伊藤さん家
「これがかの有名な『ラッキースケベ』ってやつかあ」
羅羽羅はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。
「これが『ラッキースケベ』なんですね!」
日美々が目を輝かせながら、それでも視線は動すことなく反応する。
(これも『ラッキースケベ』っていうのか?)
明狼の知る『ラッキースケベ』とは真逆の展開である。
(いや、でも男性側だけが良い思いするとも限らないか? これがにみにとって良い思いなのかもわからないけど)
そんな風に思い直していた明狼だが、脳内の自分につっこむ。
(いやいや、どうせこれも羅羽羅の仕業に違いないんだから、『ラッキー』でもなんでもないだろ)
脱衣所のドアのカギは簡易的なものであり、開けようと思えば、外から開けることなど造作もないが、それでも施錠は施錠である。明狼としては、ドアが開かないという状況で、中に人がいると判断してもらうつもりだったのだ。
しかしおそらく、明狼がシャワーを浴びている間に、羅羽羅が解錠しておいたのだろう。日美々は何の警戒も躊躇いもなくドアを開け、裸の明狼とご対面する状況になったわけだ。
たまたま明狼が全身を開陳――『開陳』には「裸体をさらけ出す」という意味はございませんので悪しからず――していたタイミングだっただけで、さすがにそこまで狙ったわけではないだろうが、いずれにせよこの状況は、羅羽羅の作為的なもので、『ラッキー』でもなんでもなさそうだった。
「にみたん。そろそろめいろを解放してあげて」
日美々に拘束されている訳では無いが、明狼の一部分に釘付けになっている日美々の視線に、明狼自身が釘付けにされているような状況なので、間違いとも言えないだろう。
「えー」
しかし、日美々は不満気に発する。
「らうらさんだって見てたいんじゃないですか?」
日美々が羅羽羅に訊く。
「私は十分に堪能したからな」
何故か誇らしげに胸を張る羅羽羅。
「ぐぬぬ」
日美々は唇を噛んで悔しそうにしている。
(ぐぬぬって声出す人、本当にいるんだな……)
明狼が現実逃避気味にそんなことを思っていた。
羅羽羅の発言に、何故かわからないが、明狼に止め処無く羞恥心が溢れ出してきており、その上更にこの状態である。それも仕方ないことだろう。
「にみたんも今度ゆっくり見たらいいだろう?」
「あー……うん。わかりました」
日美々は何を想像したのか、悔しそうな姿は霧散し、幸せそうな表情を浮かべ、手を頬に添え体をくねらせている。
「という訳でめいろ、私たちのお風呂の時間だから、早く着替えて出ていって」
「どういう訳だよ……」
そんな呟きも虚しく、理不尽に脱衣所を追い立てられる明狼だった。
――明狼が脱衣所で日美々に全裸を晒した翌日。
明狼は日美々を伴って、世界が一変したあの日、ダンジョン化したと羅羽羅に教わった、「伊藤さん家」に向かっていた。
羅羽羅の説明によると、どうやら「伊藤さん家」とは、あの異形と化した男――日美々に言わせればストーカー野郎――伊藤留義統の家だという。
何故それを羅羽羅が知っているのかと明狼が訊ねると、「私なんだから当然でしょ?」と返ってきた。
それはまあそうかと納得した明狼だったが、羅羽羅が見たというSNSをサーチしてみると、それらしきものは「この家から変な音がした。なんか変な雰囲気漂ってるし」という、家の画像付きの一件だけだった。
しかもそれは世界中にダンジョンが現れたタイミングであり、もっと衝撃的な映像、画像、報告、実況がいくらでも転がっていて、ほとんど人目に触れることなく埋もれていた。
羅羽羅はどうしてコレにたどり着いたのか、どうしてコレを見てダンジョン化したと思ったのか、明狼にはわからないことだらけだったが、これまでの人生経験の結果、「羅羽羅だから」で済ませることにした。
「私の警戒網に、怪しいニオイが滲み出ていた男が引っ掛かったから、密かにマークしてて。
あんなことになった訳だし、私の警戒網も見る目も大したものでしょ?
なんにせよ、あいつは普通の人間だったのは間違いなくて、それがああなったということは、めいろにとっての私みたいな存在が背後にいるはずだから、それを探ってきて。
大丈夫。お父さんには伝えてあるし、許可も出てるから! じゃあよろしく!」
と、明狼は羅羽羅に捲し立てられ、今に至っている。
「うーん……」
「どうしたのめいろくん?」
明狼と手を繋ぎながら歩く日美々が、明狼の顔を覗き込むように見る。
「いやなんか、平和だなあと」
「らうらさんの事かと思ったけど、違うんだ?」
「それは一旦置いとく。考えてもわかんないし」
「それで平和なことに悩んでいると」
「こんなことになった割に、あまりにも普通に受け入れてるなあと」
昨日の買い物の際にも明狼は思っていたことだが、SNSを検索して改めて感じていた。
――人々が落ち着きすぎていると。得体の知れないモンスターが現れ、画像に、動画に数多く残され、疑いようのない存在となったにも関わらず、普通の日常を過ごしているのだ。
「まあ、それだけ人類が強いってことかもね」
「たしかにそうかも」
微塵も納得していない表情で、そう答えた明狼の視界に、SNSで見たままの家の姿を捉える。
――ダンジョン化したという「伊藤さん家」が、不気味な雰囲気を湛え、まるで明狼たちを待ち構えているようだった。




