監視者の動向
それから数日間、俺とユーリは食事の配給係の観察をはじめた。
配給係は、一日に何度も現れる。俺たちの仕事場であるこの現場の裏、岩場の向こうの扉が、唯一の出入り口のようだ。
今日も、奴は現れた。
「来たな」
俺は慎重に、配給係の背後をつけて歩いた。動く距離は短い。素早くもない。むしろ緩慢で、隙はある。
俺とユーリの気配に気づいたのか、配給係が振り向いた。
「なんだ?」
俺は咄嗟にユーリを引き込み、岩場の裏に隠れた。ちらっとだけ顔を出すと、配給係と目が合った。ドキリとする。
しかし配給係は俺たちに気づいても、不敵に笑うだけで、なにもしてこなかった。
ユーリが俺を見上げる。
「尾行してたの、バレたっすかね?」
「多分な。でも余裕の笑みだった。なに考えてんのか、分かんねえな」
配給係が現れる理由は、食糧の配給だけではない。俺たちの労働環境を整える必要があるのだろう、今も、現場のメンテナンスに来ている様子だ。
しかしこういうときは、装備が軽い。逆に食糧を運んでいるときは、運ぶものの重さで動きも鈍くなり、隙が大きくなる。
配給係は現場のメンテナンスを終えて、例の扉を開けた。その向こうへと消えて、パタンと、扉が閉まる。配給係がいなくなったのを見届けて、俺とユーリは、扉の前まで出てきた。
「この扉の向こうが、きっと現場の外に繋がってんだよな。けど、どうなってんだ? 俺には開けられねえ」
「不思議ですよね。配給係は軽々と開けるのに、僕らが押しても引いても、びくともしない」
この扉を自力で開けられれば早いのだが、そうはいかない。となれば、配給係が開けたと同時に、滑り込むしかない。
数日の観察で、なんとなく、配給係の行動パターンは読めてきた。メンテナンスで現れるときより、食事の配給で来るときの方が、隙が大きいから狙い目。そして、食事の時間は決まっている。勝負に出るなら、そのタイミングだ。
「ユーリ。俺は今日の昼飯の時間に、あの扉を突破する」
「い、行くんですか」
「ああ。あんたも協力してくれ」
*
「来ました!」
高いところから様子を見ていたユーリが、俺に合図を送ってきた。岩陰に身を潜めていた俺は、彼からのサインを機に動き出す。
扉の向こうから、食事の配給係が食糧を持って現場に現れた。あの扉――あれを越えた先が、この現場の出口だ。
配給係が姿を見せると、腹をすかせた同僚たちが彼の方へ徐ろに向かう。並んでいるようで列はなく、順番はあるようでない。
配給係を囲んで入れ食い状態になっているうちに、俺は扉を目指した。まだ半開きの隙間に頭から突っ込んで強行突破する。
「あっ、こら!」
配給係が俺を止めようとするが、手元は食糧で埋まり、さらに配給を求めてやってきた仲間たちに包囲されて、上手く動けずにいる。狙いどおりだ。
今のうちにとひたすら突進した。できる限りの全力疾走で、扉の向こうの廊下を走る。
しかしほんの数秒後、進行方向に別の人物が現れ、俺の行く手を阻んだ。廊下の途中で、俺は腰から取り押さえられた。
「なにをしている。戻れ」
「くそっ、放せ!」
もがいても無駄だった。いとも簡単に捕まり、結局また、現場へと連れ戻される。
配給係がふたり並び、なにか会話している。俺は配給された食事を頬張る同僚の中へ、押し戻された。ユーリが不安げに俺を見ている。
一度は失敗したが、これで終わりではない。チャンスは二回ある。配給係が、扉の向こうに帰るとき。再び、扉は開く。
俺は岩場の陰から水に飛び込み、脱出を諦めた素振りだけ見せた。配給係を油断させ、次の作戦に移る。
反対側の岩場へ上がる。その岩を盾にして扉の方へと回り込む。
扉は閉まっている。次に開くその瞬間が、勝負だ。俺は食事の配給が終わるまで、物陰に隠れて息を潜めた。
配給係が食糧を配り終えて、扉のノブを捻った。
今だ。俺は配給係の脇に滑り込み、扉の向こうへと飛び込んだ。
「今度こそ……!」
「ああ、また!」
配給係が気づいた。俺を捕まえようと手を伸ばしてくる。ここで、控えていたもうひとつの作戦が発動する。
「うわーっ!」
現場に残っていたユーリが大声を出し、配給係の気を引くのだ。ユーリが全力で喚いている。
「うわああー! ぼわぁああ!」
「どうしたどうした」
飯を食べる同僚たちの視線が、ユーリに集まる。配給係も、ユーリを振り向いた。
いいぞ、ユーリ。この隙に俺は、この通路を突破する。
と、勇んだのだが、現実は甘くなかった。配給係はユーリに気を取られながらも、俺の首根っこを押さえた。そして扉の外へと、ぽいっとつまみ出す。
再び現場に放られた俺を残して、扉はにべもなく閉まった。
「はあ、はあ……カイ先輩……」
叫び疲れたユーリが寄ってくる。俺はその場に座り込んだ。
「すまん、ユーリ。協力してくれたのに……。あいつ、めちゃくちゃ力が強い。敵わねえよ」
「でもいい線いってました!」
「だめだ、全然いい線じゃない。正攻法じゃ、力で敵わないって証明されただけだ。作戦を練り直すぞ」
と、そこへ、ノシノシと足音が聞こえてきた。
「どうしたユーリ。大声なんか出して。お前はいつもうるせえけど、さっきのはその比じゃなかったな」
やってきたのは、大柄な男。ビクターである。デカいが故に力が強い、この現場のボス的存在だ。怖い物知らずのユーリは、ビクターに駆け寄った。
「そうだ! ビクターさんって、力持ちなんですよね? ビクターさんなら、配給係よりも強いんじゃないですか? ビクターさんに協力してもらいましょうよ」
「なんだお前ら、まさか、配給係を倒すつもりか?」
ビクターがぎょっと身を反らせた。
「バカなことを考えるのはやめろ。どうしたってあいつには敵わないぞ」
「そんな! この現場最強のビクターさんでもですか?」
ユーリが素っ頓狂な声を出す。ビクターは頭を掻き、ため息をついた。
「俺だって、あいつに捕まって身体検査をされた経験がある。逃げ出せなかった。多少は抵抗できるが、そのうち押し込められる」
「び、ビクターさんですら、手も足も出ないんですか?」
目を白黒させるユーリを、俺は黙って横目で見ていた。冷静に考えたら分かる。あいつら――配給係は、このビクターすら取り押さえる腕力の持ち主だ。
ビクターが深く頷く。
「そうだぞ。最悪の場合、あいつは仲間を呼んで複数人で取り押さえるからな」
「ええーっ! ひとりでも強いのに、仲間も加わるんですか!? なんで? 配給係なんて、食事を配るだけなんだから、そんなに強い必要ないでしょ」
俺も、扉の向こうで配給係の仲間に捕まって戻された。あいつらは個体が強いだけでなく、味方を呼ぶ。仮にひとり出し抜いたとしても、次から次へと出てくるのだ。戦って勝てる相手ではない。それを思い知らされた。
その反省をした上で、俺は改めて、ビクターを見上げた。
「なあビクター。あんたは俺よりここで暮らして長いだろ。同僚が増えたり減ったりしてるの、たくさん見てきたはずだ。あんたは、どう思う?」
「どうもなにも、抗えない運命だとしか」
ビクターはボスだ。ボスとしてこの場所を見ていた彼だからこそ、気づいていた。ビクターの視線は、俺からユーリに移った。
「ユーリ。さっきお前、『配給係なんて、食事を配るだけなんだから、そんなに強い必要ない』って言ったよな。そう、『食事を配るだけ』なら、強い必要なんかねえんだよ」
俺も、気づきはじめていた。
「だけじゃねえ、ってことだな。身体検査や、新人の搬入……あいつらは、ただの飯の運び屋じゃない。俺たちを管理する、管理者だ」
「そのとおりだ、カイ。配給係は普段はただ飯を持ってくるだけだが、飯とはつまり肉体を作るもの。奴らは俺たちの生命線を握ってる。そして同時に、俺たちがこの現場で暴れたり、脱走したりしないか、監視してんだよ」
ユーリが恐ろしそうに身を縮こまらせる。俺はビクターを見上げたまま、唸った。
「つまり……」
俺はひとつ、息を吐いた。
「問題を起こせば、あいつらの目に留まる。この現場に置いておくのは危険だと判断させれば、強制的に連行される、ってことだな?」
ユーリも、リックも、ヴィノも、ミリィも、異動が決まったときには、配給係に連れて行かれた。本人たちは理由が分からなかったかもしれないが、なんらかの理由で、配給係から目をつけられたに違いない。
配給係の脇をすり抜けても、扉の先を突破できない。ならばこちらから配給係に捕まるような悪行を犯し、連行される方が、手っ取り早いではないか。
ビクターが顔を強張らせた。
「やめろ、危険だ。帰ってこられなくなるぞ」
「だけど、俺はこの現場の外を知りたい。知らない場所へ連れて行かれるなら、願ったり叶ったりだ」
「どこへ連れて行かれるかなんて、分かんねえだろ!」
ビクターが声を荒らげた。
「仕方ねえ、ずっと隠してたが、この際だから教えてやる。俺は以前、あいつらに捕まって無理やり押さえつけられて、妙な実験に付き合わされた」
「ひぇっ!?」
俺の代わりに、ユーリが変な声を上げて飛び上がった。俺は彼を横目で一瞥してから、ビクターに視線を戻した。
「詳しく」
「なにをされたのかは、自分でも分からない。顔を覆われて周りが見えない状況で、暴れられないように押さえ込まれたのはたしかだ。そんでなにか飲まされたり、背中になにか突き刺されたり、とにかく酷い目に遭った」
ボス気質で強気なビクターがこんな弱みを見せてくるくらいだ。彼は本当に、世にも恐ろしい目に遭ったのだろう。
「それはいつだ? なにをしたのがきっかけだった?」
「新人として、リックが入ってきたときだ。俺のテリトリーに踏み込んできたから、大喧嘩になってな。それを配給係に仲裁されたと思ったら、別室に連れて行かれたんだ」
なるほど。リックの証言と一致する。現場で揉め事を起こした彼らは配給係に止められ、そしてビクターはそのまま、実験台に送られた。
「だけど、無事に帰ってきてんじゃねえか」
「それは俺が強かったからだ。あれがカイだったら、死んでたかもしれねえ」
ビクターの真剣な面持ちに、ユーリが無言で震え上がる。俺も口を結んで、考えた。
ますます謎が深まった。俺たちを監視する配給係、もとい、監視者。強制的で、抵抗を許さない、残虐な行為。
そんな奴らが俺たちに妙に整った生活環境と充分な食事を与えてくる。
俺たちは、なんのためにここに生かされている?
「上等だ。余計に興味が湧いた。次に配給係が来たときには、わざと捕まってやるよ」
「カイ先輩……」
ユーリが震える。震えながらも、小さく頷いた。
「カイ先輩がそう言うなら、僕、どこまでも協力します」
世界は水底止まりではない。俺の知らない裏側が、確実にある。それを知りたい。例え、この命を賭してでも。俺はもう、立ち止まれないところまで来ていた。




