05.ついでのつもりでした―アーネスト視点―
俺は、フルネス侯爵家次男のアーネスト。
死にかけたついでに、同窓の伯爵令嬢、セレスティアに謝罪に訪れた――いや、正確には、謝罪と称した自己満足だ。
あの頃の俺は、本当に愚かだった。
学生時代、ちょっと口を滑らせただけで、彼女を傷つけたことを、今になって痛感する。
そしてその傷が、乗り物酔いという形で俺の前に現れるとは……正直、想像もしていなかった。
しかし、いくら謝罪しても、あの顔の表情を見ればわかる。
まだ俺のことを信用してはいない。いや、正確には、信用どころか「どうしてあんな奴が…」という複雑な感情が渦巻いているのだろう。
あの日、彼女が学生寮に辿り着くまでの苦労も知らなかった。
『謝罪で乗り物酔いが治るか』という苦い顔。馬車酔いに比べれば、俺の許されない痛みなどごく僅かなのだろう。
聖女をクビになった理由も馬車酔い。
「馬車酔いで力が使えなかったんです」と彼女は微笑んだ。「ひっそり領地の民を治療するくらいが気楽です」と語る彼女に陰りはなく、その様子がいっそう胸を締め付ける。
("教会の祝福の鐘が悪魔の呪いに聞こえる"とは、どれほどだ?)
彼女ほど、症状が強烈な者は聞いたことがない。
馬車の揺れだけでなく、音、光、匂い……あらゆる刺激が彼女を襲うらしい。
気づけば、「実験の被験者にならないか?」と提案していた。
単なる興味か、研究者としての使命か、俺自身が自分の気持ちにとまどった。
もしかしたら、魔道具研究の第一人者として、国王から男爵位を賜った驕りもあったのかもしれない。
「……アーネスト様は、お酒を嗜まれますか?」
突然の問いに、混乱するが、正直に応える。
「ああ、強くはないがな」
「それでは、二日酔いのご経験は?」
「そんな毒にしかならないような飲み方はしない!」
「あはっ、あははははっ!」
彼女は、伯爵令嬢に似合わない大声で笑う。彼女によれば、馬車酔いとはそれがずっと続くらしい。そして、そんな状況は、拷問と同じだと。
それでも俺は諦めなかった。
学生時代の非礼、死にかけた俺への治療……何か少しでも恩を返したい。
彼女の望みは「妹の縁談」。単に格上の年頃な男を紹介すれば良いと、安易に受けたことを後悔することになる。
妹のディエール嬢は、
「筋肉のある方がいいです!」と淀みなく応えた。
(筋肉のない人間はいない……。
彼女の思い描く程度はいったい?)
そして気づけば、彼女が流行っているという小説を買い、研究をはじめていた。
「おい、筋肉とはなんだ?」
研究者仲間に尋ねる。
「生きるために必要だ」「重い」
ろくな答えが返って来ない。
仕方なく、騎士団へ赴き、
「筋肉を触らせてくれ」と頭を下げた。
最初は皆、渋々。たが、
「俺を抱きしめてくれ」
そういうと、周囲がざわついた。
そんな中――、一人の男が空気を変える。
"筋肉育成会"の代表、フランツだ。
「アーネスト様! 今の俺の“抱きしめ強度”は、前回より上昇してますか!?」
「待ってくれ、今、前回の記録と比較する」
俺は、全てのデータを比較した。すると、僅かに彼の腕が細くなっている。
「変だ。強度は強いのに、なぜか前回よりも細い。計り間違えか?」
俺が呟くと、
「うおぉぉぉ〜!」
その男は雄叫びを上げた。どうやら筋肉が引き締まり、より強度が増したのだとか……。
気づけば、屈強な騎士たちが列を作り、俺の研究室に押し寄せていた。
(違う。俺は筋肉研究者ではない……!)
嘆いても遅かった。
彼らは上着を脱ぎ、筋肉を誇り、日々の成長を語るようになった。
「アーネスト様! ここ、触っていただいても?」
「背中の広がりを見てください! 今日の自信作です!」
違う。
俺は魔道具研究者だ。
治癒魔法の拡張や耐衝撃装置の研究者だ。
なのに今は――
(なぜ俺は毎日、筋肉に囲まれている?)
その疑問に答えるように、ある日、騎士団の一人が言った。
「アーネスト様は筋肉の真理を追い求めるお方!」
「“筋肉信仰の開祖”と呼ばれています!」
開祖?
違う。
絶対に違う。
俺は必死に首を振る。
挙げ句の果てには、「アーネスト様も我らと共に鍛えましょう」と誘われる始末。
噂は広がり、研究所は騎士たちで溢れ、
ついに国王から「自身の筋肉はまだまだだな」と声をかけられ、心が折れた。
(俺は……筋力で国に貢献しているのではない)
――研究どころではない。
そして、今日の俺に繋がる。
研究所を休むしかなくなった情けない現状。
そして、セレスティアへの報告と謝罪。
(何故こうなった……?)
いや、答えは簡単だ。
すべては――
妹思いの姉が、妹のために“筋肉”を求めた結果だ。
まさか、ひとつの条件が、ここまで国中を巻き込むとは。
だが、あの姉妹が笑うなら。
あのときの償いを少しでも返せるなら。
少し休んだら、また筋肉と向き合おう。
その前に、フランツを連れて、謝罪に行くか……。
(はぁ……朝から謝罪とは、情けない話だ)
そう自嘲しながら、俺は明日を思い、深く息をついた。




