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プロローグ:最後の朝食と、優しい嘘

 孤児院の朝は早い。太陽が昇りきる前、空が白み始める頃には、誰かが裏庭で井戸のポンプを漕ぐ音が聞こえ始めるからだ。キィ、キィ、という錆びついた金属音が、俺たちの目覚まし時計だった。


「……寒いな」


 俺――オージは、薄い毛布を頭までかぶり直しながら身じろぎした。窓枠の歪みから入り込む隙間風が、頬を冷たく撫でる。この建物も随分とガタが来ている。じいちゃんたちがどれだけ丁寧に手入れをしても、染み付いた古さまでは隠せない。


 隣のベッドでは、仲間のマルコが大きないびきをかいているし、その向こうでは年少のベンが寒さでダンゴムシのように丸まっている。俺たちは血の繋がらない兄弟だ。親に捨てられたり、死に別れたりして、この場所に流れ着いた「余り物」たち。けれど、継ぎ接ぎだらけの毛布でも、隣に誰かの寝息があるだけで、俺たちは安らかに眠ることができた。


「オージ、起きてるか?」


 小声でささやかれた。薄目を開けると、マルコがベッドから顔を出している。


「……ああ。今日だろ?」

「へへっ、当たり前だ。準備はできてるぜ」


 マルコがニカッと笑い、枕元に隠していたボロボロのリュックサックを叩いた。中には、昨日のうちに研いでおいたナイフと、水筒が入っているはずだ。俺たちは今日、少し遠出をする計画を立てていた。街の大人たちが酒場で話していたのだ。この森の奥にある「旧時代の研究施設跡」には、まだ手つかずのレアメタルや、高く売れる機械部品が眠っていると。


「なぁオージ、本当にやるの? じいちゃん、森の奥には行くなって……」


 臆病なベンが、布団の中から不安そうな顔を覗かせている。


「大丈夫だって。ちょっと入り口を見て、落ちてるもんを拾ってくるだけさ」

「そうだよベン。今年の冬は厳しいらしい。このままだと、暖房用のまきだって十分に買えないぞ」


 俺の言葉に、ベンは口をつぐんだ。この孤児院の経営は火の車だ。じいちゃんとばあちゃんは、自分たちの食事を減らしてでも俺たちに腹一杯食わせようとしてくれる。昨日の夜だって、じいちゃんは「年寄りはそんなに食えん」なんて見え透いた嘘をついて、自分の分のパンを俺たちに分けてくれた。


 俺たちはもう、守られるだけの子供じゃない。何か恩返しがしたかった。もし噂のお宝が見つかれば、今年の冬は暖かく過ごせる。ばあちゃんに新しいショールだって買ってあげられるかもしれない。


「よし、行こう。朝飯食ったら出発だ」


 俺は仲間たちを鼓舞するように言った。マルコとベン、それに力自慢や足の速い奴らを加えた、計6人の探検隊だ。それが、取り返しのつかない過ちの始まりだとも知らずに。


 食堂には、焼きたてのパンと薄い野菜スープの香りが漂っていた。暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音が、この場所の貧しくも温かい日常を象徴している。


「おはよう、お前たち。今日は随分と早起きだね」


 ばあちゃんが、湯気の立つ鍋をテーブルに運びながら微笑んだ。その背中は、俺がここに来た頃よりずっと小さく、曲がってしまっている。


「おはよう、ばあちゃん! 腹減って目が覚めちまったよ」

「育ち盛りだもんねぇ。さあ、たくさんおあがり」


 じいちゃんも新聞を畳んで、眼鏡の位置を直しながら食卓につく。


「そういえばオージ。今日はお前たち、どこへ遊びに行くんだ?」


 じいちゃんの鋭い視線が、眼鏡の奥から俺に向けられる。俺はスープを飲むふりをして、一瞬の動揺を隠した。


「え? ああ、いつもの森の入り口だよ。秘密基地の修繕をしようと思ってさ」


 嘘をついた。心配させたくなかったからだ。危険な廃墟に行くなんて言えば、二人は絶対に止めるだろう。俺たちの帰りを待って、笑顔で「すごいだろう」と戦利品を見せれば、きっと許してくれる。そう思っていた。


「……そうか。あまり奥には行くなよ。最近、黒い服を着た連中がうろついているという噂がある」

「分かってるって。夕方には戻るよ」


 俺は笑って答えた。マルコたちも、話を合わせるように頷いている。


「行ってきます!」

「ごちそうさま!」


 朝食を終えた俺たちは、逃げるように玄関を飛び出した。ばあちゃんが「気をつけるのよ!」と声をかけてくれる。俺は振り返り、大きく手を振った。


「行ってきます、ばあちゃん! 今日の晩飯、楽しみにしててよ!」


 ばあちゃんが何か言いたげに口を開きかけ、けれど最後には優しく微笑んで手を振り返してくれた。それが、俺がばあちゃんに向けた、最後の笑顔だった。


 外は澄み渡るような快晴だった。森の空気は冷たく澄んでいて、吸い込むと肺が浄化されるような気がした。


「いい天気だな! こりゃあ幸先がいいぞ!」

「待ってよマルコ、早いよぉ」

「遅えぞベン! お宝が逃げちまう!」


 仲間たちの笑い声が森に響く。俺もその最後尾を歩きながら、リュックの紐を強く握りしめた。希望しかなかった。俺たちの未来は、この青空のようにどこまでも続いていると信じていた。


 俺は知らなかったのだ。自分が「何者」として生まれ、何のために生かされていたのかを。この森の向こうで、どんな地獄が口を開けて待っているのかを。


 もし、あの時。じいちゃんの忠告を聞いていれば。正直に行き先を告げていれば。あるいは、俺がもっと臆病であれば。


 この温かい食卓は、明日も続いていただろうか。


 屋根の上で、錆びついた風見鶏がキィィと音を立てて回った。まるで、行く手にある運命を警告するように。俺たちは足早に、森の深淵へと向かっていく。


 二度と戻れない、あの温かい日常を背にして。

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