表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/24

01.夜会にも出られません……

本作は、作者自身の重度の乗り物酔い経験から生まれた物語です。

乗り物酔いの酷い方もそうでない方も、楽しんで読んでいただけると嬉しいです。

「はあぁ……」 

 グラウス伯爵家の娘である私は、今日も領地の自室の窓辺でため息をついていた。


 外では、隣領の馬車が砂利道を駆け抜けていく。窓を閉めても、車輪の音が聞こえるたびに胃が痛くなる。


「お姉様、本当に行かれないのですか?」

「行かない勇気も必要なのよ」


 私の名前はセレスティア。夜会への誘いを、今日も華麗にお断り中だ。そもそも、ドレスの着用は、自家の集まりを除いて遠慮したい。私には負担が多すぎる。

 

 コルセットで身体を締め付け、首元に大きな石のネックレス。想像しただけで吐ける……。


「でも、王都まで三十分くらいで着きますよ?」

「その三十分が命取りなのよ……。酔わない人にはわからないから、気にしないでちょうだい」


 妹のディエールが、まるで壊れた人形でも見るような目を向けてくるけれど、仕方ない。体質なのだ。

 

 三十分も馬車に揺られたら、あっという間に吐き気と頭痛が私を襲う。酷いときには耳鳴りが加わり……会場に着く頃には視界が真っ暗。休憩室を独占する羽目になる。


「よくもまぁ、それで学園に通えましたわよね?」 

 妹は、わざとらしく肩をすくめた。


「意地悪ね。学園へ通うのにだって、勇気がいったのよ?」

「まさか、学生寮なんて裏技を使うと思いませんでしたわ」

 妹が茶化す。

 

「その学生寮だって、睡眠薬で寝ている間に寮になんとか運んでもらったのよ?」

 ため息をつきながら扇を閉じる。


 入学試験で一位を取って、学生寮を使う権利を得た。

 馬車酔いしない子なら、そんなものと平民に譲ってしまう小さな権利。それが私にとっては、唯一学園に毎日通える手段だった。

  

「あなたに社交を押し付けて、ごめんなさいと言えば気が済むかしら?」


「そうですね。私は社交が好きではありませんし――

 お姉様に勝てるのは、馬車酔いしないことくらいですもの」 

 ふんっ、と鼻を鳴らしそっぽを向く妹が愛らしい。


「まぁ、でも……」

 妹が、窓の外を見て目を丸くした。

 

「お姉様。あれ、誰か運ばれてません?」


「――え?」

 

 私もつられて窓の外を覗く。


 執事や使用人たちが慌ただしく駆け回り、馬車を引く馬が玄関前で嘶いていた。その傍らには、若い男性が担架に乗せられている。


「なぜ我が家に……?」

 

 私と妹は顔を見合わせた。


 意識を失った男性を寝台に移し、侍女たちが慌ただしく動く。

 私はその場に立ち尽くしていた。


 ——この人を癒すのは、私。

 それが分かっているのに、手が動かない。


「お嬢様、どうか……お力を」

 侍女が縋るような目を向ける。


 私はゆっくりと息を吸い、そして吐いた。

 冷たい声が、自然と口をついて出る。


「なぜ、私が治療をしなければならないのでしょうか?」


 部屋の空気が一瞬で凍った。

 誰もが私を見つめる。


 彼は、私の天敵。フルネス侯爵家の次男、アーネスト様だ。


「彼は……この方は、私を見下ろしてこう言ったの。

 “平民の居場所を奪って楽しいか”と。

 どれだけ謝罪されても、あの頃の私が傷ついた心は戻ってきません」


 私が学生寮を使うことで、平民が使える寮の部屋が一つ潰れる。

 わかってはいたけれど、実際に非難されると辛い。ちなみに費用は本来無料だけれど、我が家は寄付という形で支払った。

 

 震える手で扇を握りしめる。

 唇が、かすかに苦く笑った。


「……どれほど図太い神経をお持ちなのかしら。

 人を傷つけたことすら、もうお忘れなのでしょうね」


 誰かが息をのむ音がした。

 けれどその瞬間、寝台の上から、かすかな声が漏れた。


「……忘れて、ない……」


 顔を上げると、彼がゆっくりと目を開いていた。

 虚ろな瞳が、真っ直ぐに私を見ている。


「……忘れるわけ、ないだろう……セレスティア……」 

 彼は痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと息を継いだ。

 

 私は何も言えず、そのまま立ち尽くす。


「卒業のあと、社交パーティーで何度も同級生たちに会った」

「……そう。だから何?」


 冷たく言い返す私に、彼は微かに笑った。

 それでも、その笑みには痛みが滲んでいた。


「お前だけ……どの会にもいなかった。

 はじめは、ただ忙しいのだろうと思った。

 でも、何年経っても姿を見ない。……不審に思って、調べたんだ」


 胸の奥が、ひゅっと音を立てる。

「……調べた?」


「お前が……馬車に乗れないほどの酷い乗り物酔いだと知った。

 それで初めて、自分がどれほど愚かなことを言ったか気づいた」

 その声には、嘘のない後悔が滲んでいた。

 

 私はただ、指先に力を込める。

「……そんなこと、今更知ってどうなるというの?」


「だからこそ……俺はここに来たんだ。

 君ならここにいて、癒せる。そう思ったのは、事実だ。

 ——ただ、罵られ、癒されなくても、謝罪だけはしたかった」


 その言葉に、心臓が一瞬止まった。

 息をするのも忘れて、彼の顔を見つめる。


「……愚かだわ、本当に」

 そう言っても、声は震えていた。

 

 癒しの光が指先からこぼれ、彼の胸に触れる。

 それは彼の傷を癒すためなのか、自分の心のためなのか、もう分からなかった。


「今なら——ここで俺が朽ち果てても、不敬には問われないぞ……。

 お前は、抹消された聖女だからな」


「ふふっ、そうですね……」

 自嘲を込めて、冷たく笑う。


 私は、乗り物酔いが酷すぎて、聖女をクビになっていた。

「今ではいい思い出です」なんて言えないとても重い過去だった。

第1話をお読みいただき、ありがとうございました。


セレスティアは“酔いに負けない未来”を選ぼうとしていますが、私は学生時代、第一志望の高校を――

「電車とバスで1時間」という現実にあっさり負けて諦めてしまいました。

見学には行ったんですけどね……。


乗り物酔いって、夢や行きたい場所すら遠ざけてしまうことがありますよね。

皆さんにも、酔いが理由で断念した経験はありますか?


この物語が、そんな「諦めた気持ち」に、ほんの少しでも寄り添えたら嬉しいです。

続きも楽しんでいただけますように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ