3-3話【外に出たもの】
本作品はフィクションです。登場する人物名、団体名、地名、設定等は全て架空のものであり、実在する物とは一切関係がありません。
本作品には過激な表現が多分に含まれています。苦手な方は閲覧をお控え下さい。
(1)本書には子供に相応しくない内容、刺激の強い表現が含まれています。
(2)本文内にはグロテスクなシーンやゴア表現、性的描写や犯罪にあたる行為だけでなく、差別的な思想を連想させかねない言葉や表現が多分に含まれています。
(3)不安障害や鬱病など、心の病に苦しんでいる方は本書を読むべきでは無いかもしれません。また現実と虚構の区別が付かない方は本書を読まないようお願い致します。
「いつもいつも、ハニーは無茶ばかりする」
鼻血を出して動かなくなった橘光を膝に抱き、パルヴェルト・パーヴァンシーが小さく独りごちる。
直前に命を賭けて殺し合っていたとは到底思えない程に穏やかな寝息を立てる光の、その金色の毛髪を撫でる。安らかに眠る光のまるで泣いているかのような跡を残したその目元を見やれば、乾き始めた血は酸化を始めていた。
「………いつもいつも、ハニーは一人で無茶ばかりだ」
橘光はどんな苦境に遭っても誰にも助けを求めない。両眼の視界を奪い取られた際だって少し後ろにパルヴェルトが居る事は分かっていたはず。にも関わらず橘光は助けを呼ぼうという素振りすら見せず、自らの力のみで艱難辛苦を乗り越えようとするのだ。
何せ橘光は強い。心も体も、心技体の全てがとんでもなく高い水準にある。パルヴェルトに頼らず自分の手で切り拓いている方が圧倒的に早く済むのは明白だ。
だがそれでも頼って欲しいと思うのは、果たして傲慢なのだろうか。
早くは済ませられないかもしれない。予定より大幅に手間取り、時間が掛かってしまうかもしれない。場合によっては手を貸したはずの自分が窮地に陥り、橘光から手を借りるような羽目になるかもしれない。
だとしても、一人で戦うよりはよっぽど負担は減るはずだ。
たった一言「手を貸せ」と言ってくれれば、パルヴェルトはどんな状態であっても手を貸したのに。そうすれば彼女は戦闘後に意識を失うような事も無く、きっと「パルお前クソの役にも立たんやんけ」とかって軽口を叩けたかもしれないのに。そうすれば「肉盾ぐらいにはなれてたと思うよ!?」とか戯けながら言い返して、きっとみんなで笑っていたかもしれないのに。
「……ヒカルがお前ェを呼ばねェのはお前ェが絶対ェ助けに来るからじゃねぇのォ」
悲しそうな顔で光を撫でるパルヴェルトに、ジズベット・フラムベル・クランベリーが語り掛ける。
そんなジズに、三人の子守を終えたトリカトリ・アラムは白と黒の双子に救急箱を預けながら「ほら動かないで下さいまし」と声を掛ければ、大量の小傷にマキ◯ンと書かれた消毒液を吹き掛けられたジズが苦しげに「いでででで」と呻く。
「……助けを求められれば助けに行くだろう。それが普通じゃあないのかい」
「だからってェ話よォ。手前ェの手に負えねェような相手であってもお前ェは死にに往っちまうでしょォが。だからヒカルはお前ェにだけは助けェ求めねェんじゃねェのォ?」
そう言い終えたジズは傷口をガーゼで拭かれ「痛ッでェこの馬鹿トリカもっと優しくしなさいよォっ!」と文句を言った。
「良い大人なんだから我慢なさって下さい。……パイくん、包帯をお願いします」
「包帯……これ? はい」
パイ・ヤンから包帯を受け取ったトリカトリは優しげに「ありがとうございます」と礼を言ってジズの腕にそれを巻き付けていく。「優しくしてよォ? アタシ未通女なんだから激しくしちゃやァよォ」と軽口を叩くジズは直後に後悔する。身長三メートルを超える大柄な種族故に超不器用なトリカトリに治療を任せた事を、
「奇遇ですね、トリカも処女なんですよ。二人で不器用な百合セックスと洒落込みましょう」
言いながら乱雑に巻かれる包帯。悲鳴を上げて強く後悔しているジズに、トリカトリのその言葉を聞く余裕なんて無かった。
そんなジズとトリカトリを見ながら、パルヴェルトは「ボクはそれでも構わないのに……」と呻くように小さく呟く。
「ボクは一度終わった身なんだ……死後の世界で、生前に叶えられなかった事を叶えられるなら、ボクは喜んでハニーの為に死ねるというのに……」
むしろその方が橘光はよっぽど長く生きられるはずだ。代わりに死ぬからという訳では無い。自分が誰かの代わりに死んだからといって、その誰かがその後絶対生きられるとは限らない。
では何故長く生きれると思えるのか。
「わしはパル坊の言葉に賛成じゃの。そも人間の脳みそは掛かっとる歯止めなんぞポコスコ外してどうにかなるようには出来とらんからのう。パル坊が死に物狂いになっとる方が小娘の脳みそはよっぽど負担が減るじゃろうな」
人間が脳にリミッターを掛けているのは『歯止めが無いと体が保たないから』に他ならない。
さっきのような戦闘であっても、ジズとするような喧嘩であっても、何かを運ぼうとした時であっても、脳のリミッターを外すという事はそれだけで自身の寿命を著しく削っている。今の所は鼻血を出しながら意識を失う程度で済んでいるが、数秒後に脳の血管が千切れたとしても何らおかしくは無い。そうなれば意識を失った後、もう二度と目を覚まさなくなるかもしれない。
「やはり助けに行っとる方が良かったんじゃあないのか? 何ぞよう分からん誇りだの何だの下らん与太を言っとらんで、煩わしいと思われてでも誰かに向けて手を差し伸べとる方が余程賢明じゃろうが」
ヘイ・ヤンが持つ円柱のような透明なケースから綿棒を取り出した首様は「お陰で小娘が死に掛けじゃ。阿呆じゃのーほんに阿呆じゃのー」とパルヴェルトを煽りながら、取り出した綿棒を耳に突っ込みぐりぐりと動かしていく。
耳から取り出した綿棒の赤黒い先端を見て「うわばっちい! ………お嬢ちゃんもう一本くれんか」と言う首様に、ヘイ・ヤンが「はい、どうぞ」と新しく取り出した綿棒を手渡し、両端が真っ黒になった使用済み綿棒を小脇に置く。
するとチルティ・ザ・ドッグが「首様ぁー、お着替え持ってきたですよー」と言いながらやってくる。丁寧に折り畳まれた和服を抱えたチルティが首様の隣にそれらを置くと、首様は「うむ」と頷き綿棒を引き抜いた。そしてそれをその辺に置いてすっくと立ち上がる。
立ち上がった首様の帯をチルティが解くと、首様は両手を横に上げる。それを見たチルティは慣れた手付きで首様の和服を脱がして行き、肩が血で汚れた和服をぺいと横に放った。
「………お婆ちゃん大人なのにおまたつるつるなの?」
真横にパルヴェルトが居るにも関わらず、和服を脱いで全裸になった首様の股間を見やったヘイ・ヤンが小首を傾げながらそう問えば、首様は糸目を更に細めて柔和な微笑みを浮かべる。
「お嬢ちゃんの髪の毛と同じじゃよ。髪の毛長い者も居れば短い者もおるじゃろ? お股の毛もそれと同じなんじゃよ」
「毛が生えてない人も居るの?」
「応よもろちんじゃあ。わしのようにおま◯ま◯つるつるな者だっていっぱい居るぞお。のう小悪魔や」
「もろちんよォ。毛だけじゃ無いわよォ? お豆だってビラビラだってそれぞれ大きいの小さいの黒いの何のって色々個体差あんのよォ」
「まあわしは生やそうと思えば毛ぐらいなんぼでも生やせるがの。ク◯ニしやすいよう生やしとらんだけで気分によってはふさふさにする事もある。相手取る男子の性癖次第じゃな」
「その情報は双子にゃ教える必要無ェ気がするわねェ」
「………トリカお姉ちゃんは?」
「私ですか? 私はふさふさですよ。お豆もビラビラも小さめです。多分。いえ絶対。小さめです。小さめだと信じています」
「光お姉ちゃんは? チルティは?」
「チル犬はふっさふさでストレート気味じゃな。チルはわしが弄り倒したせいでお豆もビラビラもエグい事になっとるが、わしはそれぐらいのグロ◯ンの方が弄り甲斐があって好きじゃ」
「その情報も双子にゃ教える必要無ェ気がすっけどォ。………それはさておきヒカルもふさふさよォ。流石にクリや陰唇のサイズは知らねェけどさァ」
「ああそうですわ、ついでにお一つお教えするとすれば、乳首の形や大きさも人によって違うんですよ。ぽっちりしてる方が多いですが、ヒカル様は乳首が隠れちゃってる恥ずかしがり屋さんなんですよ」
「恥ずかしがり屋さん?」
「はい。陥没乳頭と言って、乳首が乳輪に埋もれるように引っ込んでしまっている方も結構いらっしゃるのです」
「乳輪も大きさ人それぞれなンだけどォ、トリカめっちゃ乳輪デケェから後で見せて貰いなさァい」
「デカくありませんっ! トリカ乳輪デカくありませんっ! 私の種族としては平均だと思いますっ! 人間サイズの皆様と比べないでくださいましっ!」
くわっと目を開いて反論するトリカトリにジズが「アタシの頭よりデケェ癖に」と呟けば、トリカトリは「ふンぬっ」と鼻を鳴らして巻いていた包帯を引き絞り、ジズは反射的に「ッデェこの馬鹿ッ!」と声を荒らげてしまった。
呆けたような顔で、学校では絶対に学ばないながらも知っておかねばならぬ知識を学んでいくヘイ・ヤンは、口を薄く開きながら「へぇ〜」と息を吐く。
「……………………」
フェル・ヤンはその様子を見て、しかし数時間前にしたような下品が云々というような異論は唱えられなかった。唱えられる訳が無い。自分が出来なかった───いや、しなければならないのにしなかった事を代わりにしてくれているのだ。感謝こそすれ咎めるような事なんて出来る訳が無かった。
「のうヘイや。ヘイはちんちん毛え生えとるか?」
着替えを終え見慣れた真白な死に装束に戻った首様がそう聞けば、トリカトリから救急箱を預けられていたヘイ・ヤンが「僕? 僕生えたよ! まだ少しだけだけど!」と顔を綻ばせる。それを見た首様は「おうそうかあ、良かったのう」と糸目を更に細くして笑い掛ける。
「なら玉々に毛は生えたか? お尻の穴には毛え生えたか?」
「たまたま? お尻?」
首様の言葉に首を傾げるヘイ・ヤンに、ジズが「あーァそれもあったわねェ」と某か得心したように声を発した。
「金玉やケツ穴にも毛ェ生える人と生えない人とが居んのよォ。………玉に毛ェ生える人は少ねェんだっけェ?」
「どうでしょうねぇ………どちらも半々だと聞いた事がありますが、国家規模でアンケートなど取って厳密に調べた訳ではありませんから……」
「言ったらま◯こだってそうじゃぞ? ま◯このお肉……一等ぷにぷにしとる場所あるじゃろ? ま◯こに毛え生えとる者でも、お腹の下にしか生えてない者も居ればぷにぷにの部分にも全部生えとる者も居る。当然ぷにぷにの部分にだけ生えるものも居るな」
そう語る首様の言葉に「「へぇ〜」」と口を開いた双子を見たフェル・ヤンは、最早完全に言葉を失っていた。
知らなかった。そんな知識、知らなかった。男性を相手に性奉仕をして稼いでいたはずなのに、性器に関する知らない知識が余りにも多い事にフェル・ヤンは愕然としていた。
「パルお兄ちゃんは? パルお兄ちゃんは生えてるの?」
ヘイに問われたパルヴェルトは暗い顔をしながら「……ボクかい?」と答えるが、目を閉じ再び開くと努めてにこやかにヘイに向き直る。
「ボクは玉に毛は生えていないよ。お尻にもね。……ここには居ないけど、ボクのブラザーも玉やお尻に毛は生えていないように見受けられたね」
「そうなの?」
「ああ。でもボクもブラザーも、陰毛自体は生えているよ。だからヘイくんも股間のどうのこうので人と違うと悩む事は無いよ。みんな違ってだなんて傲慢な事を言う気は無いが、人それぞれみんな違うんだから、自分が誰かと違う事なんて当たり前だとボクは思うんだ」
優しく教育していくパルヴェルトの言葉に「へぇ〜」と顔を綻ばせたヘイ・ヤンは、そのまま口を開き更に問い続ける。
「ちんちんは? パルお兄ちゃんちんちんの皮剥けてる?」
その質問にパルヴェルトは微笑みを消して「ぅグっ!」と大きく呻く。小首を傾げるヘイ・ヤンから目線だけ逸らせばジズも首様も、トリカトリですらもが口元を大きく歪めてニヤニヤしたまま何も言わない。
助け舟を何一つ出して貰えず目線だけで右往左往するパルヴェルトの様子を見たヘイ・ヤンは、答えを待たずに悲しげな声色で呟き出した。
「パイがね、ちんちん剥けてないのはカッコ悪いって前に言ってたんだ。僕ちんちん剥けてないから、カッコ悪いのかなって」
「だって本に書いてあったもん。本に出てた女の人、ちんちん剥けてないのダサいって言ってたもん」
言い争いの喧嘩に発展しそうな双子を見て、しかし自身にとってのコンプレックスでもある短小包茎云々に関する話題に言葉を返せないパルヴェルトを見た首様がころころと転がる鈴玉のような笑いをあげ、トリカトリが口を開いた。
「ヘイちゃん、それは勘違いですよ。偏見というものです」
「そうなの? でも本の女の人が……」
「その本の女の人が間違った知識をひけらかしているだけでしょう。一つの知識を得た時点で満足してはいけません。………そうですね。最低三人からは意見を聞いて、多数派を信用して下さい。でも信じ切ってはいけません、信じつつも半信半疑ぐらいが丁度良いでしょう」
「………そうなんだ」
「おちんちんの皮に関しては色々と難しい、デリケートな事柄がいっぱいあります。ですが生物としては皮を被っている方が正常なんですよ。大事な器官ですから、皮で守っているのです」
「「そうなの?」」
「二人は犬とか猫のちんちん見た事あるゥ? 機会があったら見てみると良いわよォ、犬も猫も普段はちんちん引っ込んでて隠れてっからァ」
「「へぇ〜」」
「けど皮ァ剥けてる方がちんちんデケェイメージあってさァ。ンでちんちんデケェ方がカッケェッ! みてェな風潮あっからァ、剥けてる方が良いみてェになってんじゃないかしらねェ。短絡的だわァ」
「他にも恥垢の存在もありますね。二人はおちんちんの皮の中に白っぽいのがくっ付いてるのを見た事がありますか?」
「「ある!」」
「それは恥垢という汚れの一種なのですが、皮を被っている方がカリ首……おちんちんの引っ掛かりに恥垢が集まりやすく目立つのです。だから皮を被っている程汚らしいとされやすく、そのままカッコ悪いというイメージに繋がってしまうのでしょう」
「厳密には皮ァ被ってようが関係無いんだけどねェ。仮性だろうが真性だろうがズルムケだろうが生きてる限り垢ァへばり付くもんよォ。女だって豆の皮ン中ァ垢ぐらい出来っからねェ」
「皮を被っておると皮に擦れて場所がズレた汚れがカリに集まりやすく、皮あ剥けとると垢が下着に擦れて取れるって話じゃろうの。代わりにおパンツ汚くなっとるだけの話じゃ」
都合何度目かも分からない「「へぇ〜」」という頷きに「みんな何で男のボクより男の股間に詳しいんだい……」と呆れるパルヴェルト。しかしフェル・ヤンは呆れでは無く、むしろ三人の女性に対して尊敬の念を抱き始めていた。
……この人たちは、面白半分で下品な話をしていただけでは無かった。みんなちゃんとした正しい知識を持って、それが分かった上で性に関する話をしていた。
────そんな者たちに、私は何と言ったか。
正しい知識を持っていない自分が、間違った知識ばかり持っていた自分は、
────子供に関してしくじった私は、彼女らに何と言ったか。
ここに来てようやく、フェル・ヤンは自分が首様に叱られた理由が分かった。
………夜が来てこの子たちが眠ったら、みんなに謝りに行こう。謝らなければ気が済まない。間違った知識を持ったまま、偏見のようにそれを嫌悪していた私と違って、この人たちはしっかりとした正しい性知識を持って、その上で性に関する話をしていた。
子供に良くない話だと性に関する話題を嫌悪していたフェル・ヤンは、既に見識を改め始めていた。遠ざけるだけでは何の解決にもなっていない。仮に遠ざけるのなら、遠ざけたものが懇切丁寧に教え込んであげる義務がある。そしてそれも、自らの偏見や偏った知識ではいけない。幾つもの文献を手にし、本当に正しい知識を教えねばならない。
それが出来ないのであれば、温室で百合の種を蒔く権利なんてきっと何処にも無いのだ。
「それはさておきさァ、首様ってア◯ル弱そうなイメージあるンだけど実際どうなのォ?」
暗く曇っていたフェル・ヤンの顔が明るさを見せ始めた頃、ジズが話の腰を折ってそんな事を語り始めた。その言葉に首様は「おん?」と小首を傾げる。
「ルーナティアで首様っつったら性欲お化けってのはもう国民の常識なンだけどさァ」
「えなんじゃその常識わし初めて聞いた」
「そうですね。ルーナティアの城下で首様のお名前を口にすると、周囲の男性は揃って股間を押さえながら泣いて逃げ出しますよ。因みに比喩や誇張では無くマジです」
「嘘じゃろお主それ小粋なジョークじゃろ?」
「ボクも聞いた事あるね。ルーナティアでは「夜に出歩くとちんもぎババアに攫われる」という噂がが浸透していると聞いたよ。地区によっては大妖怪ち◯ぽねぶりとも言われているらしいじゃあないか」
「ち───ちんもぎババアじゃとおッ!? なんじゃそれ酷くないかいやどう考えても酷いじゃろッ! というか何が大妖怪じゃわし神じゃぞッ! 堕ちたけどッ! 堕ちたけど神なんじゃぞッ!?」
「全然神っぽく無ェし心当たりもあンでしょォ? 胸に手ェ当てて考───クソが壁乳で何が悪ィッてンだボケがスッ殺すぞオァンッ!?」
「いや誰も何も言っておりませんよ。一人で暴走しないで下さいまし」
「ふーむ、心当たりのう………」
「あるだろう。幾らでもあるだろう。少なくとも貴女の性欲がヤバいのは国民なら全員知っているよ」
「………………………心当たりめっちゃあるのう」
しょんぼりと項垂れた首様が「でもそんな言われとるとは………へこむ」と呟くと「まァそれは良いんだけどさァ」とジズが話を戻す。
「ア◯ルだけは弱そうだなァってアタシ思ってるンだけどォ、実際どうなのォ? 何となく浣腸とかしたらオホオホ言いながらブリブリ放り出すイメージあるんだけどさァ」
そんな言葉を聞いて不機嫌そうに眉間を歪めた首様は「……お主わしの事をマジで神だと思っておらんじゃろ」と呆れたように呟いた。
「ア◯ルに溶液ぶち込まれても、そもそもわし何も排泄せんわ」
「排泄しねェのォ? ……それはアレかしらァ、アイドルのう◯こ的なァ? 可愛い女の子はう◯こしない的なさァ」
ジズがそう聞けば首様は半ば食い気味に「阿呆か」と答え、自身の腹部に手を当てぐーるぐーるとゆっくり円を描いて撫で回す。
「そもそもう◯この殆どは死んだ細胞の集まりじゃ。そして少ない何割かが食べ物の残りじゃが、わしは神じゃ。人が生み出した概念が実体を持ったのがわしのような神であり、神に生きるの死ぬのなんて概念は無い。あるのは『そこに在る』か『そこから失くなる』かのどっちかじゃ」
完全無欠なんて有り得ない人間が生み出した「もしも」の話が広まり、やがて形を持ったのが神や仏。妖怪と呼ばれるものもそれに含まれる。
「余程人に傾いたものならまだしも、わしの細胞が死ぬ事なんて有り得んし、発汗もせんし目脂も無ければ鼻糞も無い。食らったもんも完全に吸収する。じゃからわしはう◯こせん」
「へェ〜。……ンじゃゼリ浣はァ? 半固形のゼリーを浣腸代わりにケツ穴ンぶち込まれたらどうすンのォ?」
「オホオホ言いながら綺麗なゼリーだけ放り出すじゃろうな」
「結局ア◯ル弱ェんじゃねェのさァ」
「弱くは無いぞ? 愉しむ事を求めて愉しんでおるからオホ声出してヨガっとるだけじゃ。やろうと思えばゼリーブリブリ放りながら嗤ってお主と殺し合うぐらい出来るぞい。………やってみるか?」
小首を傾げてそんな事を語る首様にジズが「……絶対ェ落ち着いて殺り合えねェから遠慮するわァ」と嘆息すると、首様は少し残念そうにしながら「そうか」と呟く。そして何か思い出したように「あそうじゃ忘れておった」と表情を戻し「チル、そろそろ風呂沸かしてこい」とチルティへ命じる。
正座をしながら目を閉じて黙っていたチルティは首様に風呂焚きを命じられるとパッと目を開き「はいなのですよ」と答える。正座の状態から爪先を動かしすっくと立ち上がったチルティは台所がある方へとよろよろ歩いて行くが、足に力が全く入らないのか右足を完全に引き摺りながら歩き、
「────ぬわっ!?」
足首をぐにっと踏み違えて派手に転けた。近くに居たフェル・ヤンが「チルティちゃん大丈夫っ!?」と声を掛けるが、ぷるぷると小さく震えていたチルティは「んふっ………んふふふふ」と必死に笑いを堪えていてフェルの言葉に返事が出来ない。
「あー………駄目なタイプの足の痺れ方をしたみたいだね」
んふんふと必死に呻くチルティを見ながらそう言ったパルヴェルトは「そろそろハニーを布団に寝かせてあげたいんだが」と言って首様を見る。
「おー、それなら適当な部屋に寝かせれば良い。押し入れがある部屋なら何処も中に布団が─────」
そこまで言って、首様は黙り込んだ。糸目を薄く開いた首様は緩やかに玉砂利敷きの境内に目を向ける。
それに釣られて『いつものメンツ』が中庭のような境内に目をやる。その後ろで足の痺れが落ち着いたチルティが尻尾の毛を逆立て倍以上の大きさまで膨らませながら頭を動かし、それを見てフェル・ヤンと白黒の双子も頭を動かす。
「───────やあ」
そこにはグレーの服を着た少年が笑いながら立っていた。
───────
異質な雰囲気を纏うその少年はゴシックドレスを着た女たちのように、見ているだけで精神を削り落とされていくような不思議な感覚に陥る。見てはいけないものを見てしまったような空気を纏ったその少年は、グレーの服のポケットに両手を入れながらにこやかに微笑んでいる。
そう、微笑んでいる。表情や佇まいだけ見れば穏やかなものだ。しかし少年が放っている空気は穏やかとは遠く、狂気に満ち溢れていた。
「──────ほう。まさかの来訪者じゃのう」
糸のように細い目を薄く開いた首様がそう喋ると、グレーの服を着た少年は中性的な声色で「想像すら出来なかったかい?」と微笑んだ。
それを聞いた首様が「想像はしておった」と答える。
「想像自体は容易に出来た。目、耳、声を奪う見た目の似通ったゴスロリ三姉妹なんぞ、ある程度の知識がある者なら根っこに何が居るか何ぞ秒で気付くわい」
「へえ? じゃあ何が『まさか』なんだろう」
「幾つかあるが…………そも貴様は自らが出向くのを嫌うんじゃあなかったか? 自らが手を下すのを好まず、手下やら何やらを使って探索者に試練を与え、その反応を愉しむのが趣味だと文献には載っておったが」
首様がそこで言葉を止めると、グレーの服を着た少年は中性的な声色で「アハハ、その事か」と口を開けて笑った。それは声色と同じように、少年にも少女にも見える中性的な笑顔だった。
「生憎と今は力が殆ど無い状態でさあ。繋がりの強い者を呼ぶぐらいが精々だったんだけど、イホウンデーを呼ぶと色々面倒だから娘を呼んだんだ。そうしたらその娘が殺された、となればもう自分が出るしか無い訳だ」
誰かの名前のようにも聞こえる単語を口にした少年がにこやかに笑いながら問い掛ける風に答えると、首様は「あーなるほどの。あーなるア◯ルじゃの」と軽口を叩く。しかしその言葉とは裏腹に、首様の表情はかなり険しく、薄く開かれた糸目の奥にある仄暗い瞳はグレーの服を着た少年を睨んだまま片時も逸らさず瞬きすらしない。首様が「では貴様の本体はどうした」と口を開けば、少年は何でも無い事のように「繋がりが弱い。余りにも弱い」と答え、首様は「なるほど」と呟く。
「ではもう一つじゃ。………貴様は確かに大成はしたが、お前別に死んでおらんじゃろう。にも関わらず何故ここに居る。この世界は別段魔王と繋がりが深い場所では無かろうし、いつぞやあった魔法少女だかのように勇者としてでは無く貴様個人で遊びに来たとも思えんのじゃが」
「勇者として呼ばれたんだよ。数多ある筋書きの中には探索者に打ち倒されるようなものもある。そこから引っ張られ、しかも寄りにも寄って打ち倒される瞬間辺りの状態を参照されたみたいでね」
「それで力が殆ど無い、という事か」
「そういう事だよ。だからこれから出来る事と言えば、精々が一人二人を殺す事ぐらいのもの。探索者を試している余裕すら殆ど無いのさ」
張り付いたような笑顔のままでそう語る少年の言葉に首様は「む?」と唸った。
「ならばどうしてわしの所までやってきた。そんな状態でわしと殺り合ったとて、得られるものは少なかろうに」
訝しむように首様がそう言うと、少年は唐突に大きく笑い始めた。
「アハハハハハハッ! バァァァカお前なんか何も興味無ぇよッ! 人に擦り寄る間抜けな同胞なんかクソが付く程興味無ぇよッ! 自惚れんのも大概にしとけってぇのォッ!」
ポケットから手を出し腹を抱えながらけたたましく嘲り笑う少年に、しかし首様は怒るような素振りは見せず、むしろどこか納得するような様子で「まあ貴様ならそうじゃろうな」と呟いた。
「そんな訳だからそこを退いてくれると助かるんだよねえ。僕が知りたいのは人の動向や思考とその果てであって、お前みたいな人外は興味無いんだ。それこそ僕やお前みたいな存在は調べれば幾らでも文献が出てきてしまう───」
「────じゃが立ち塞がった艱難辛苦に対する人間の対処は調べて出てきた通りには行かんケースばかりじゃからの。テンプレートなんぞ腐る程あるが、いざそんな局面にぶち当たったとしてマニュアル通りに動ける者は皆無に等しい。何かやっちゃいました系主人公はレア中のレアという話じゃの」
少年の言葉を遮るように口を開いた首様の言葉に、少年は「良く分かってんじゃん」と喜びを顕にした。
そんな少年を見やった首様は顎先に指を添えながら「ふむ」と鼻を鳴らすと、少ししてから「チル、下がれ」と唯一の信徒へ命令する。足の痺れなど既に治まっていたチルティ・ザ・ドッグは首様の命を受けて「はいなのですよ」と答えると、逆立ってボワボワと膨れていた尻尾を元の大きさに戻しながら首様の隣へと向かい、肩を寄り添わせるように腰を降ろした。
「わしも人間の動向には興味があったが、実際わし自らが試すのは正直面倒だと思っていた所じゃ。渡りに船というやつじゃな」
「良い判断──」
「じゃが条件がある」
少年の言葉に声を被せた首様は何事も無いかのように「わしのお家は壊すなよ」と言うと、薄く開いていた糸目を大きく開き、白目も黒目も無い仄暗い双眸で少年を見詰める。
「破ったら消す。全盛期ならばいざ知らず、終わり掛けの貴様如き秒も要らん」
少年の返事を待たず、開かれた両目を普段のように糸より細い糸目に戻した首様は「それ以外なら好きにせい」と呟く。
それを受けた少年が張り付いたような笑顔を狂ったように歪ませ「いいねえ」と笑うと、まるで中に何か住んでいるかのようにグレーの服がぼこぼこと暴れるように動き始める。
「さーあ来るぞお? さながら中ボス後の大ボス戦って所じゃなあ、心して掛かれよお」
普段と何も変わらないおちゃらけたような声色で楽しそうにそう言う首様だったが、その周りに居る者たちが感じている空気は普段のそれとは似ても似つかない異質なもの。
グレーの服の下を大きな何かが這い回っているかのように蠢かせた少年は、狂気的な笑顔のままでパカリと口を開き、嘔吐でもするかのようにその口腔から黄色い液体を溢れさせた。
「─────────」
何が起きたのかも何が起きるのかも分からないまま皆が言葉を失う。直後、黄色い粘液を滴らせた少年の口から、灰色の何かが天に向かってずるりと飛び出した。
太く長い灰色のそれはぽこっという顎の外れる軽い音を鳴らしながらも、留まる所を知らぬかのように天に向かって伸び続け、やがて少年の頬肉を引き裂きながらそそり立つ。
ずるずると音がする。服を脱ぐかのように少年の体から這い出たそれは、都合四つの頂点を持った撒き菱のような灰色の何か。
陽が沈み初め、オレンジ色に染まっていた世界に背を向けながら現れるそれは、黄色い粘液を滴らせる、灰色の粘膜に包まれた太い触手の怪物。
いや、怪物では無い。
それは塔、三本足の柱。
それは神、無貌の神。
それはついさっき創られた、知性の具現。
それは月に吠える者、アザトースの代理。
それは這い寄る混沌、ニャルラトホテプ。
決まった姿を持たないが故に、どんな姿にでも成れるという逆説的な存在。だからこそどんな事でも出来る────どんな事でも出来る姿に成る事が出来る、クトゥルフ神話に於いて最強の存在。
幽閉された旧支配者の一柱であるアザトースから分離し、唯一それから免れる事が出来たのがニャルラトホテプ。例え体を囚われても、その精神活動を囚える事はどんな存在であっても出来はしないとして数多の次元を超える事が出来る、異例かつ異質かつ異次元級の存在。
そんな三本足の柱がパルヴェルトを見詰める。目など何処にも無いはずなのに、心の奥底を見透かされるような感覚にパルヴェルトは自我が壊れてしまいそうになる。
「───────────」
ぞりぞりとヤスリで心を削られるような感覚に、パルヴェルトは全てをその場に吐き出したい衝動に駆られる。吐瀉物では無い。胃袋ごと、心臓を吐き出し口から垂れる動脈を自ら噛み千切りたい、そんな強い衝動に駆られてしまう。
分かる。手に取るように分かる。自らの精神が狂っていくのが分かる。正気が音を立てながら失われていくのが手に取るように分かる。
「───────────ぼ、ボクは」
震える事しか出来ない。首様とは違う、首折れ様とも違う、純然たる魔王の具象化。一片の慈悲も無いこの世で最も純粋な混沌を前に、彼は震える事しか出来ない。
「………ボクは───────」
声が震える。がちがちと歯が鳴る。涙が止まらない。逃げ出したい。泣いて喚いて叫びながらこの場から居なくなりたい。
それでも、
「───守るって、決めたんだ………ッ」
逃げる事だけは許さない。
例え世界が許しても、
例え神が釈しても、
例え眼前の塔が赦しても、
自分自身がそれを許さない。
腕の中で眠る想い人を抱き締める。強く、強く、抱き締める。ただ眠っているだけなら既に痛みで目覚めているだろう強い力で、まるで縋るように抱き締める。
止めどなく溢れ溢れる涙を拭きもせず、必死に嗚咽を噛みながら震え続ける。もしも彼女が居なかったら、パルヴェルト・パーヴァンシーという探索者はとっくのとうに壊れていただろう。写し絵でも何でも無い三本足の柱をその視界に収めた時点で発狂状態に入り、その辺の土か或いは強い人肉食への渇望に行動を支配されていただろう。
「逃げない……ッ! 逃げない……ッ! ボクは絶対に逃げない……ッ!」
始まりは適当だったかもしれない。何せ本当に誰でも良かったのだ。女性では自覚症状の現れない性病を世界中に蔓延させんとする底板の抜けたビッチであっても全く構いやしなかった。それでも心から愛し、守り続けると決めていた。
きっと運命だった。気付けばいつも目で追っていた。気付けばいつもその身を案じていた。
「逃げ……逃げたら……ここで、逃げたら…………───────」
鼻を啜り横隔膜を痙攣させながら叫ぶパルヴェルトは既に頭の中が真っ白だった。或いは既に発狂していて、心神喪失状態になっていたのかもしれない。
勇者だろうと愚者だろうと、ただの人が純然たる邪神を前に自我を保つ事など到底不可能な話なのかもしれない。
だからこそ今のパルヴェルトは無意識に泣き叫んでいた。
「────笑われてしまうッ! ハニーに笑われてしまうッ! 親友に笑われてしまうッ! それだけは嫌だ───ッ!」
だからこそ────、
「|シェケナベイベェ《Shake it now baby》ェェェェェェエエエエエエエエエエエッッ!!!」
────人では無い少女は意識して雄叫びを上げる事が出来た。
神は人が生み出した産物。
人の想像が形を持ち、信仰心を糧にその姿を世界に留めたのが神。
同様に悪魔も人が生み出した幻想の存在。
全人類の人の足元に這い寄り、その精神を混沌に誘おうとも、概念的存在である悪魔はそう簡単に堕ちはしない。
「ぅるゥァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアア─────ッッ!!!」
幾らか前にされたそれのように、ああまさしく喉よ裂けろと言わんばかりに太く大きく力強く叫んだジズが三本足の柱へ猛進、先端が三叉に分かれた特徴的な尻尾を握り締め鉄球のように振り払った。
自分の力で倒せるとは思っていない。仲間を守ろうだなんて気も無い。愚者が減ると母国が不利になっていくというような戦略戦術的思考なんて以ての外だ。
倒せるかもしれないなんて考えも無い。一秒間に何人が死んでいるか厳密に数える事すら出来ないような世界に於いて、次の瞬間には自分が雷に撃たれて死んだとしてもおかしくないようなこの世界で、邪神を相手に『かもしれない』だなんて考える程ジズは甘ったれでは無い。
気に食わない。
ただ気に食わない。
ああ心底気に食わない。
道端に溢れる砂粒のように、戸棚の上の埃のように、当たり前に吸い込み吐き出す空気のように、自分には意識の断片すら寄越さないそいつがひたすら気に食わない。
自らより圧倒的に強い存在を前にして、何も出来ずに黙って震えている事が気に食わない。
許さない。
それは許さない。
それだけは許さない。
「こっち見ろやタコ焼きがァァァァアアアアアア─────ッ!」
月に吠える無貌の神。黄色い粘液に塗れてうねる灰色の柱に向かって叫ぶルーナティアの悪魔は、まさしく混沌に吠える者。
その特徴的な尻尾は、しかし当然の如く三本足の柱を折る事は出来なかった。
三本足の柱の、天を貫く灰色の塔にも見える部分に一筋の赤い線が描かれる。その線は血のような深紅の液体を滴らせながら上下にパカリと開く。
「────お前に興味は無い」
脳の奥に響くような少年の声がするのと同時、灰色の塔から木の枝のように細い腕が伸び出す。
骨と皮だけのような細い腕が埃を払うように緩く振るわれると、途端、まるで突風に巻かれたようにジズの体が真後ろへと吹き飛んだ。
「─────うォッ!?」
背中から後ろに回転するようにグォンと強く吹き飛ばされたジズは身動ぎ一つ取る余裕も無く玉砂利に体を擦るが、その勢いに負けてバウンドしたジズを大きな太い四本の指が優しく包み込むように受け止めた。
「─────お怪我はございませんか。あっても治療してる余裕は無さそうですが」
トリカトリ・アラム。身長三メートルを超える、四本指のルーナティア人。
彼女もまた人外の存在。人では無いが故に、人を混沌に誘う邪神を前にしながらも自我を失わずに済んでいた。
戦闘が始まればすぐに殺意に呑まれる狂戦士ではあるが、現在のトリカトリは戦闘に混ざっていはいない。戦闘している者たちを前にしているだけであり、殺意に呑まれてはいなかった。
「………やァん生まれて初めてのお姫様抱っこォ。バージン奪ったようなもンなんだし当然責任取ってくれるわよねェ? 責任取らなきゃ卵管ぶっ千切ってやるンだからァ」
「生憎レズビアンでは無いのでお付き合いはしてあげられませんが、ク◯ニぐらいなら嫌々渋々クソ程文句言いながらして差し上げますよ」
「マジでェ? もしかしたら今度頼むかもしれないからよろ乳首ィ。めっちゃ潮吹いてベッドの上で溺死させてあげるわァ」
「そもそも片手で持っているだけなので抱っこと呼べるか怪しい所ですけれどね。……お姫様持ち? お姫様……キャッチ?」
「言われてみりゃァその通りじゃァん。やっぱ今度頼むのやめるわァ、期待させて御免ねェ」
「端から期待しておりませんのでご安心を」
大きな手のひらでジズを持ったトリカトリは、大きな体躯に似合わず機敏に飛び退り、
「───────ぁ」
涙を流して震えながらも、それでも想い人を必死に守ろうと諦めない青年を守るように、青年と三本足の塔の間に割り込んだ。
「少し見直しましたわパルヴェルト様、フ◯ラぐらいなら嫌々渋々クソ程文句言いながらして差し上げても良いかなって思うぐらいには見直しましたよ。思うだけで実際には土下座されてもしませんけどね」
「アタシもよォ。………アタシはちょっと気になってる男居っから手コキ所か見抜きもさせてあげないけどねェ」
「気になる男って……それタクト様でしょう? ボカす必要あるんですか?」
「え何で分かンのォ? あれ言った事あったっけェ?」
驚いた様子でそう言うジズに、トリカトリは呆れ果てたように眉根を下げながら大きく溜息を吐く。
「今日の日中に「気になってる」って明言しておりますし、そうでなくともジズ様のお部屋をお掃除してるのはお城のメイドで、私はそのメイドたちと沢山会話出来る立場ですよ」
「いやそれは知ってっけどォ。……まァ時々忘れてメイドのコスプレに思う事もあっけどさァ」
「……ジズ様のお部屋のお人形、タクト様のだけ少々汚れが目立ちますよ。布ものをお股に擦り付けるのはシミが深くなりやすいので控えた方がよろしいかと」
「な─────ッ!?」
その言葉を聞いたジズはそれだけで全てを悟り、気怠げな半目をくわっと見開いた。かと思うとどんどん顔を真っ赤にしていき、ジズはトリカトリの大きな手の中で足を抱えて丸くなる。それを見たトリカトリは小さく「ほらやっぱり」と呟いた。
「そうでなくてもジズ様は一人でシてる時の声おっきいんですから。お股にお人形擦り付けるのは構いませんが、何か布でも噛んで声を我慢した方が良いかもしれませんよ。布が無ければ私のお人形を噛んでも怒りま───」
「………言わないでェ……もう許して……ェ」
掠れた声で泣きそうに呻くジズに、トリカトリは天を仰ぎながら「は〜ぁ」と大きく息を吐いた。
「…………………嗚呼───」
『いつも』と何も変わらない様子で喋り合う二人を見たパルヴェルトは、気付けば涙が止まっていた。
───ボクは大丈夫だ。みんなが居る限りボクは大丈夫だ。
抱き締めていた両腕の力を緩めると、想い人の寝顔が視界に入る。その頬に顎先から涙がぽたりと垂れ落ち、酸化して乾いた黒い血痕を緩やかに溶かす。
やがてそれは赤茶色の涙のように流れていった。
「…………助けてくれて、ありがとう。………お礼に、キミの恋を心から応援しよう」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で微笑んだパルヴェルトにジズは丸くなったまま「………うっせェまだ確定じゃねェし」と呻き、それを見たトリカトリは青年に釣られたように穏やかに笑った。
そんな様子を眺めていた三本足の柱は思案するように三本足をくねらせる。
────やはり人間は面白い。
狂気と絶望の狭間に落とされながらも恋心一つで自我を保ち、友人二人の会話を聞いただけで理性を取り戻すまでに至った。まっこと人とは面白い。何が起こるか何を起こすか予測すら付きやしない。
その人間の様子を見る限り、場合によっては神に立ち塞がらんと剣を取る可能性すら有る。正気を失わない人外二人を相手にしながら、いずれ立ち上がるだろう人間にすら警戒する程の余裕は、腹立たしい事に今の三本足の柱には無かった。
ならば他の人間を持っていこうと、三本足の柱は体をくねらせ標的を変更した。
「─────────ッ!?」
目なんて何処にも無いはずなのに、深層心理の奥底まで見透かされるような感覚にフェル・ヤンが大きく震え出す。
「───ぉっ──ぉぼ」
左胸をギュッと握るように手で押さえながら震えるフェル・ヤンは、余りの狂気に晒されその場で膝を折ってしゃがみ込み即座に嘔吐してしまった。鼻の奥が灼けるように熱くなり、逆流した吐瀉物が鼻の下を垂れていく。口の中いっぱいに強い酸味が広がり、その味に何度も嘔吐いたフェル・ヤンは板張りの縁側に胃の中身を全てぶちまけてしまった。
直前に食べた黄色いお菓子の断片が、胃液を吸って濡れたスポンジ生地が撒き散らされる。鼻を突く臭いに再び嘔吐すれば、黄色いお菓子の中に詰まっていた白いクリームだったものが胃液に混ざって茶色になりながら床に広がっていく。
しかしそれでも吐き足りない。まだまだ吐き足りない。嘔吐感はいつまでも消えない。
「はぁ────ッ! はぁ────ッ!」
呼吸が乱れていく。左胸に当てた手を握る力が増し、爪が布を割いて皮膚に食い込む感覚がする。
しかし止められない。止める余裕が無い。今のフェル・ヤンに出来る事は、混沌の権化に睨まれながら怯える事ぐらいだった。
ただの人間であるフェル・ヤンに出来る事はそれだけ。
「「お母さんを虐めるなァ──────ッ!」」
故にただの人間では無い白黒の子供が、親の代わりに三本足の柱に向けて突貫する。一人でありながら二人の声が重なって聞こえるその子供は、武器も何も持っていないにも関わらず躊躇い無く灰色の柱に向けて突撃した。
「─────む?」
その姿を見た三本足の柱が不思議そうに呻き、木の枝のように細いその手を振るうが、
「─────くァッ!?」
呻きながら真後ろに吹き飛んだのは一人だけ。ずるりと分裂するように飛んでいったパイ・ヤンがジャリッと玉砂利を鳴らしながら地面を転がっていくが、ヘイ・ヤンは何も変わらず宙を駆けて柱に肉薄する。
「────────面白いな」
しかし木の枝のように細いもう一本の腕を振るった柱によって、同じようにヘイ・ヤンも吹き飛ばされた。
ごろごろと転がっていくヘイ・ヤンは、慌てて起き上がったパイ・ヤンによって抱き留められ、そのままずるりと合体するように溶け合わさり一人の子供に変わる。
「……人だな。魂は人のものだ。だが体は人では無い。フェアリーが近いか…………───面白いな」
荒く息を吐いた白黒の子供の顔は、もはや人のそれとは程遠い。既に人の魂は焼き切れて発狂しているが、しかし世界に溢れる精霊の魔力によって形を得たその体に引っ張られ異常と通常の狭間に居た。
その瞳は虫の複眼のように真っ黒であり、荒く呼吸をする口元は肉食昆虫の鋏角のような部位が飛び出している。
「生み出したのは………あれか」
虫のような姿になり始めている白黒の双子を生み出しながら、しかし産む事が出来なかったフェル・ヤンを見た三本足の柱は興味深げにその三本足をくねらせるが、
「「お母さんを見るなァァァァァァ────ッ!」」
再び猛進した白黒の双子が虫の鉤爪のように鋭く尖った指を三本足の柱に向けて突き出し、粘膜のようなその皮膚を切り裂こうとする。
「────どうなるか。どうするか。楽しみだ」
それに向けて枝のように細い腕を振るえば、再びパイ・ヤンだけ吹き飛んでいく。
直後、太い触手のような灰色の触手をくねらせた三本足の柱が丸太のようなその触手で、ヘイ・ヤンを容赦無く叩き潰した。
「───────ゲぁ」
「ッ!?」
カエルのような呻き声の中に混じる濁った粉砕音に、床を見ながら嘔吐を続けていたフェル・ヤンがはっとなる。吐瀉物で汚れた顔を慌てて顔を上げれば、兄妹の敵討ちが如く特攻したパイ・ヤンが同じように灰色の丸太に圧し潰される瞬間だった。
この距離では二人の子供が倒れているだけにしか見えない。だがそれを見たフェル・ヤンは直感した。
もう心臓は動いていない。折れた肋骨に引き裂かれ、丸太のように太い触手で叩き潰された心臓は、もうどうやったって動きようが無い。
「─────あ、」
涙が出そうになった。叫びたくなった。ヒステリックに泣きじゃくって、何もかもを壊してしまいたい衝動に駆られた。
「──────ッぐぅゥゥウウウ」
だがフェル・ヤンは歯を食い縛って堪えた。
胸の奥、魂が熱く燃え滾るような感覚がした。
そして低く唸るように、世界に向けて力強く宣言する。
「───あなたの分まで、私が生きる───」
その言葉を聞いたパイとヘイがむくりと起き上がった。発狂して怒りに任せた先程までの様子とは違う、どこか冷静さを感じる氷のように冷えた空気を纏った二人の子供は、まるで操り人形かのようにも見えるぎこちない様子で三本足の柱への攻撃を再開した。
「──────ほうっ?」
その姿を見た三本足の柱が喜びの混ざった声を響かせる。それまでとは違い、軽くあしらうような動きで双子の攻撃をいなし続ける三本足の柱は、しかしもう既に双子には何も興味を持っていなかった。
「フゥ───ッ! フゥ───ッ! フゥ───ッ!」
獲物を襲う獣のように荒々しく呼吸するフェル・ヤンは、左胸をギュッと握るように押さえながら三本足の柱を睨み付けていた。
力強く食い縛られていた歯の隙間から、吐瀉物に混ざった血が流れ出す。鼻から流れ始めるドス黒い血は留まる様子を見せず、耳から垂れた漆黒の血が服の肩口を濡らしていく。
「うううううウウウゥゥゥゥゥ────ッ!」
左胸を握るように押さえ付けたその手の奥から強い振動が伝わってくる。ドドドッドドドッという低く響くような三つの鼓動は、フェル・ヤンの体を大きく揺らしながら徐々に強くなっていく。
それはフェル・ヤンの法度による、半ば副作用のような鼓動。
フェル・ヤンが適応させた法度は『我が子の代わりに、自らの心臓を動かす』というもの。その効果はただそれだけのものだが、その効果によって二人の『我が子』は今も生きている。胸部を叩き潰され折れた肋骨に内臓を引き裂かれた子供がまともな意識で居られる道理は無かったが、それでも双子は無意識に母を守ろうと懸命に体を動かしている。
だがそんな心臓の動きに、体が耐え切れる道理は何処にも無かった。
通常の心臓の鼓動ですら自身の体が小さく揺れる程に強い力で血を動かしている所に、激しく動く子供二人分の心拍数が全くの別枠で加われば血管は容易に張り裂ける。既に全身の様々な血管は強過ぎる圧力に耐えれず千切れており、フェル・ヤンの頭の中は脳漿よりも溢れ出た血の方が多いような程にまでなっていた。
「うゔゔヴヴヴヴヴヴヴヴヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ──────ッ!」
しかし耐える。耐え続ける。ルーナティアに呼び出されてからの事が走馬灯のように脳裏を駆け抜けていく。
だが何も考えられない。どんな走馬灯を見せ付けられても、今のフェル・ヤンには『死んで欲しくない』という気持ちしか無かった。
強過ぎる力に耐えられなくなった歯が折れて歪み、頬肉が断裂していくぷちぷちという音が鳴る。
目から止めどなく溢れる血は、既に泣く事すら叶わなくなった子供たちの代わりに泣いているかのようにも見えた。全身の穴という穴から血を流すフェル・ヤンは通常であればとっくに死んでいるような状態でありながらも、それでも懸命に耐え続けていた。
生きる事が出来なくなった我が子の代わりに生きる。
そう宣言した。世界に、我が子に、────自分に。
一秒でも長く生きる。自分が死ねば、それは我が子も死ぬという事。
死ねない。
死ねる訳が無い。
死んで溜まるか。
生きる。
生きるから。
生き続けるから。
─────だから、生きて。
「──────────」
フェルの両目がぐるりと上を向く。力強く握り締められたその手が左胸から離れると、だらりと力無く垂れ落ちていった。そして先程までの力強さを失った両手に合わせ、フェル・ヤンは顔から床に激突した。
木張りの床と前歯がガツンとぶつかる音が鳴り響くが、もうフェルは呻く事すら無く、膝を立て尻を突き出しながら顔を床に押し付けたフェルは、三連符を鳴らすように大きく体を痙攣させる以外に何も動かない。その振動が徐々に収まっていくのに合わせ顔が押し付けられた板張りの縁側に赤い水溜りが広がっていき、その広がりが止まるとフェルの着ていた服の股間が黒く滲む。すると筋肉による制御を失った膀胱から溢れ出した尿がじょぼじょぼと板張りの縁側に垂れ黒い染みを作っていった。
文字通り生ける屍のような双子の攻撃が徐々に弱まっていく。次第に歩く事すらままならなくなった双子は小石に躓いたかのように転び、そのままぴくりともしなくなった。
「───ふふ」
その壮絶な最期に誰もが言葉を失う中、三本足の柱が脳に響くような声で笑い始めた。
「ふふフフフハハハハハハハッ! 面白いッ! これだから人間は面白いッ! 楽しませてくれるッ!」
心の底から喜び笑う三本足の柱に、しかし同調出来る者はこの場に居ない。灰色をひた丸太のように太い三本足の柱をくねらせた混沌が遺された者たちに目線を向ける。
「楽しませてくれるんだよ。人間は。今も。昔も。これからも。そうだろう? 今度はどんな最期を見せてくれるのか」
狂喜に満ちた声色に一人の人間と二人の人外が身を強張らせる。
「どんな終わり方で楽しませてくれるのか、今から既に楽しみだ! ああ楽しみだっ! 精々愉しませ────」
と、脳に響くような声で叫ぶ三本足の柱の、天を貫くかのような塔の真ん中辺りから突然赤黒い手が突き出した。
その手はどろりと溶けるように赤黒い液体を滴らせると、周りの肉を巻き込むように握られながら灰色の塔の中に戻っていく。するとその爪があった部分に、ぽっかり小さな穴が開いた。
「─────へえ?」
三本足の柱が面白そうに笑うと、ぽっかり開いた穴の奥で、裂けそうな程に口角を吊り上げた男が鼻を鳴らすように「ふふふ」と笑う。
「楽しめたかい? ああ答えは分かっている言わずもがなだ語るのは野暮ってもんだが敢えて答えを語るなら『愉しめたよありがとうジェヴォーダン』だ」
白いスーツの右袖を赤黒く塗り替えた男はが低い声が「そうだろ? 代理人」と笑う。
「………お前はあっちに行くとばかり思っていたんだけどな。どうしてこっちに来た。しかも何故僕を狙う」
灰色の粘膜のような皮膚からじわじわと黄色い粘液を滴らせ始めた三本足の柱が納得のいかないような声色で白スーツの男に問い掛けると、白スーツの男は「はあ?」と素っ頓狂な声を発しながら首を傾げる。
「おいおいおいおい代理人それは君の勘違いだろう。帝国の連中を選ぶだって? そんな言葉僕は言った記憶が無いんだがもし言ったとすれば教えておくれよ僕がいつどこで何時何分地球が何回回った時に言ったのか君の口から教えて貰いたいよ代理人! まあ仮に言っていたとしても「やっぱやめただけ」と返すだろうがねHahahahaha!」
不満げな顔をしながら小学生のような事を言い出した白スーツの男は、引き抜く際に千切り取った肉片を口に放り込んで咀嚼する。赤黒い血が白いスーツを汚していくが、むぐむぐと口を動かし混沌の欠片を喰らう男は服が汚れる事なんて気にする素振りも見せない。
やがてごくんと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ白スーツの男は何でも無いかのように「まあそんな事を言う余力なんて無いか」と言うと、赤黒く塗り替えられた未腕を横に振り払う。
「──────これだから人以外は嫌いなんだ。全く、詰まらない終わりばかり押し付けてくれる」
輪切りにされた三つの肉片を残して引き裂かれた三本足の柱は、不満を隠しもしない声で誰にとも無く呟き溶け出していく。やがて黄色い粘液だけになったそれは、霧のような煙となって微風に巻かれて消えていった。
それを見据えた白スーツの男は、帽子も無いのに帽子のつばを抓むような仕草をしながら腰を曲げ「そんな訳でこれにて幕切れさぁ!」と叫んで礼をする。
「本当ならここで僕が『奴は四天王の中でも最弱』とかそんなような事を言って二試合目と洒落込みたい所なんだが申し訳無い事に僕はこれでも多忙の身でね。この後もその後もノンケの尻穴のように予定がキツキツに詰まっていて大変なんだ! いやぶっちゃけもう既に遅刻ではあるんだけれど今ならまだ何とかセーフぐらいには間に合わせる事が出来るギリギリのラインに居るんだそんな訳で本当に申し訳無いねえ! あでもきっと許してくれるはずだと僕は信じているよだって君らは優しいからね!」
聞いてもいない事を勝手に喋り出すオタクより遥かに早い口調でまくし立てた白スーツの男は、妙にテンションの高い外人のように大仰な身振り手振りをしながらくるくると表情を変えていく。
「要するに僕の目的はもう済んでしまったからここから去って別件に向かって奔走しなきゃいけない訳なんだああ違うよ別に代理人を殺す事が目的では無い正直似たようなもんだとは思うけれどね! それは飽くまで過程とか何とかまあそういう感じのであって本命の目的では無いんだよ代理人が生きていたとしても僕は変わらずここから去っていっただろうからね!」
かなりの肺活量を持っているのか長々と喋り続けた白スーツの男は、呆然とした様子で自身を眺める者たちの反応には目もくれず「それじゃあ僕はカッコ良く去るよアデューッ!」と叫ぶと溶けるように体が崩れ、影よりも暗い真っ黒な液体になる。音一つ立てず染み込まれるようにして玉砂利に吸い込まれていったそれは、やがて小さな円になり、小さな点になり、そのまま跡形も無く消えてしまった。
「…………何だったのかしらねェ」
呆れたようにジズが呟くと、まるで裏切りのように傍観者になっていた首様が「えっこいしょ」と声を出しながら立ち上がる。そして横に座っていたチルティ・ザ・ドッグに「チル、風呂より先に飯の支度じゃ、分かっておるじゃろうがの」と声を掛けると、チルティは「はいなのですよ」と変わらぬ様子で返事をし同じように立ち上がる。
「ではわしはこれから飯を食う。じゃからお主ら今日はもう帰ると良い」
呆然とする三人にいつもと変わらぬ糸目を向けた首様は、やはりいつもと対して変わらない声色で一方的にそう言い放つ。その後ろを、冷たくなり始めたフェル・ヤンの足を引き摺ったチルティが足早にとことこと歩いていき、やがて台所のある方向へ向かって去っていく。
かと思えばチルティはすぐに戻ってきて、玉砂利の上で死んでいる双子の両足を掴むと、同じように引き摺りながら、同じように台所の方へと足早に向かっていく。そしてそのままチルティは戻って来なくなった。
「ほれさっさと帰らんか。わしは腹が減っとるんじゃ。まさか帰る気が無いとか疲れて休みたいとか言うつもりじゃあるまいな」
苛立ち混じりになり始めた首様がそう問えば、困惑を隠せない様子のトリカトリが「……い、いえ急展開過ぎてその、状況が良く分からなくて───」と口を開く。しかし首様はトリカトリの言葉を最後まで聞く事はせず「それなら帰れ。場所は城の中庭で良いな」と言ってパチンと指を鳴らす。
するとその場に居たはずの四人の姿が唐突に掻き消え、そこはまるで最初から首様一人だけだったかのような静けさが広がった。
青紫色が混じり始めたオレンジの空を見る首様は、しかし直前に苛立っていた事など忘れたかのような笑顔を浮かべる。
「はー飯じゃ飯。何年ぶりかのう。超久々の飯じゃ腹減ったのう」
喜びを隠せないうきうきとした足取りで歩き出す首様は、チルティがしていたのと同じように台所へ向かって足早に歩き去っていった。




