「モーちゃん」がうざい後輩の話
以前にもエッセイで取り上げたが、故・那須正幹先生の「ズッコケ三人組シリーズ」という児童文学作品がある。
小学6年生のハチベエ・ハカセ・モーちゃんの三人を中心に様々な物語が描かれる、個人的に大好きなシリーズだ。
このズッコケシリーズを、昔やってたバイトの後輩が読み始めたというので、つい何冊もオススメしてしまったのだが……起承転結がしっかりとしていて読みやすく、面白いと言ってもらえた。
嬉しい限りだ。ちなみに後輩は「山賊修行中」が好きらしい。
だが一つ、予期せぬ感想もきた。
「モーちゃんがうざい」
というのである。
モーちゃんとは三人組の一人であり、どこもかしこもまるまる太った少年である。
なにをするのものんびりで、スローモーの「モー」からモーちゃんというあだ名が出来たらしい。
これまで沢山の人にズッコケを勧めてきたが、このような感想をもらったのは初めてだったので、もう少し詳しく話を聞いてみた。
さて、後輩がモーちゃんをうざがる理由。
それはずばり「無能」だから、だそうだ。
三人組の他の二人を見てみると、ハチベエは抜群の行動力、ハカセは小学生離れした知識の持ち主と、それぞれわかりやすい強みがあるのだが、モーちゃんはほとんど役に立っていない、というのだ。
なのに暇さえあれば「お腹すいた」とこぼし、ご飯だけは人一倍どころか3倍も4倍も食べてぶくぶく太ってるから尚更うざいという。
なるほど……。
自分は、ハチベエとハカセが自己主張の強いタイプなのに対し、のんびり屋のモーちゃんがいるからバランスを取れてると思っていたし、頻度は少ないが活躍シーンもあるので、「無能」とか考えたことなどなかった。
公式の登場人物紹介にも「やさしくてみんなに好かれる」、とある。
https://www.poplar.co.jp/zukkoke/
そのやさしさというか「ユルさ」みたいなものが、彼の強みかもしれない。
だが後輩は「そんなの強みでもなんでもない! 無能だ!」と、物語上の活躍頻度だけで判断したようだ。
な、なるほど……。
この「モーちゃんディスり」に関してだが、自己に厳しく何事も熱心、だけど他人にも厳しいという後輩の性格も関係あるとは思う。
しかし自分はなんだか、昨今の社会に対して感じるモヤモヤとなんとなく重ねてしまった。
それはどういうことか。少々飛躍しすぎとは自身でも感じるが、ひとまず聞いてほしい。
〜〜 生産性、効率化、DX化、AI、etc…… 〜〜
昨今よく聞く言葉だ。
いや、別にそれらを批判したい訳じゃない。
生産性が上がり、効率化・最適化が図られることで、「昔に比べて良くなった」と感じることは沢山ある。
その反面、技術の進歩や制度・常識・価値観の変化についていけず、「しんどい」と思ってしまうことも正直あるのだ。
新しくやること・覚えることが増えるたび、「いつから人間(日本人)てそんなに優秀になったの? みんなできてるの? 本当に?」って、首を傾げたくなる時もある。
まず、情報技術が格段に発達した今、次から次へと入ってくる新情報や新技術を的確に選別し扱うには、もはや人類の脳ではキャパオーバーな感じがする。
最近話題のAI関連の情報を追ったり、実際触ってみたりしていても、疲弊感が半端ない。
あまりに供給量が多すぎるし変化が速すぎるのだ。
また、社会に属しサービスや便利さを享受する以上、こちらも色々と努力し対応しなくてはならないのはわかるが……
「インボイスとかマジでなんなん? ただやることとが増えただけやんけ!」
なんて、昨年度の確定申告をしながら思った。
ちなみに自分はスマホでマイナンバーカードを読み込む形で確定申告しているが、ログインしたり下準備したりが最初はなかなかややこしい。
他にも、各種手続きにしろ制度にしろ、スマホありきで色々とコトが進んでいるが、電子機器に馴染みの薄い高齢者の方は置いてけぼりにならないかと心配になる。
キャッシュレス化もそうだ。
自分は元々キャッシュレス派だからまだいいが、急に「現金使えません」とか言い出すのは酷な気がする。
つまり、便利になってるとは思うのだが、ついていける人、使いこなせる人だけがメリットを享受できる世の中にどんどんなってしまっている、そんな気もするのだ。
「多様性が受け入れる社会」「多様性が尊重される社会」なんて言葉も聞くが、効率性や生産性の向上を求めることで真逆の、「弱者の排除」に向かっているような矛盾さえ感じる。
のんびり屋を無能と称した後輩の「モーちゃんディスり」に重ねたのは、そんなモヤモヤだ。
この自分が感じるモヤモヤも、後輩がモーちゃんをうざがるのも、それぞれ一個人の意見・感想であり、社会の総意ではないことは重々承知してはいるが。
人にはそれぞれのペースがあり、それぞれの得意・不得意がある。
モーちゃんも別に、全く役に立っていないわけではない。
釣りが得意だし、第一作目の「それいけズッコケ三人組」にて、博識のハカセに匹敵するような頭脳プレイを見せたこともあったし、「ズッコケ結婚相談所」では大人でも理解するのが難しいような、複雑な人間心理を説く場面もあった。
活躍頻度や数字だけで、その人の価値を測れるとは自分は思わない。
相手にはきっと、自分に足らない何かを持っている、自分にできないことをできる。そう考えるからだ。
そして完璧ではない人間同士、補い合って生きているのが社会だと。
繰り返すが、生産性向上やDX化などを否定したり、批判したいわけではない。
ただ、本当の意味での「多様性」を謳うのならば、「それぞれのペース」を理解する社会であってほしい。
モーちゃんがうざい後輩の話を聞いて、そんな願いを抱いた。