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依頼

 テレビ局の控室。僕はCM撮影を終え、差し入れは高級スイーツを摘んでいた。


「これねー、まあ定番のお菓子だよね。そろそろ食べ飽きてきたな。塩原さん、食べてくれない?」


 マネージャーの塩原さんに語りかけるも、彼は無言で扉の横に立っていた。

 会議室のやりとりから、一年以上が経った。


「昔はこんなお菓子、絶対手が届かなかったのに。今じゃありがたみもなくなってきてますよ。国民的芸人って呼ばれるの、最初は冗談かと思ったけど……これ、現実なんですよねえ」


 塩原さんは返事をしない。彼の手に控えられた台本に気付き、僕は目を逸らした。


「昨日も街で声かけられましたよ。『田口さんのネタで赤ちゃんが笑いました』って。会社の飲み会で僕の真似をすれば爆笑の嵐、子供たちの間でも学校で大流行。そうそう、なんかどこだかの大統領も僕のファンらしいね?」


 田口しんぺいは大ブレイクした。

 テレビはもちろん、街頭広告、ネット、田口しんぺいを見ない日はない。SNSがきっかけで外国からも注目されはじめ、先日は某国のミュージシャンが僕のネタをオマージュして話題になった。


 小さな劇場で前説だけ十五年続け、笑いを取れず、事務所から切られる寸前で土下座した、そんな惨めな男はもういない。

 僕は誰もが羨む大スター、田口しんぺいだ。

 かつて笑わなかった観客も、哀れみの目を向けてきた事務所の関係者や芸人仲間も、芸人になることを反対した家族も。掌を返して、僕を称賛している。


 塩原さんは無表情のまま、台本を差し出してきた。


「次の案件の確認を」


「いやいや、前にも言ったじゃないですか。僕、今は案件じゃなくて芸で勝負してるんで。台本なんか、もう作らなくていいんですよ」


 と、これまでも何度も断っているが、塩原さんは機械的に台本を押し付けてくる。ロボットみたいに強制してくる彼に面食らって、結局受け取ってしまうのだが、正直、もう台本はいらない。


「塩原さんは過保護ですよ。僕はもう確固たる地位を手に入れたんだから、事務所のコントロールは不要。そんなに信頼ないですか?」


 僕が苦笑すると、塩原さんが少しだけ眉を動かした。


「忘れましたか? あなたの好感度は、演出です。

台本どおりに動いた結果です。本物ではありません」


 ひゅっと、喉が鳴った。僕は笑顔のまま、少しだけ、語気を強めた。


「いや、本物だ。たしかに、売れたきっかけは事務所が仕掛けてくれたからです。でももう台本なんて、必要ない。僕の笑いは、届けるべき人に届いてる」


 言い切ってから、数秒、塩原さんの目を見つめた。彼は相変わらず、無表情のままだ。僕は小声で、ぽつりと付け足す。


「……でしょ?」


 届いてる、でしょ?

 だって、こんなに売れている。台本がなくても、僕、田口しんぺいが出てくるだけで、その場が沸く。そうだろう?


 塩原さんが、台本を机に置いた。


「政治家の教育予算流用が発覚しました。記事は明日発表されます」


 目の前に置かれた台本が目に入るなり、心臓が、ぎゅっと掴まれた感触があった。


『“伸びしろのない子供に税金を使うな”と発言→炎上→謝罪会見』と、太字で書かれている。


 塩原さんが淡々と続ける。


「今朝、広報調整室に政府から正式に依頼がありました。ちょうど明日の午後、田口さんは学生向けの討論番組に生出演の予定があります」


「おい」


「ついに仕事、本番です。田口さん」


「ちょっと、待って」


 変な汗が背中に滲む。声が、震える。


「塩原さん。僕、今すごく売れてるんですよ。番組も、CMも、SNSも、好感度ランキングも」


 折角ここまで来たのに。折角、大ブレイクしているのに。嫌だ。こんな台本、受け取りたくない。絶対に嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。


「事務所の稼ぎ頭ですよ。今、僕が炎上してしまったら、事務所にとっても大ダメージなんじゃないですか?」


 事務所だって、看板芸人を失いたくないはずだ。コストをかけて育てた芸人を、わざと捨てるなんて、そんな馬鹿らしいことをするはずない。

 しかし塩原さんは、顔色ひとつ変えずに言った。


「なにを勘違いしているのですか。あなたが売れたのは、演出の結果です。稼ぎ頭になったのは、つまり、炎上の布石が整ったということ」


 彼の声に、ブレはない。


「それに『稼ぎ頭』は人為的に作れると、あなたがいちばん分かっているでしょう。あなたを解雇しても、別の芸人が稼ぎ頭になって、あなたと入れ替わるだけです」


 そうだった。あまりにもちやほやされるから、自分に実力があると錯覚してしまっていた。

 僕は、自分の力で売れたのではない。売れたように見せかけられていただけ。燃えるために、育てられただけ。


「でも、今の僕は、本物のスターといっても過言ではないでしょう。街で声かけられて、笑ってもらえて……。あの小さな劇場の中で、外の世界にに届かなかった僕の芸は、今はこんなにもたくさんの人に届いたんです」


「届いたのは、あなたの芸ではなく、我々の設計です」


「燃えたら、全部終わるんですよ。芸人人生が、終わるんです」


「あなたにとってはたった一度きりの人生でも、他人にとっては一瞬で消費する娯楽です。殊に、人気絶頂のスターが転落する様なんて、鑑賞のしがいがある最高のエンターテイメントです」


 僕は言葉を失った。机の上の台本を見つめる。

 角ばったゴシック体の残酷な文字が、体の中に入ってくる。まるで血管の中を虫が這うような、掻きむしりたくなる拒否感が、全身を襲う。


 呼吸が荒くなる僕に、塩原さんは宥めるでもなく、業務連絡を続けた。


「予算流用の件が騒ぎ立てられる頃、それにぶつける形で田口さんが炎上します。予算流用の件の報道と、学生向け討論番組では、視聴者層がズレている。討論番組視聴者のほうがSNS慣れしているぶん、炎上が広がりやすい」


 息が、上手くできない。


「その後、最も効果的なタイミングで謝罪会見を行います。ここでまた貧困家庭への差別発言をし、延焼させます。会見の内容は、こちらで台本を用意します」


 売れるためならなんでもする。炎上だってする。僕は、あのとき、そう決めた。こうなることを分かっていて、事務所に魂を売った。


 売れることと、芸人であることは、同義か?

 笑わせることと笑われることの違いはなにか?

 人気を操作してもらっておいて、尊厳も守ってほしいと強請るのは、強欲か?

 そもそも、笑いとはなにか? 


 一秒のうちに、いろんな思考が脳内をぐちゃぐちゃに掻き混ぜた。でも、なにをどれだけ考えても、事実は変わらない。


 明日、僕は、不祥事を起こしたどこかの誰かの身代わりになる。僕の芸人としての死こそが、僕の役割の完遂である。


「田口さん。今が燃え時です」


 塩原さんは、死んだ魚の目をしていた。

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