それは、変化のない日々に
俺たちは毎朝、同じ現場で一日の始まりを迎える。
同じ顔ぶれ、同じ業務。全員同じ白と黒の出で立ちで、湿度の高いこの現場で、これまた毎日同じ時間に同じ食事を配給されて、一日を過ごす。
俺は労働者としてのこの生活に、不満はなかった。
同僚同士が結婚して、子供を作って、自分ばかり置いていかれても。働いている姿を、知らない誰かに面白おかしそうに観察されても。全然気にならない。多分、生まれついてそういう性格なのだ。
清潔な環境で、それなりに充分食事にありつけて、安心して眠れるのだから、それ以上なにも望まない。
そんなある日、この現場に新人がやってきた。
「ねえねえ、初めまして。僕、ユーリっていいます。今日からお世話になります!」
彼はキラキラした目をした、若い男だった。
顔を見れば見慣れない奴だと分かるが、格好はやはり俺らと同じ白と黒である。周りの連中の中に紛れたら、見分けがつかなくなりそうだ。
「皆さん、これからなにするんですか?」
誰もが静かにしていた現場で、彼、ユーリの声だけが響く。すぐ近くにいたという理由で、ユーリは俺にしつこく話しかけてきた。
「なんか、食事の配給係? の人に、ここへ連れてこられたんです。けど、僕、なんも分かんなくって」
「喧しい奴だな。落ち着けよ」
「無理ですよ、初めての現場で興奮してるんです!」
ひと際大きな声を出すものだから、周りの連中がちらちらとこちらを見た。俺は居心地が悪くなって、もう一度、小声でユーリを制した。
「分かった分かった。諸々案内してやるから」
「やったー! これでひと安心です! お兄さん、なんて名前なんですか?」
ガキの世話を焼くなんて柄じゃないが、しかしまあ、この流れでは仕方ない。後輩ができたのだから、面倒を見てやるのも大人の務めである。
「カイ。って、呼ばれてる」
「カイ先輩っすね! よろしくお願いします!」
彼は早くも、俺にすっかり懐いていた。
俺はユーリに、現場のアレコレを教えた。先輩としての務めである。誰かに任命されたわけでなくても、空気を読んで役割を受け入れるのが、仕事のできる労働者である。
「仕事は水中での作業が多い。それは分かるよな」
「はい! 以前の現場と同じです!」
「自分のタイミングで飛び込めばいい。ここは足が滑りやすいから気をつけろ。うっかり滑って水に落ちると、まあ立て直せないこともないが、危ねえから」
それに、たまに同僚がぶつかってきて、水に落とされるときもある。同じ現場で同じ仕事をしているからこそ、ひとりではないからこその事故がある。
「あと、現場のいちばん高いところは、あんまり近づくなよ。ビクターの特等席だから」
「ビクター?」
「ここでいちばん喧嘩が強え。普段は大人しいけど、機嫌が悪くなると厄介なんだよ。あんた無神経そうだから、あいつを怒らせないようにマジで気をつけろよ」
現場に集まる俺たちは、同じ制服で同じ仕事をしているが、別に、連携しているわけではない。各々が自分のペースで行動しているのであって、チームワークは必要ない。厳しい上下関係もない。
けれど、同じ現場に集まる複数の人員がいる以上、多少の交流はある。ボスってわけじゃないけど強い、逆らわない方がいい奴がいたり、性格が合わない奴がいたり、逆に相性が良くてイチャイチャしてる奴らもいる。
俺はそのあたりを、ユーリにさらっとだけ伝えた。
ユーリは分かっているのかいないのか、出会ったときと変わらないハイテンションで頷いた。
「了解です!」
「じゃ、作業に入れ。俺ももう行くから」
「カイ先輩、質問です!」
「まだなんかあんのか」
そろそろ離れたい俺を、ユーリはまだ解放してくれなかった。彼は純粋無垢な目で、俺を見上げた。
「作業って、なんですか?」
「作業っていうのは……」
とぷん。水が跳ねた。水面に、誰かが飛び込んだ。俺は、飛び散った雫が再び水面に落ちて、波紋を描くのを、横目で見ていた。
「分かるだろ。ほら、皆やってる」
「なにやってるんですか?」
「ああやって水の中に入って……ああ、もういい。ついてこい」
俺はすっと息を吸い込んで、少し足踏みをしてから、目の前に広がる青い青い水の層へと体を放り投げた。
先輩、と、ユーリが呼んだ気がした。
深い水の中へ、ただ体を落としていく。自然に浮き上がりそうになるけれど、それに抗って、手で水を掻いて、深く潜り込んでいく。
同僚が猛スピードで横を通り過ぎた。彼が作った水流に乗り、俺も速度を上げる。
気がついたら、隣にユーリがいた。彼も飛び込んできて、俺を追いかけてきたのだ。あの騒がしいユーリも、流石に水中では声を出せない。無言で俺の横について、共に水底を目指した。
ぐんぐんと深く潜水して、底に届きそうになる頃、俺は水面を見上げた。水中から見上げた景色は、眩しくて、目がくらみそうになる。
かぽ、と、口の端から泡が漏れる。そろそろ限界だ。俺は底を蹴り、今度は浮力に身を任せて、上空の光に向かって上った。
「ぷはっ」
水面から顔を出して、息を整える。一秒遅れて、ユーリも顔を出した。
「深い。ここ、深いですね。油断してると溺れちゃいそうです」
「そりゃねえだろ。力抜けば身体は浮く」
俺は岸に向かって泳ぎ、水の中から這い上がった。ユーリが顔だけ浮かせて、俺を目で追う。
「潜水が僕らの仕事。うん、分かったっす! でも、分かんないっす!」
「どっちだよ」
「僕たちの仕事が、水の中に飛び込むことなのは分かるんです。でも、目的が分かんないんです。この仕事は、なにをもって完遂とするんですか? 水の中で、なにか見つけたらいいんですか?」
「それは――」
俺はその場に座り、揺らめく水面に目をやった。
「それは、俺も知らない。これが仕事だから、としか」
ただ世界の果てまで散策している、それだけ。
そこに広がる水面に吸い寄せられるように、俺は今日も、深い深い水の層の底へと潜り込んでいく。水の中を切り裂いて、ぷくぷくと浮かぶ泡沫に体を包まれて、そして息が苦しくなって、呼吸のために浮上する。
水面から見上げた景色は、いつも変わり映えしない。
それで、よかった。




