二 : 大坂か、伏見か
慶長四年元日、伏見城へ秀頼に新年参賀の挨拶に登城した諸大名に対し、利家は十日後に大坂城へ移る旨を表明した。日程が短い事や冬の寒さで秀頼が体調を崩さないかなど懸念の声も上がったが、利家は一蹴。一月十日、秀頼は大坂城へ渡徒した。諸大名もそれに伴い大坂へ転居、秀吉から伏見で政を執るよう言及されていた家康は孤立した形となった。
これと前後し、家康による諸大名との婚姻が明るみになった。利家は一月十九日に家康へ問罪使を送るも、逆に『儂にあらぬ罪を着せて追い落とすつもりか』と激怒。開き直った家康の態度に三成や利家は忿怒し、戦も辞さない構えに大坂と伏見は大騒ぎとなった。
「恐れていた事が起きたな」
伏見から大坂へやって来た幽斎は、頭を抱える忠興に言った。
「他人事ですな」
「まぁ、他人事だからな」
批難めいた声の忠興にケロリと返す幽斎。隠居した幽斎は助言出来るが、決断するのも責任を負うのも長岡家当主の忠興だ。
大坂・伏見で緊迫する中、大坂の前田屋敷・伏見の徳川屋敷へ馳せ参じる者も出始めているとか。このまま武力衝突に発展するのも現実味を帯びてきており、長岡家も旗幟を鮮明にしなければならない。
「で、如何する」
「大坂しかないでしょう。……あの治部と一緒なのは真に不本意ですが」
幽斎が質すと苦悶の表情で絞り出すように答える忠興。三成を唾棄する忠興の目が曇ってないか心配だったが、杞憂だったようだ。
漏れ伝わってくる情報では、大坂の方が優勢だ。三大老五奉行、三成に近い者や武断派の一部と幅広い面子が揃っている。縁戚の忠興も顔を出さない訳にもいかない。
「ならば、儂が伏見へ参ろう」
父の言葉に、ハッとする忠興。さらに語る。
「誰かに指摘されたら『父が勝手にした事』と述べよ。双方に顔を出して損はなかろう」
家名の存続を考えれば、対立する双方に属すのが理想だ。忠興が大坂に行くと決めた以上、保険をかけ幽斎が伏見へ行くのが無難だ。
善は急げとばかりに立ち上がる幽斎に、忠興は“頼みます”と深々と頭を下げた。
伏見へ踵を返した幽斎はその足で徳川屋敷に向かった。緊迫した情勢を反映してか、門前や周囲には武装した兵が警戒していた。
門前の者に訪いを告げると、待合の部屋に通された。既に福島正則や伊達政宗・最上義光など何名かの先客が座っている。
来た順に座っていく形式らしく前の人の隣に腰を下ろした幽斎に、杖を突きながら「幽斎殿」と声を掛けてきた人物が居た。
「これは、如水殿」
にこやかな笑みを浮かべ応じる幽斎。相手は気にせず幽斎の隣に座る。
黒田“勘解由次官”如水、出家前は孝高と名乗った。天文十五年生まれで五十四歳。幽斎と同じく家督を譲った隠居人だが、立ち位置は少し異なる。
播磨の有力国人・小寺政職の家老、小寺(主筋から姓を下賜)職隆の嫡男に生まれ、永禄十年〈一五六七年〉に二十歳で家督と家老職を継いだ。日々伸張する織田家へ誼を通ずるよう主君に強く働きかけ、小寺家は逸早く織田家に与する意思を示した。これを面白く思わない毛利家は天正五年五月に五千の兵を送り込むも、孝高は五百の手勢で追い返し、その武名を広めた。
秀吉の中国攻めでは参謀役として支えるも、天正六年に別所長治・荒木村重が相次いで造反。村重の説得に向かった孝高は囚われ、地下牢に入れられた。救出されるまで不衛生で劣悪な環境で過ごした孝高は、髪は抜け頭に瘡が出来て足の曲げ伸ばしが不自由になった。
その後も秀吉に従い各地を転戦、秀吉の勝利に貢献した。天正十七年〈一五八九年〉五月に隠居し、家督を嫡男の長政に譲った。ただ、その才を惜しんだ秀吉の求めから北条征伐や朝鮮の役にも従軍し、現在に至る。
今年で六十六歳になる幽斎に立身出世を望む“ギラつき”は枯れ果てたが、如水は違う。願わくばあと一勝負、己が才覚で天下を狙いたい野心が、如水の瞳の奥で燃え滾っていた。身形こそ剃髪し世捨て人を装っているが、とんでもない。中身は俗や欲に塗れていた。これには隠居するに至った事情も関係する。
六月三日、本能寺の変を知り慟哭し取り乱す秀吉へこう囁いたとされる。
『御運が開けましたな』
主君が家臣に討たれる青天の霹靂の事態にも動じず“未来は明るい”と直言した孝高に、秀吉は化物を見た気分だった。以降、秀吉は孝高を側近くに置くも心を許す事はなかった。
時は移ろい、秀吉は若い家臣を集めて夜話をしていた時、『次の天下を獲るのは誰か』と戯れ半分で問うた。色々な武将の名が挙がる中、秀吉は『あの足萎え(孝高)よ』と答えた。それを伝え聞いた孝高は即座に隠居を申し出たとされる。
このように“御家を守る”目的で隠居したのは同じだが、如水は野心を捨ててなかった。
「越中守(忠興)様は?」
「大坂へ参りました」
「貴殿も駆り出されて大変ですな」
幽斎の返答に“ご苦労様です”という風に苦笑いを浮かべる如水。しかし、目の奥が笑っていないのを幽斎は見逃さなかった。
斯く言う如水は、息子・長政と共に伏見へ駆け付けている。長政は三成嫌いもあるが、家康を“次の天下人”と見据えて下支えしようという魂胆もあった。それこそ、秀吉に天下を獲らせた父の如く。但し、如水は長政と別の思惑がありそうだが、果たして。
尤も、伏見に現れた幽斎も同じ穴の貉だが。
「如水様、お待たせ致しました」
家康の小姓に呼ばれた如水は幽斎へ軽く頭を下げてから、やおら立ち上がる。遠くなっていく杖音を聞きながら、幽斎は自らの胸の内と向かい合う。
それからも、新たな人が到着する。その中には淀の方の縁者である織田有楽斎や京極高次、それに三成と懇意にしている大谷吉継が現れた時は幽斎も流石に驚いた。
順番の通りかと思えば前後したりで暫時待たされた幽斎にも、お呼びが掛かる。待合の人達に会釈してから家康の元へ向かう。
対面の場には、家康と近臣の本多正信が座っていた。正信は“質朴剛健”で無駄口を叩く事を好しとしない三河武士には珍しく、寝業や謀で家康を蔭から支えていた。
「これはこれは幽斎殿。先日は急な訪問にも関わらず応対頂き、ありがとうございました」
にこやかな笑みを浮かべながら挨拶を述べる家康。前回は茶飲み話で済んだが、今回は違う。この場は政治的な駆け引きの場であり、値踏みの場でもある。幽斎は長岡家を代表する身、家康の信を得る必要があった。
「ところで、御子息殿は?」
「大坂(前田屋敷)へ参りました。当家も色々付き合いがございます故……」
訊ねた正信へ申し訳なさそうに答える幽斎。質した正信や上座に座る家康に特段の変化は見られない。何か隠したり装ったりしている様子もないので、当主が来なかった事を咎めたり不満を抱いている訳ではなさそうだ。
ならば、交渉の余地はある。そう判断した幽斎は顔色を変えず続ける。
「ここだけの話になりますが……此度の事態に当家は大変困っておりまして……」
心底弱ったといった表情を浮かべ内情を吐露する幽斎に、家康と正信の眉が微かに動く。
「困った、とは?」
困り顔の幽斎に、家康が訊ねた。釣れた。内心北叟笑む幽斎は気取られないよう答える。
「実を申しますと、本心では内府様へ忠心を表したいのですが、我が孫は加賀大納言様の娘を娶ってる手前、そういう訳にもいかず……このまま戦にでもなればどちらへ味方すべきか決めかねておる次第」
さり気なく家康方である事を匂わせながら、憂慮を口にする幽斎。一聞すれば“二股を掛けているのか!?”と批難されてもおかしくないが……家康も正信も、無表情のままだ。これで幽斎は確信した。“家康に今は戦う気がない”、そして“着地点を探っている”と。
伏見と大坂で対立が先鋭化しているが、幽斎の見立てでは伏見の方が分が悪い。大坂には豊臣家の中枢を担う重臣が揃い、武断派の一部も加わる。さらに伏見へ駆け付けた者の中にも土壇場で戦わなくなる可能性もある。単刀直入に言えば、家康に勝ち目はない。
かと言って、拳を振り上げた以上は自分から下ろしたくない。それは喧嘩を売った利家も同じ。お互いに落とし処を見出せず、時間だけ過ぎている状況だ。
畳み掛けるなら今だ。幽斎の勘がそう囁く。
「もし……もし、内府様がお望みとあらば、加賀大納言様との間で仲立ちを買って出ましょうが……如何なさいますか?」
おずおずと提案する幽斎に、二人から反応はない。それでも、稍あって家康が口を開く。
「秀頼公のお膝元で騒擾を起こすのは我が本意に非ず。双方で折り合えるならば、和解するのも吝かではない」
この日初めて、家康が自らの考えを明らかにした。言質を取った幽斎は家康へ恩を売ったに等しく、今回の会談の目的は達成した。
それでも、勝ち誇った気分を露とも出さず殊勝な態度で幽斎は頭を垂れる。
「畏まりました。老体の身ながら、戦の回避に向けて骨を折る所存」
幽斎が請け負うと、家康は「頼みましたぞ」と頭を下げた。この一瞬だけ、家康の本心を垣間見た気分だった。