益体もない空想に浸る
芽緒は、いわゆる「恋愛モノ」の、漫画やドラマが苦手だった。
女性向けにしろ男性向けにしろ、主人公は大抵、見た目に平凡な人物というタグ付けがなされる。
それが、読者や視聴者に共感を覚えさせ、感情移入させやすくするためのものなのだろう。
しかし、平凡というカテゴリにくくられる主人公の容姿は、けして平凡ではなく――むしろ美少女やイケメンにくくられる存在であることも少なくない。
見た目も悪くない主人公の彼女彼らは、その勇気や心意気や人間性で、ヒロインの心を揺さぶり、彼女彼らを魅力的に表現し、惹かれさせていくのだろう。
芽緒は、自らの心根の悪さからだろうとわかっていても、そんな主人公の彼女彼らに自らを投影することもできなかったし、強くのめり込むこともできなかった。
自らの容姿に惹かれる人間がいるとも思えないし、自らの人間性が他人の心を揺さぶることなんて不可能としか思えなかった。
しかし、主人公に自らを投影しなくても、楽しめる物語はいくらでもある。
芽緒にとって、こういう主人公が受け入れ難い、というだけでは「恋愛モノ」が苦手というには足りていなかった。
「恋愛モノ」が目指す結末は、「ひとりとひとり」が好き合うという関係性だろう。それはおそらく現代の倫理観に基づいてのものだ。
ひとりしか選べない。ひとりを選ばなければならない。
そこに葛藤や苦悩を持たせるために、魅力的なライバルが産み出される。
魅力の皆無なライバルでは、登場人物からも、読者や視聴者からも見向きもされなく、葛藤もなにも生まれない。
ストーリーを展開させ、登場人物に葛藤させるために魅力的なライバルが産み出され、想いが成就しないまま退場させられる。
芽緒にとっては、それが理不尽に思えて仕方なかった。
もしも、ひとりと複数人で恋愛するのが当たり前な価値観だったとしたら、ライバルとして登場した彼女、彼らは幸せになれたのだろうか?
もしも、自分が同じ立場だったらどんな思いを抱くのだろうか?
もちろん、自分が「恋愛モノ」の主役になれるはずもなく、それどころかライバル役にすらなれないだろう。
否が応でも視界に入り込む、加池明狼と小唄日美々の世界に、自分の役割があるとしたら、端に映り込むクラスメイトのひとりが精々だろうと芽緒は思う。
もし、一夫多妻的な価値観が一般的なものだとして、運良く十番目くらいの恋人となれたとしたら、それは自分にとって幸せなのだろうか?
それとも、存在するかもわからない、自分だけを愛してくれる人との出会いを求め続けるほうが幸せなのだろうか?
そんな答えの出ない、益体もない空想に耽っていた芽緒は、想い人――加池明狼に視線を飛ばす。
授業の真っ只中ではあったが、加池明狼も心ここにあらずという様子であったし、自分も授業に集中していないことも仕方ないことだろうと、芽緒は自らに言い訳をする。
(はあ……)
現実の世界に意識を戻した芽緒は、この授業はあとどのくらい続くのだろうかと、壁に掛けられたアナログ時計を見る。
芽緒は、もう少しで授業も終わると、教壇に視線を落とすと、異形の怪物がなにもなかった所に、ふっと湧くように現れた。
ソレは、ゴブリンと呼ばれるモンスター。
片手で扱えそうな両刃の剣を持つモノと、アニメやゲームで見る、魔法使いが持つような杖を持つモノと、弓を持つモノの三体のゴブリンが突如として現れた。
しかし、芽緒の眼が捉えたのはゴブリンではなく、廊下を駆けていく、それが本当にいたのかあやふやで、酷く存在感の薄い、加池明狼だった。
(見間違いかな?)
芽緒は加池明狼の座っていたはずの、今は無人の席を見る。
どのタイミングで、どうやったのかは芽緒にはさっぱりわからないが、加池明狼は音もなく席を立ち、ドアを開け、廊下を駆けていったようだった。
(あれ?)
加池明狼の隣の席に座っているはずの、小唄日美々も居なくなっていることに芽緒が気付くと同時だった――
「えっ?」
「うそだろ」
「やべえ!」
「きゃああああ!」
教室に叫び声が響いた。
ゴブリンの一体が手にしている剣を振るった。その結果の惨状が教室内に恐怖をもたらし、混乱へと誘う。
慌てて立ち上がり廊下へと向かう者、突然の事態に動けないでいる者、人としての機能を失い動くことすらかなわないモノ。
その中で、芽緒は冷静に自分のカバンを掴み、廊下へ向かって駆け出した。
芽緒には、今ならゴブリンから攻撃されることはないだろうという確信に似たナニカがあった。
本人が理解していないソレは、芽緒の視線に対する過敏な反応からくるもので、無意識のうちにゴブリンが自分を見ていないと判断していた。
ひとまず教室から出れる、と芽緒が思ったところで、芽緒の目の前には何故か床が迫っていた。
(痛っ)
どうやら廊下に出る直前、後ろにいたクラスメイトの誰かに押されたようで、膝や腕に痛みが走る。
その芽緒を押しのけた誰かは、廊下に転がる芽緒をよそに、恐怖に叫ぶクラスメイトに混じって学校の昇降口に向かって走っていったようだった。
「ぎゃあああ!」
「死にたくねえ!」
「窓が開かねえ! 壊れもしねえ!」
「クソが!」
「うわあああ」
あちこちから聞こえてくる叫びや悲鳴を、嫌でも聞きながら、芽緒は立ち上がり身体の痛みを確認する。
(大丈夫。走れそう)
動けることを確認した芽緒は、少し考え、クラスメイトたちが向かった昇降口への最短ルートではない方へと進みだした。
芽緒は、自分がいわゆる運動音痴であることを自覚しており、まっすぐ昇降口に向かったところで、無事に学校を脱出できるとは思っていなかった。
いや、この場合足が速かろうと遅かろうと関係ないかもしれないが、集団に混じれば、魚が群れを作るのと同じ意味合いで自分がターゲットにされる確率が下がり、無事に脱出できる可能性が増すことだろう。
しかし芽緒は、自分の人間性や価値を考えると、集団にいたら、イザというときにモンスターの前に押し出され、囮にされる可能性のが高いだろうと考えてしまった。
とはいえそんな理屈を抜きにしても、芽緒が進む方向は変わらなかっただろう。
芽緒の脳裏にあるのは、先程見た存在感の薄い加池明狼の姿であり、かつて離れた場合から見かけた加池明狼の姿であり、そこから推測したおそらく加池明狼が向かったであろう場所だった。




