一目散に逃げるが勝ち
明狼が音もなく――派手に動いたにもかかわらず――誰にも気付かれることなく日美々を連れて教室から抜け出す。
おじいちゃん先生は、教室内の異変に気付くことなく睡眠導入呪文を唱え続けているが、席に着いていた生徒たちも、いつの間にか現れたゴブリンたちも、時間が止まったかのように状況が把握できず固まっていた。
そんな中、真っ先に動いたのはゴブリンたちだった。
ゴブリンにとって現状把握を後回しにした。
一体は本能にしたがい目の前の人間――呪文を唱え続けるおじいちゃん先生――を攻撃するべく手に持っていた剣を振り上げ、別の一体は杖のようなものを掲げ、最後の一体が弓を引き絞った。
(えっ? えええええ?)
気持ち悪い見た目のナニカが教室内に現れたと同時に隣の席の男子、明狼に手を引かれた日美々は、声にならない叫びを上げていた。
明狼は日美々の困惑など意にも介さず、日美々をまるで布切れのようになびかせながら駆ける。
強引に引っ張られている日美々だったが、特に抗う様子もなく――どころか、手を繋いでいる状況に浸っているように見える――為すがまま全てを委ねる。
(前の時とはちょっと違うけど、めいろくんの手あったかいなあ)
日美々がそんな現状にまったくそぐわないことを思ったところで、日美々を引っ張りながら明狼が廊下を曲がる。
曲がった先に明狼と日美々が見たのは、先ほど教室に現れたものと同じ、剣や杖を手にした得体の知れない存在――ゴブリンたちだった。
ゴブリンを視界に入れてもなお、明狼は止まらない。
ゴブリンも明狼を発見し各々得物を構える。と同時に明狼が右手――日美々の手を引いていない方――をゴブリンに向けて突き出す。
それだけで手前に位置していた剣のゴブリンの体が真っ二つに割けた。
(めいろくんの魔法かなあ。 さすがめいろくん。強いしカッコいい!)
平然と明狼の魔法を受け入れ惚れ直している日美々ではあるが、この世界に魔法なんてものは存在しないはずのものだ。ゴブリンの出現とともにその世界の理が再構築され、これからはありふれたものとなる可能性はあるが。
日美々が明狼の魔法をあっさり受け入れたのには2つの理由があった。
一つはそもそも明狼が魔法――らしきもの――を使えることを知っていたこと。もう一つは日美々自身も――明狼とは違う形で――この世界には異質の存在だったからだ。
(アレをあっさり倒せるってことは、教室に現れたヤツも簡単に倒せたってことだよね?)
一刀両断されたゴブリン――いつの間にか残りのヤツらも真っ二つになっていた上に、さらに何か魔法を施したのか、その存在がおぼろげになっている――を横目に日美々は思う。
(めいろくんはこうなることを知ってたのかな? じゃなきゃなにか不測の事態が起きた時にはいつでも逃げるつもりでいたのかな? それともとにかく私を助けたかったのかな? そうだと嬉しいんだけどなあ)
日美々は頬を染めた。
実際のところ、明狼は自身の都合を優先してクラスメイトを見捨てたわけで、日美々もそれに気付いている。そこに日美々が嫌悪感を抱いていないのは、明狼への想いゆえにというわけではなく――もちろんそれもあるが――日美々もまた自身の都合を優先して他者と深く関わらないように生きてきた同類だからだ。
日美々は明狼に引っ張られ、あまり使われることのない校舎僻地の階段を駆け上がる。
(どこに向かってるんだろ?)
明狼が普段使う校舎出入口に向かっていないことは日美々もわかっていたが、それでも学校から出るために下に向かうと思っていた。
(混乱のどさくさに紛れて私と2人きりになりたかった、とか?)
引かれてない手を頬に当て頭を振る日美々の表情と仕草からは、まるで「いや~ん」という効果音が聞こえてくるようだ。
階段の踊り場や、その先の廊下にいたゴブリンたちも一瞬で倒し、明狼は男子トイレに飛び込むように入り、手前の個室に日美々を押し込むようにして入った。
狭い個室にうら若い男女2人きりである。
(え? こんなところで??? やっぱりそういうことなの? 雰囲気もなにもないし、衛生的にもアレだけど……でもでもめいろくんが望むのなら……いやでもでも)
日美々は顔を真っ赤にしながら明狼の顔を見つめる。
「何も言わずこんなところに連れてきてごめん」
ようやく明狼が口を開いた。
「めいろくんがどうしてもって言うなら私は全然だいじょぶ!」
「とにかく早く学校から出るべきだと思うから、とりあえず悪いんだが一緒に家に来てもらっていいか?」
ここまで強引に連れてきておいて明狼は日美々にそう訊く。
「え? めいろくん家? 今から?」
「うん」
「ここから?」
「うん。ここから家に飛べるように繋いである」
「魔法でワープする?」
「うん。人間を瞬間移動させるのって難しくて、予め設定しておく必要があって」
「でも、心の準備とか身だしなみとか……あ! 手土産とか用意しなきゃ――」
「ごめん」
ぶつぶつ呟き続けそうな日美々をさえぎるようにそう言って、明狼は日美々を抱き寄せる。
「え!?」
突然の明狼からの抱擁に、言葉にならない声を発してしまうが、日美々は明狼に体を預ける。
(めいろくんのにおい……)
恍惚とした表情で日美々は明狼の胸に顔をうずめた瞬間、明狼と日美々は校舎から姿を消した。