後輩は知っている
仕事が終わる時間になると、放送が流れる。この音を聞いたら、世界は夜を迎える。雑音がなくなり、辺りが暗くなる。
暗くなってもまだ水に飛び込む奴もいるけれど、俺はこうなったらもう、明日に備えて寝る。自分のスペースに戻る俺に、なにやらユーリがついてきた。
「カイ先輩、僕まだ自分の場所がなくて……。カイ先輩のとこに一緒にいてもいいですか?」
「仕方ねえな。寝るときくらいは静かにするって、約束しろよ」
「はい!」
はい、と返事をしたくせに、約束は守られなかった。ユーリという男は、口から生まれたような奴だ。うとうとと船を漕ぐ俺に、昼間と変わらない元気な声で話しかけてくる。
「ねえ、カイ先輩はどっから来たんですか?」
「寝るっつってんだろ」
「お話ししましょうよ! 今日一日お世話になって、現場については教えてもらったけど、カイ先輩自身のことはなんも聞いてないんですよ」
「うるせえな。俺は生まれたときからここにいた」
「ご家族は?」
「知らねー。いつの間にかいなくなった」
物心づいたときには、俺はこの現場にいた。その頃からずっと、水の中に飛び込み、なにを掴むでもなく、また陸に戻るだけの日々を繰り返している。
「別にいいだろ。どこ生まれだろうと、今が良ければ。清潔で、飯があって、眠れるんだから」
「そうですけど。こういうのは世間話っていうんですよ。話の内容に興味があるかないかは、あんまり重要じゃなくて。自己開示をすることで、『あなたに敵意はないですよ』って表現する、コミュニケーションです」
「面倒くせえな。俺はそういう関わり、避けてきたから知らねえよ」
そっぽを向く俺の横で、ユーリは丸くなり、全く眠くなさそうな声で続けた。
「僕は自分の家族、覚えてます。僕だけ回収されて、引き離されたんです」
「……そうなのか」
そういえばこいつは、新入りだ。どこからか突然やってきた。
「あんた、どこから来たんだ」
「分かりません。でも、こことはまるで違う環境の場所から連れてこられました。ここよりも狭かったし、水も浅かったし、同僚も少なかったです」
「ん!?」
それを聞いて、脳天に電撃が走った。
「待て。『どこから来た』……? この現場が、世界の全てじゃない……?」
眠気が一気に飛んだ。なんで俺は今まで、気が付かなかったんだ?
「えっ、なんですか?」
ユーリが目をぱちくりさせる。無理はない。俺は「どこから来たんだ」と自分から聞いておいて、急に、この世界を揺るがす疑問に気づいたのだから。
俺たちの仕事に、チームワークは必要ない。同僚はいるけれど、面子が入れ替わっても、自分自身の生活に大きな影響がない。だから、全然気にしていなかったが――。
「もしかして、世界は、この現場の外にも広がっているのか?」
「めっちゃ食いつくじゃないですか、先輩。これ、単なる世間話のつもりだったのに」
「うるせえ、それどころじゃない。気づいちまった」
ユーリはここではないどこかからやってきた。ここではないどこかで、俺と同じ暮らしをする人がいる。
同じように水の中に沈み、なにかを探す人たちが、俺の知らない場所にいる。
「今まで全然気にしたことなかった。ここの他にも、同じような生活がある、別の地域がある……のか?」
「少なくとも僕が生まれた場所とここでは、景色が全く違います。顔ぶれも違うし。まあ、格好と食事は同じでしたね」
ユーリは目を閉じて、唸った。
「それで、周りから聞こえてくる音も少し違ったかな……。こう、言葉で言い表せないんですけど。でもその音の発生源と直接関わることがないから、あんまり自分には関係ないかな」
早く寝たかったはずだ。もう眠かったはずだ。
でも、俺は、いつの間にかユーリの話を聞き入っていた。
「僕はその場所でも、なんも思わずにあるがままを受け入れて、暮らしてたんですけどね。ちょっと前に、食事の配給の時間に、配給係に取り押さえられたんです。そんで狭い部屋に閉じ込められた。ずっとそこで『出してくれ』って叫んで……。やっと出してもらえたと思ったら、ここだったんですよ」
そうだったのか。それならこいつが朝からやけに興奮していたのも頷ける。むしろ冷静すぎるくらいだったのではないか。
「食事の配給係に捕まったのか。俺も何回か、あいつに連行されたことがあるけど、身体検査だけされて、またすぐにここに戻されたぞ」
「うん、僕もそれは前から何度かあったから、最初は『また身体検査かな?』くらいにしか思わなかったです。でも今回だけ急に違ったから、困惑しました……」
ユーリの表情は、淋しげでもなければ怯えてもいない、どこか受け入れた顔だった。俺はそんな彼に問う。
「生まれた場所に帰りたいか?」
「いや、特に未練はないので……転勤になったんだな、としか」
ユーリは拍子抜けするほどあっさりと答えた。
「やってることは、ここと同じでしたし。水の中に潜ったり、陸に上がったりして、決まった時間になったら食事が配られる。そんで、決まった時間が来たら音楽が流れて、一日が終わる」
同じだ。違う場所なのに、同じ生活がある。知らない人たちが、どこかで、俺たちと同じように暮らしている。
「俺も、ここ以外の場所を知りたい」
「違う場所だけど、同じですよ」
「同じでも、違うんだろ? あんたみたいに閉じ込められて、出たら違う場所になってた、っていうのは、どうしたらそうなれるんだ?」
「分かんないですよ。僕だって、あらかじめ説明されたわけじゃないし」
ユーリが欠伸をする。
「だけど僕がそうだったなら、他にもいるんじゃないでしょうか。同僚の中に、ある日突然ここに現れた人、他にも。そういう人たちから、情報を集められるかも」
そういえばそうだ。思えば、俺よりずっと先輩のビクターに、遠慮なく近づいてボコられる新人を、幾度となく見てきた。この現場の暗黙の了解を知らない奴……つまり、ここではないどこかから来た者だ。
それだけではない。俺が物心づいた頃から一緒にいたケイジは、半年ほど前に妻ができたが、それも新しくやってきた女だった。
逆に、生まれたときにはたしかにここで一緒に暮らしたのに、いつの間にかいなくなっている奴も……。
「入れ替えられてる……。俺たちは……ここで水の中を探るだけで生かされてると思ってたのに。なにかに監視されて、コントロールされてるのか?」
ひとつ引っかかると、いろいろなことが不自然に思えてきた。
目的のない作業。なにも生産していなくても、与えられる安寧。ただ同じ毎日を繰り返すだけの俺たちを、面白そうに観察する「誰か」たち。
俺たちは、何者なんだ?
「明日……」
腹這いになった姿勢で目を閉じて、ユーリが口を開く。
「明日、皆さんから話を聞いてみましょう。なにか分かるかもしれない」
いつも変わり映えしない。
それで、よかったはずなのに。俺は、ここ以外の場所の存在に、気づいてしまった。




