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第7章:灰色の旅路と、噛み合わない歯車

 月明かりだけが頼りの街道を、俺たちは歩いていた。孤児院を出てから数時間が経過した。背後の森は既に闇に溶け、どれだけ目を凝らして振り返っても、あの温かい家の灯りはもう見えない。


「ねえマスター、歩くの遅くない? 僕が運んであげようか?」


 隣を浮遊するティナが、退屈そうにくるくると宙返りをした。彼女は夜目にも鮮やかな銀髪を揺らし、まるで遠足にでも行くような軽快な口調で話しかけてくる。さっきまで、俺に殴られ続けていたことなど、すっかり忘れているかのようだ。


「……いい。自分の足で歩く」


 俺の声は、乾いた砂のようにカサついていた。怒鳴りつける気力もない。無視するのも面倒だ。ただ、事務的に返事をする。それが今の俺にできる精一杯のコミュニケーションだった。


「ふうん。まあ、君の精神状態メンタルは安定しているみたいだし、いいけどね」


 ティナは満足そうに頷いた。安定している、か。確かにそうかもしれない。今の俺の心は、波ひとつ立たないなぎのようだ。姉さんを殺された直後のような、マグマのような怒りはない。ただ、胸の真ん中に巨大な風穴が開いていて、そこをヒューヒューと冷たい風が通り抜けているだけだ。


 俺は背中のリュックのベルトを握りしめた。中には、ばあちゃんが焼いてくれたアップルパイが入っている。背中越しに伝わってくるその微かな温もりが、俺が「まだ生きている」ことを突きつけてくるようで、少しだけ息苦しかった。


「目的地までは、徒歩だとどれくらいかかるの?」

「……分からない」


 俺は地図も持たずに歩いていた。とりあえず、施設の影響力が強そうな「東」へ向かうつもりだった。情報を集め、支部の場所を特定し、一つずつ潰していく。気の遠くなるような作業だが、今の俺にはその「終わりの見えなさ」が相応しい気がした。


「じゃあ野宿だね。僕は眠らなくても平気だけど、君は人間だからなぁ」


 ティナは「やれやれ」といった様子で肩をすくめる。その仕草一つ一つが、人間臭くて、愛らしくて、そして――決定的にズレている。


 彼女は、自分が俺の姉を殺したことを何とも思っていない。「部屋の掃除をした」程度の認識だ。だから、こうして平然と話しかけてくるし、俺の機嫌を損ねている理由も「まだ疲れが取れていないのかな」くらいにしか考えていないのだろう。


 こいつは化け物だ。頭では分かっている。けれど、俺の右手の甲には、こいつと繋がっている証(文様)が焼き付いている。俺はこいつを握らなければ戦えない。こいつがいなければ、生きていくことさえできない。


「……最悪だ」


 俺はポツリと漏らした。ティナはそれを聞き流し、鼻歌交じりに前方の闇を見つめていた。


 夜明け前。空が群青色に変わる頃、俺たちは街道沿いの廃墟に差し掛かった。かつては関所か何かだったのだろう。崩れかけた石壁と、焼け焦げた木材が散乱している。


「ちょっと休むか」

「賛成。マスターの歩くペース、露骨に落ちてたしね」


 俺は適当な石段に腰を下ろし、リュックを下ろした。どっと疲れが出る。精神的な虚無感とは裏腹に、肉体は正直に疲労を訴えていた。水筒の水を含み、渇いた喉を潤す。


 その時だった。廃墟の陰から、ジャリ、と砂利を踏む音がした。


「――おやおや。こんな時間に、ガキの二人連れとは珍しいねえ」


 下卑た声と共に、三人の男が現れた。薄汚れた革鎧に、手入れの悪い剣や斧。見るからに野盗崩れのゴロツキだ。この辺りの治安が悪いとは聞いていたが、まさか初日から遭遇するとは。


「おいおい、見ろよあの嬢ちゃん。すげぇ上玉だぞ」

「浮いてる……魔法使いか? まあいい、高く売れそうだ」


 男たちがニタニタと笑いながら近づいてくる。ティナが俺の隣にすっと降り立ち、耳元で囁いた。


「どうする、マスター? 殺す?」


 その問いかけに、俺は一瞬だけ逡巡した。以前の俺なら、「話せばわかる」とか「威嚇して追い払おう」と考えただろう。人を殺すなんて、とんでもないことだと。


 だが。


「……金目当てか?」

「あぁ? 命も置いていってもらうがなァ!」


 先頭の男が斧を振り上げ、威圧するように地面を叩いた。


 ああ、そうか。こいつらは、俺たちを奪おうとしているのか。なら、いいや。


「掃除してくれ、ティナ」


 俺は短く告げた。感情は動かなかった。心拍数も上がらない。ただ、「邪魔な石ころがあるから退ける」という判断だけがあった。


了解ラジャー


 ティナの声が弾む。次の瞬間、俺の右手が勝手に跳ね上がった。


 カッ!


 蒼い閃光。俺の手の中には、いつの間にか長剣形態のミスティルテインが握られていた。踏み込みは不要。ティナが俺の体を制御コントロールし、最適解の軌道を描かせる。


「は?」


 男が間の抜けた声を上げた時には、もう終わっていた。斧を持った腕が、肩から滑り落ちる。遅れて、首が飛ぶ。


「ぎゃあああああああッ!?」

「な、なんだテメェ!」


 残りの二人が悲鳴を上げて襲いかかってくる。俺は無表情のまま、剣を振るった。


「邪魔だ」


 横薙ぎの一閃。剣の軌道上にあった男の胴体が、紙切れのように両断される。鮮血が舞い、俺の頬を濡らす。


 生温かい。鉄の味。以前なら、ここで吐いていた。手の震えが止まらなかった。でも今は、何も感じない。まるで、他人事のように自分の動きを眺めている。


(ああ、そうか。俺の中が空っぽだからだ)


 恐怖も、罪悪感も、ためらいも。すべて、あの森に埋めてきたんだ。


 最後の一人が、腰を抜かして後ずさる。


「ひ、ひぃぃッ! 化け物! 助けてくれ!」

「……」


 俺は無言で歩み寄る。男の目には、俺がどう映っているのだろう。ただの子供? それとも、死神?


「や、やめ……」


 ザシュッ。


 俺は淡々と剣を振り下ろした。命乞いの言葉は、断末魔に変わることなく途切れた。


 静寂が戻る。足元には三つの肉塊。辺りには血の海。俺はミスティルテインを振って血糊を払い、光の粒子に変えて収納した。


「お疲れ様、マスター。随分と手際が良くなったね」


 ティナがニコニコしながら浮いている。彼女にとって、今の殺戮はただの「作業」だった。そして今の俺にとっても、それは同じだった。


「……行くぞ。血の匂いで魔物が寄ってくる」

「あ、死体漁らなくていいの? 小銭くらい持ってるかもよ」

「いらない。汚れる」


 俺は死体に見向きもせず、再びリュックを背負い、頬に付いた血をぬぐった。


 街道を少し外れた木陰で、遅い朝食をとることにした。ばあちゃんのアップルパイだ。包みを開けると、甘酸っぱい香りが広がった。表面は綺麗なきつね色で、網目模様のパイ生地からは、たっぷりのリンゴが覗いている。


「わあ、美味しそう! 僕も味覚センサーはあるから、少しもーらい」


 ティナが遠慮なく端っこをつまんで口に放り込む。


「ん~! 甘くて美味しい! おばあさんの手作りだっけ? お店で売れるレベルだね」


 彼女は無邪気に感想を言う。俺も一切れ、口に運んだ。


 噛みしめる。サクッとした食感。煮詰められたリンゴの甘み。シナモンの香り。それは間違いなく、俺が大好きだった味だ。子供の頃、誕生日にだけ焼いてもらえた、特別なご馳走の味。


 けれど。


「…………」


 味が、しなかった。いや、甘いとは感じる。美味しいという情報も脳には届いている。けれど、心が動かない。砂を噛んでいるような、とまでは言わないが、ただの「栄養摂取」以上の感慨が湧いてこないのだ。


(ああ……俺は、壊れたんだな)


 昨日の「姉さんの死」と「ティナへの殺意」。あの激情が焼き切れた時、俺の味覚まで焼いてしまったのかもしれない。あるいは、家族団欒の象徴であるこのパイを、家族を失った俺が味わう資格などないという罰なのかもしれない。


「……マスター? どうしたの、泣きそうな顔して」


 ティナが不思議そうに顔を覗き込んでくる。俺は無表情のまま、残りのパイを水で流し込んだ。


「なんでもない。……美味かったよ」


 嘘をついた。ばあちゃんへの最後の嘘だ。


「さあ、出発しよう」

「次はどこへ行くの? この街道の先には『鉄屑のスクラップ・タウン』があるけど」

「そこだ。まずは情報収集と、装備を整える」


 俺は立ち上がる。目的地は、まだ見えない。長い旅になる。この、心の通わない最強の相棒と共に。


「了解。案内するよ、僕の鍵穴さん」


 ティナが先導するように飛び立つ。俺はその背中を見つめながら、一歩を踏み出した。


 空は高く、どこまでも澄み渡っていた。けれど俺の目には、世界はすべて灰色に映っていた。

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