第6章:葬送と、空っぽの旅立ち
「……なんで」
俺の口から漏れたのは、言葉というより空気の抜ける音に近かった。目の前には、額に穴を開けられて倒れている姉さん。そして、その横で「掃除完了」と言って微笑むティナ。
脳内の血管が沸騰する音が聞こえた。悲しみ? 違う。喪失感? そんな生易しいものじゃない。それは、内側から食い破られるような、どす黒い激情。
「ふざけるな……ッ!!」
俺は地面を蹴った。ティナが反応する暇も与えず、その細い体にタックルを食らわせる。無防備だった彼女は簡単に吹き飛び、俺たちはもつれ合うようにして地面を転がった。
「う、あぁぁぁぁぁッ!!」
俺はティナの上に馬乗りになり、彼女の胸ぐらを掴んで地面に縫い付けた。拳を振り上げる。相手は少女の姿をしている? 恩人? 相棒?知るか。こいつは、たった今、俺の肉親を殺したんだ。
ドゴォッ!
鈍い音が森に響いた。俺の拳がティナの左頬を捉えた音だ。ティナの首がカクリと横を向く。
「なんで殺した! なんでだ! あいつは俺の姉さんだったんだぞ! やっと会えたのに! 俺を愛してくれていたのに!」
ドゴッ! ガッ!俺は叫びながら、何度も何度も拳を振り下ろした。頬を、額を、腹を。ティナは抵抗しなかった。避ける素振りも見せず、されるがままに俺の暴力という名の「感情」を受け止めている。
「返せよ! 姉さんを返せ! 俺の家族を!」
殴るたびに、俺の拳の皮が破れ、血が滲む。痛い。けれど、胸の奥の痛みはもっと鋭くて、もっと深い。殺しても殺し足りない。この激情で、俺の中の「空洞」を埋め尽くしてやる。
「はぁ、はぁ、あぁぁ……ッ!」
何十発殴っただろうか。俺の息が上がり、腕が鉛のように重くなった頃、ふと動きが止まった。
見下ろした先。ティナは、口元から一筋の血を流しながら、それでも平然と俺を見上げていた。腫れ上がった頬も、乱れた髪も気にする様子がない。その蒼い瞳は、鏡のように静まり返り、俺の醜い怒り顔を映し出している。
「……気が済んだ?」
彼女は、まるで天気を尋ねるような気軽さで言った。
「気が晴れたならよかった。君の中のノイズ、ちゃんと排出できたみたいだね」
「……は?」
「僕の体は頑丈だから気にしなくていいよ。君が壊れるまで、好きなだけ茶碗を叩きつけても構わない。……それで君が『正常』に戻るなら、僕はサンドバッグにでも何にでもなる」
ティナは血のついた唇を歪めて、優しく微笑んだ。その手がおずおずと伸びてきて、俺の振り上げた拳を包み込む。
「気のすむまで、めちゃくちゃにしてくれていいよ、マスター。……僕は君の『物』なんだから」
その瞬間。俺の中で燃え盛っていた炎が、プツンと消えた。
怒りが消えた後に残ったのは、底なしの沼のような「虚無」だった。こいつには通じない。俺がどれだけ怒っても、悲しんでも、暴力を振るっても。こいつはそれを「メンテナンスの一環」としか捉えていない。
俺は何を殴っていたんだ?ただの兵器じゃないか。心を求めても無駄な、美しいガラクタじゃないか。
「…………あぁ」
俺の手から力が抜けた。ティナの上からどく。地面に尻餅をつく。もう、怒る気力さえ湧いてこない。姉さんは死んだ。殺したのは俺の相棒だ。そして俺は、その相棒がいなければ生き残れない。
「……埋めよう」
俺は感情のない声で言った。
「姉さんを、埋めてやるんだ」
孤児院の裏手、一番陽当たりの良い場所に穴を掘った。スコップが土を掘り返す音だけが、静寂の中に響く。ティナも黙って手伝った。彼女が念動力のような力で土を動かしてくれたおかげで、作業はすぐに終わった。
姉さんの亡骸を横たえる。土をかける瞬間、俺はもう涙さえ出なかった。ただ、胸にぽっかりと空いた穴を、冷たい風が通り抜けていくだけだ。俺は空っぽだ。家族への愛も、ティナへの怒りも、すべて流れ出てしまった。今はただ、施設への復讐という目的だけが、乾いた骨のように残っている。
簡単な木の墓標を立て、手を合わせる。背後で足音がした。
「……オージ」
じいちゃんとばあちゃんだ。二人は何も言わずに俺の隣に立ち、静かに祈りを捧げてくれた。全てを見ていたのだろう。俺がティナを殴りつけたことも、姉さんが殺されたことも。
「じいちゃん……ごめん」
俺は地面を見つめたまま呟いた。
「俺、行くよ。ここにいたら、またみんなを巻き込む。……それに、俺自身が決着をつけなきゃいけない」
じいちゃんは俺の肩に手を置いた。その手は大きくて、温かくて、震えていた。
「ああ。止めはせんよ」
じいちゃんは足元に置いてあった大きなリュックサックを俺に渡した。
「食料と着替え、それと少しばかりの路銀だ。……持って行きなさい」
「アップルパイを焼いたのよ。……まだ温かいわ」
ばあちゃんが涙声で付け加える。俺はリュックを受け取った。ずっしりとした重み。それが、俺に残された唯一の「家族の絆」だった。
「ありがとう。……行ってきます」
俺は頭を下げ、踵を返した。もう振り返らない。振り返ったら、二度と歩き出せない気がしたから。
門のところで、ティナが待っていた。殴られた顔の腫れは、もう不思議な力で治癒し始めていた。彼女は俺の顔を見ると、嬉しそうに宙に浮き上がった。
「行こうか、マスター。僕らの目的地へ」
「ああ」
俺は短く答え、歩き出す。隣には、姉を殺した相棒。背中には、守れなかった家族の墓。心の中は、空っぽの虚無。
けれど、その空洞に「鍵」が差し込まれる感覚だけは、皮肉なほど鮮明だった。俺とティナ。ちぐはぐで、歪で、最悪の組み合わせ。それでも俺たちは、共犯者として歩み出した。
太陽が沈み、夜が来る。俺たちの行く先を暗示するように、世界は闇に包まれていった。




