第4章:鉄の巨人と、形を変える刃
「ブラボー。素晴らしいわ、コソ泥さん」
森の空気を震わせたのは、乾いた拍手の音と、聞き覚えのある甘く粘り気のある声だった。ハウンドたちが道を開ける。そこに立っていたのは、白衣の上に黒いコートを羽織った「女性職員」――ヒルダだった。彼女は昨日、俺たちを見下していた時と同じ冷ややかな目で、しかしその奥には隠しきれない困惑を宿してこちらを見ていた。
「まさか、昨日侵入したただの子供が、ミスティルテインを起動させているなんてね。……あなた、一体何をしたの?」
ヒルダは不快そうに眉を寄せる。どうやら、俺の正体(被検体0号)には気づいていないようだ。無理もない。10年前にゴミとして捨てた赤ん坊が生きているなんて、夢にも思わないだろう。
「返して頂戴? それは私たちの悲願。世界の理を書き換えるための、大切な『鍵』なのよ。どこの誰とも知れないガキが触れていい代物じゃないわ」
「断る!」
俺は切っ先を彼女に向けた。怒りが湧き上がる。こいつだ。こいつらが、マルコたちを殺した元凶だ。
「お前らが何を目論んでいるか知らないが、ティナは物じゃない! それに、俺はもう逃げない!」
「……『ティナ』ですって? 兵器に名前をつけて愛着でも湧いたのかしら。滑稽ね」
ヒルダは鼻で笑い、パチンと指を鳴らした。森の奥から、ズシン、ズシンと、地響きのような足音が近づいてくる。ハウンドとは比較にならない、巨大な質量を感じさせる気配。
「交渉は決裂ね。なら、力ずくで回収して、その汚い手から切り離すまでよ」
木々をなぎ倒し、姿を現したのは、身長三メートルはある巨漢――いや、人間をベースに機械と筋肉を無理やり継ぎ接ぎしたような、醜悪な人造兵士だった。その手には、俺の体ほどもある巨大なチェーンソーが握られている。
『マスター、あれは「強化被検体」。失敗作じゃない、完成された戦闘用個体だ』
脳内に響くティナの声に、わずかな緊張が走る。
『出力係数、上昇させて。僕を深く受け入れないと、あの装甲は抜けないよ』「……ああ。分かった」
俺は剣の柄を強く握り直した。手のひらの文様が熱を持つ。俺の中の空洞を、もっと大きく広げる。ティナという強大な力を、余すことなく受け入れるために。
「行くぞ、ティナ!」
「ガアアアアアッ!!」
人造兵士が唸り声を上げ、チェーンソーを振りかぶった。凶悪な駆動音が鼓膜を劈く。
俺は咆哮し、巨体へと突っ込んだ。
「遅いッ!」
振り下ろされたチェーンソーを、俺は紙一重で回避する。ティナとの感覚共有のおかげで、敵の動きがスローモーションのように見える。風圧で髪が煽られるが、恐怖はない。
俺は懐に潜り込み、巨人の脚を狙って剣を薙いだ。カキンッ!硬い音が響き、剣が弾かれる。手首に痺れが走った。
「なっ、硬い!?」
『チタン合金と強化筋肉のハイブリッド装甲だね。生半可な出力じゃ通らないよ!』
人造兵士がバックハンドで裏拳を放つ。咄嗟に剣を盾にして防ぐが、ダンプカーに撥ねられたような衝撃に体が吹き飛ばされた。俺は地面を転がり、背中を太い幹に打ち付けて止まる。
「がはっ……!」
肺の中の空気が強制的に排出される。口の中に鉄の味が広がった。
「あらあら。やっぱり、盗んだ武器を振り回しているだけのアマチュアね」
ヒルダが冷笑する。人造兵士が追い打ちをかけるように迫る。チェーンソーの刃が回転し、火花を散らしている。
「死になさい、泥棒猫」
刃が迫る。俺は歯を食いしばり、立ち上がろうとするが、足が震えて力が入らない。死ぬ? ここで?嫌だ。もう誰も死なせたくない。じいちゃんも、ばあちゃんも、ティナも守るんだ。
(力が……足りないのか……?)
いや、違う。俺の中のティナが囁く。
『足りないんじゃない。君がまだ、遠慮しているんだ』
『マスター。君は鍵穴だろ? もっと開いて。僕を異物だと思わないで』
『君の恐怖も、怒りも、全部僕に頂戴。代わりに、僕のすべてを君に流し込むから』
境界線をなくせ。自分という殻を破れ。俺は空っぽだ。だからこそ、何でも入る。
「……うおおおおおおおおッ!」
俺は叫びながら、心の奥底にある扉を全開にした。ドクンッ!心臓が早鐘を打つ。血管の中を、熱い奔流が駆け巡る。内側から焼き尽くされるような感覚。だが、それは破壊ではなく「拡張」だった。
『承認。形状変化、長剣から――大鎌へ』
俺の手の中で、ミスティルテインが眩い光を放つ。剣の柄が伸び、刀身が折れ曲がり、巨大な鎌へと形を変えた。死神が持つような、禍々しくも美しい蒼い鎌。
「なっ……!?」
ヒルダの目が驚愕に見開かれる。
「自律変形!? ありえない、適合率がそこまで高いというの!?」
人造兵士のチェーンソーが振り下ろされる。だが、今の俺には止まって見えた。
「切り裂けぇぇぇッ!」
俺は大鎌を振るった。刃が敵に触れる直前、蒼い光の刃がさらに伸長する。物理的な装甲など無意味だと言わんばかりに、光の刃はチェーンソーごと、巨人の胴体を通り抜けた。
一瞬の静寂。ズズ……ン。
人造兵士の上半身が、斜めにずり落ちた。遅れて、切断面から大量のオイルと血液が噴き出す。巨体は二つに分かれ、轟音と共に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……ッ」
俺は大鎌を杖にして、荒い息を吐く。全身の筋肉が悲鳴を上げているが、心地よい疲労感だった。
「ば、馬鹿な……強化被検体(Sランク)を一撃で……?」
ヒルダは後ずさりし、青ざめた顔で俺を見つめていた。余裕の表情は消え失せ、そこにあるのは未知の脅威に対する恐怖だ。
「……覚えていなさい。今日は準備不足だったわ」
ヒルダは懐から何かの装置を取り出し、地面に叩きつけた。プシュッ!濃密な煙幕が広がり、彼女の姿を隠す。
「次は、施設の総力を挙げてあなたを回収する。……その力、絶対に諦めないから!」
捨て台詞と共に、気配が遠ざかっていく。俺は追いかけようとしたが、足がもつれてその場に倒れ込んだ。
『無理しないで、マスター。今の出力は君の体には負担が大きすぎた』
大鎌が光の粒子となって消え、俺の隣にティナの姿が戻る。彼女は心配そうに俺の顔を覗き込み、それからふわりと笑った。
「でも、見事だったよ。最高の『鍵穴』使いだった」
「……そりゃどうも」
俺は仰向けに空を見上げた。木漏れ日が眩しい。勝った。だが、これは始まりに過ぎない。
「あいつ……次は総力戦だって言ってたな」
「うん。この場所もバレた。もう、ここにはいられない」
俺は体を起こし、孤児院の方を見た。じいちゃんとばあちゃん。俺の大切な家族。ここにいれば、必ずまた襲撃が来る。次はもっと大規模な部隊で。
「……俺たちから、行こう」
「え?」
「あいつらが来るのを待つんじゃない。俺たちが施設に乗り込んで、二度と手出しできないように叩き潰す」
俺は拳を握りしめた。それが、俺がこの力を持った責任だ。それに、俺自身の「ゴミとして捨てられた」過去とも決着をつけなきゃいけない。
「いいね。僕も、あそこには忘れ物があるし」
「忘れ物?」
「僕の本来のボディ……『本体』の一部が、まだ地下深くに封印されているんだ。それを取り戻せば、もっと君の役に立てる」
ティナはニヤリと笑い、俺に手を差し伸べた。
「行こう、マスター。反撃の開始だ」
俺はその小さな、しかし力強い手を握り返した。手と手が触れ合った瞬間、また胸の奥の鍵穴がカチリと鳴った気がした。




