが入る。反動で顔を横に向けたユーリが、キッと、俺を睨んだ。


「先輩! えいっ!」


 ユーリの短い腕が、俺の頬に振りかぶられた。俺は避けずにそれを受け止め、背中から水中へと突き飛ばされた。バシャッと音を上げ、飛沫が高く上がった。

 水の圧力に包まれながら、沈んでいく。水深が深くなるにつれて青も深みを増し、他の色の光が届かなくなっていく。

 自分の身体から浮き上がる気泡の行き先を眺め、やがて俺は、水中で姿勢を立て直した。一回転して床を蹴り、反転、真上に向かって突き上がっていく。

 水面から飛び出し、構えているユーリの前へと着陸する。


「やりやがったな、ユーリ!」


 俺はユーリに体当りして、今度は彼を水の中へと叩き落した。ユーリはすぐに浮かび上がってきて、俺を水の中に引きずり込む。互いにもがくほど、バシャバシャと飛沫が飛び散った。


「うあああー!」


 夢中で叫ぶユーリの声が轟く。同僚たちは陸地からオロオロと、こちらの様子を窺っている。

 ユーリの手が俺の頬に当たる。チクッと、傷ができる感触があった。俺は彼の肩に噛みつき、水中へと道連れにした。


 どこまでも青い水底へと、ふたりで沈んでいく。揺らめく光の中、ユーリの体が小さな泡を纏う。その間もユーリは俺を蹴飛ばして攻撃した。水の中では、大して痛くもなかったが。俺も足でユーリの腹を押しのける。


 今まで、面倒なことは避けてきた。

 気が強いビクターには近づかないようにしてきたし、ヴィノを見て色恋は馬鹿らしいと思った。

 ひとりでもこなせる仕事なんだから。他人に興味を持つ必要なんて、なかったから。世界の仕組みなんて知ろうとしなくても、生きていけるのだから。


 こんなふうに誰かと絡み合って、もがいて、苦しみながらひとつになったのは、初めてだった。


 浮力が俺たちの体を押し上げ、だんだんと眩しい光の中へと浮かんでいく。水面から顔を出すと、同僚たちに囲まれて、監視者が膝をついていた。俺はユーリに目配せして、監視者のいる陸地へと這い上がった。

 足をもつれさせて、よろよろと上がる俺を、監視者が素早く受け止めた。ユーリは手で制されただけだ。

 監視者は俺を取り押さえると、扉の方へと連れ出した。ユーリの視線を感じる。


「カイ先輩……」


 俺は浅く息を吐いて、目を瞑った。作戦は成功した。これで俺は、扉の向こう、この現場の外の世界への一歩を踏み出したのだ。

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