第17章:渓谷の出口、鋼鉄の関所
「総員、撃てェェェッ!」
司令官の号令と共に、要塞が火を噴いた。重機関銃、迫撃砲、そしてレールガン。鋼鉄の雨が、物理的な暴力となって俺たち目掛けて降り注ぐ。谷底を埋め尽くすほどの弾幕。逃げ場などどこにもない。
「遅い」
俺は一歩、踏み込んだ。恐怖はない。視界には、無数の弾道予測線が網目のように描かれている。ティナの演算能力が完全に復活している。いや、以前よりも研ぎ澄まされている。俺の脳と直結し、俺が「避けたい」と願うよりも早く、体が最適解をなぞる。
「展開!」
俺が叫ぶと同時に、ティナが大鎌形態へと変化する。振るうのではない。鎌の刃から、蒼いエネルギー波を盾のように広範囲に展開する。
ガガガガガガガガッ!!
凄まじい着弾音。だが、衝撃は来ない。すべての弾丸が、見えない流線型の装甲に逸らされ、火花となって背後へと流れていく。
「な、なんだと!? 直撃だぞ!? なぜ死なん!」
要塞の兵士たちが動揺する。俺はその隙を縫って加速した。一直線ではない。ジグザグに、岩を蹴り、壁を走り、予測不能な軌道で肉薄する。
「狙え! レールガン、発射!」
中央の重機動兵器が唸りを上げる。青白いスパーク。音速を超える質量弾。昨日はこれで手も足も出なかった。だが、今の俺には「見える」。
(来る!)
発射の瞬間。俺は地面を蹴るのではなく、あえて「倒れ込んだ」。慣性を殺したスライディング。頭上数センチを、鼓膜を破る衝撃波と共に砲弾が通過していく。熱風が髪を焦がすが、それだけだ。
「懐に入ったァッ!」
俺は砂塵を巻き上げながら、要塞のゲート前、重機動兵器の足元に滑り込んだ。見上げれば、巨大な鋼鉄の脚部。そして、焦ったように砲身を下げようとする、鈍重な敵の姿。
「デカい図体して、足元がお留守だぜ!」
俺は右手に全神経を集中させた。左腕が使えない分、すべての魔力、すべての怒り、すべての生への渇望を、右腕に注ぎ込む。ティナが呼応する。大鎌の刃が巨大化し、太陽よりも眩い蒼光を放つ。
「斬ォォォれぇぇぇッ!!」
俺は下から上へ、逆袈裟に鎌を振り上げた。蒼い閃光が走る。金属が悲鳴を上げ、分子レベルで切断される音が轟く。
ズンッ!
重機動兵器の右脚が、根元から断ち切られた。支えを失い、バランスを崩した巨体が、ゆっくりと要塞のゲートに向かって倒れ込む。
ズガァァァァン!!
轟音と粉塵。数トンの質量が城門を押し潰し、瓦礫の山に変える。城壁の上の兵士たちが悲鳴を上げて落下してくる。要塞は、自らの最強の武器によって崩壊した。
「ば、馬鹿な……! たった二人で、要塞を……!?」
ひしゃげたコクピットから這い出してきた司令官が、血まみれの顔で俺を見上げる。俺は瓦礫の上に立ち、彼を見下ろした。左腕はだらりと垂れ下がっているが、右手には最強の「鍵」がある。
「……終わりだ」
俺は鎌の切っ先を、司令官の鼻先に突きつけた。
「道を開けろ。……それとも、こいつと一緒にスクラップになりたいか?」
俺が顎で示した先には、真っ二つにされた重機動兵器の無惨な残骸がある。司令官は顔面蒼白になり、ガタガタと震え――そして、不意に口元を歪めた。
「ク、ククク……」
乾いた笑い声。恐怖で気が触れたか? いや、違う。その目には、敗者の絶望ではなく、狂信的な達成感が宿っていた。
「終わり? 勘違いするなよ、モルモット風情が」
司令官は懐から小型の通信端末を取り出し、俺に見せつけた。画面には『送信完了』の文字。
「お前たちの戦闘データ……その『感情』による出力変動、予測不能な機動パターン……。その全ては、たった今ヒルダ様に送信完了した!」
「……なんだと?」
「気づいていなかったのか? お前が最初に施設で捕まった時、我々がただ拷問していただけだとでも?」
司令官は嘲笑うように、自分の首筋をトントンと指差した。
「埋め込んでおいたんだよ。極小の発信機兼、生体モニターをな! ずっとだ! お前たちがどこで寝て、何を食い、どんな無様な旅をしてきたか……我々は全て把握していたんだよ!」
背筋が凍るような感覚。俺たちの旅は、自由への逃避行などではなかった。手のひらの上で転がされ、データを搾取されるだけの「実験」だったのだ。
「ティナ! なぜ気づかなかった!」
『分からない……! スキャンには何も……』
「無駄だ無駄だァ! 埋め込んだのは、貴様があの『鍵』と契約する前だからな!」
司令官が叫ぶ。
「ハハハハハ! 素晴らしいぞ! 貴様らが泥にまみれて足掻いたデータのおかげで、ヒルダ様の『最高傑作』は完成する! 私の負けなど些末なことだ!」
圧倒的な悪意。俺たちが積み上げてきた絆も、葛藤も、すべて敵の糧にされていたという事実。だが、俺の心は不思議と冷えていた。怒りはある。だがそれ以上に、納得があった。なるほど。だから奴らはいつも先回りができたのか。
「……そうかよ」
俺は鎌を解除した。そして、自分の首筋――司令官が示したあたりを探る。あった。皮膚の下に、米粒のような硬い異物がある。これまで、ただのしこりだと思っていたもの。
「教えてくれてありがとな」
俺はサバイバルナイフを抜いた。そして、躊躇なく自分の首筋に突き立てた。
「なっ……!?」
司令官の笑いが止まる。俺は刃先で肉を抉り、激痛に顔をしかめながら、その「異物」を指でつまみ出した。血まみれの小さなチップ。俺たちを縛り付けていた鎖。
プチッ。
俺はそれを指先で押し潰した。
「あ、貴様……正気か……」
「これで、俺とお前らは他人だ」
俺は血を拭うこともせず、呆然とする司令官を見下ろした。
「データがどうした。完成品がどうした。……俺たちがここまで学習して強くなったことは、計算に入ってるのか?」
俺は一歩踏み出した。殺気。司令官が悲鳴を上げて後退る。
「ひ、退け……! 道を開けろォッ! こいつらは化け物だ!」
生き残った兵士たちが、武器を捨てて左右に道を開ける。もはや誰も、俺たちを「管理下の実験動物」とは見ていない。制御不能の災害を見る目だ。
俺は光の粒子となったティナを纏い、歩き出した。兵士たちの恐怖に満ちた視線の中を、悠然と進む。
「……マスター、首が」
「平気だ。せいせいしたよ」
俺は首筋から流れる血を舐めた。鉄の味がする。だが、それはもう「管理された血」ではない。俺自身の血だ。
要塞を抜けると、視界が一気に開けた。赤茶けた岩壁が終わり、その先には広大な砂の海――西の砂漠が広がっていた。地平線の彼方、空と砂が交わる場所に、陽炎が揺れている。
「……着いたな」
俺は大きく息を吸い込んだ。乾いた、熱い風。だが、その瞬間、アドレナリンが切れた左肩が悲鳴を上げた。
「ぐっ……ぅ……!」
俺はその場に膝をついた。左腕を見る。どす黒く変色し、感覚がない。出血多量と神経断裂。さらに壊死が始まっている。このままでは敗血症で死ぬか、腕を切り落とすしかない。
「マスター!」
ティナが実体化し、慌てて駆け寄ってくる。彼女は俺の左腕を見て、顔を歪めた。
「酷い……。神経系がボロボロだ。これじゃあ、もう……」
「……分かってる。使い物にならねぇな」
俺は自嘲した。片腕の死神。それも悪くないが、これから向かうのは「本拠地」だ。片腕で勝てるほど甘い相手じゃない。
「治すよ」
ティナが強い口調で言った。彼女は俺の左腕に両手をかざす。
「僕の構成因子を移植する。神経を再接続して、筋肉を補強する」
「おい、待て」
俺は彼女を制した。
「そんなことをしたら、お前はどうなる? ただでさえ磁場酔いで弱ってるんだぞ」
「……平気だよ」
ティナは嘘をついた。目が泳いでいる。俺は彼女の手首を掴んだ。
「嘘をつくな。代償は何だ」
「…………」
ティナは観念したように、小さく息を吐いた。
「……自己修復機能。僕の体を維持するためのリソースを、君に回す」
「なっ……」
「それを失えば、僕はもう、自分の傷を治せなくなる。……次に壊れたら、それっきりだ」
彼女は真っ直ぐに俺を見た。
「でも、君がいないと戦えない。片腕の君を守りながら戦うより、僕が脆くなっても、二人で攻める方が勝率は高い」
冷徹な計算。だが、その奥には「君に傷ついたままでいてほしくない」という、痛いほどの情があった。
「……バカ野郎」
俺は手を離した。止める権利はない。俺たちは共犯者だ。互いの命を削り合ってでも、前に進むと決めたのだから。
「やれ。……その代わり、絶対にお前を壊させない」
「うん。信じてるよ、鍵穴さん」
ティナの手から、銀色の粒子が溢れ出す。それが俺の左腕に吸い込まれていく。焼けるような熱さと、氷のような冷たさが同時に走る。壊死した細胞が食い破られ、銀色の機械細胞に置き換わっていく感覚。
数分後。光が収まると、俺の左腕には、ティナの文様と同じような銀色の刺青が刻まれていた。指を動かす。動く。痛みもない。以前よりも力強いほどだ。だが、ティナの姿は――
「……ティナ」
彼女の輪郭が、陽炎のように揺らいでいた。足元が透けて見える。実体化の強度が落ちているのだ。
「平気、平気。……ちょっと体が軽くなっただけ」
ティナは強がって笑い、ふわりと浮遊した。だが、その光は以前よりも儚く、脆くなっていた。もう、彼女は不死身の兵器ではない。傷つけば壊れる、ガラス細工の少女だ。
「……行くぞ」
俺は立ち上がった。左腕に宿った彼女の一部。そして、目の前で揺らめく彼女の命。背負うものがまた増えた。だが、重くはない。
「ヒルダが待ってる」
「ああ。……終わらせに行こう」
俺たちは砂漠へと足を踏み出す。振り返ることはない。ここから先は、もう隠れる必要もない。正面から乗り込み、全てを破壊し、そして奪われたものを取り返す。
「全速前進だ。……遅れるなよ、相棒」
「もちろん。君が倒れても、僕が引きずってでも連れて行くよ」
二つの影が、砂塵の中へと消えていく。その背中は、どんな軍隊よりも強く、そしてどこまでも孤独に見えた。




