ダンジョンと化した校舎の中で
日美々の、ただでさえ大きくて美しい瞳を、さらに大きく、爛々と輝かせながら、同行を願い出て半日以上が経過。
明狼は日美々の手を引き、昨日一目散に逃げ出した、通い慣れた学校の正門をくぐり抜けた。
その学校は、教室や廊下に、日光を取り入れるべく設置された窓があるにも関わらず、おそらくダンジョン化の影響で、窓ガラスはガラスとしての役割を失わされ、内部の様子を覗えなくなっていた。
学校の周辺には規制線が敷かれ、この国を守るべく組織された自衛隊が固めていた。
明狼は、不知川の組織が権力――影響力をどの程度持つかは知らないが、堂々とダンジョンに突入できるよう、根回しなどが行われることは無く――仮にあったとしても、堂々と彼らの目の前を歩くつもりなど無かったが――日美々を抱えながら走った時のように、教室から抜け出した時のように、自らの存在を認識させにくくする魔法、【隠密】を使い、誰にも気付かれることなくダンジョンへの侵入を果たした。
校舎の中は一見、昨日までと変わらないように見えた。壁も床も天井も、そのままだ。
しかし、外はそろそろ陽も落ちようという時間だというのに、ダンジョンと化した校舎の中は、灯りもついてないのに妙な明るさがあった。見た目が変わらない壁か天井が、何らかの光を放っているのかもしれない。
「なんか、匂いというか空気が変な感じするね」
昇降口から入った明狼と日美々が最初に感じたのは匂い――空気の変化だった。
「たぶんだけど、魔力というか魔素で充たされている、気がする」
明狼が感じたのは、ファンタジーモノの中で、魔力――あるいは魔素と表される、この国のどこでも、昨日抜け出した時にも感じたことのないモノ。それがここには充満しているようだった。
とはいえ、明狼は嫌な感じは抱いていなかった。むしろどこか懐かしささえ覚えているくらいだ。
「でも、なんか不快というわけじゃなくて、懐かしいような?」
それは日美々も同じような感覚だったようだ。
「俺も似たような感じ」
明狼にとって魔力は、羅羽羅に能力を与えられて以来、魔法を使うための燃料のようなものとして、慣れ親しみ、身近にあるもので、この感覚はその辺に由来していそうだと感じていたが、日美々が似たような感想を抱くのは獣人だからだろう、明狼は考えていた。
どうやら人間は魔力を持たず、魔力を持たない人間は魔法に対して抵抗することが難しい、と明狼は理解していた。だから日美々が連れ去られようとしたあの時、僅かな魔力を込めただけの魔法で男共を眠らし、そのまま日美々にも同じように魔法を掛け、抵抗された。あの時、明狼は只々動揺するだけだったが、日美々が魔力をその身に宿しているから、抵抗できたのだろうと今は理解している。そして日美々は魔力を宿している故に、この魔力に充ちた空間に懐かしさすら覚えているのだろう。
「普通の人も同じような感覚を抱くのかはわかんないけど」
「たしかに。めいろくんは魔法を使うし、私は獣人だし」
この世界の人間がこの空気の中で普通に活動し続けられるかどうかなど、今すぐわかることではないなと明狼は意識を切り替え、今できる調査に取り掛かることにした。
数歩進んだ明狼は、その視界に三体のゴブリンを捉える。
明狼はソレらに向かって、魔力を込めた右腕を水平に振る。ただそれだけで、ゴブリンたちの上半身と下半身は別々の物体と化し、その活動を停止した。
明狼はポケットから、電波の繋がらないスマートフォンを取り出し、ストップウォッチ機能を起動させ、時間を計測する。
「これ、どうなるんでしょうね?」
隣の日美々の声を聞きながら、明狼は改めて辺りを見回す。
真っ二つに割かれた、ゴブリンだったモノから、緑色の体液が流れ出し、その周囲に溜まっている。しかしそれ以外は、床も壁も、念入りに掃除したばかりのようにキレイな状態だった。昨日明狼が登校した時よりもキレイじゃないかと思うくらいだ。
ここはダンジョン化した以降、おそらく唯一の出入り口のはずだ。つまり、明狼が逃げ出したその後、ここから脱出するために多くの人間がここへ向かったと思われる。どれだけの数の人間がたどり着けたかはわからないが、無事に生き延びた人もいたようなので、ここを通った人間が一人や二人ではないことは間違いない。となると、ここまでたどり着いた人間のうちの、少なくない人数が、今は亡き目の前のゴブリンの前で息絶えたと考えるのが普通のはずだ。にも関わらず、パッと見かなり清潔な状態を保っていることに、明狼は疑問を抱いた。
その明狼の疑問は、ストップウォッチが10分をカウントする頃に解消されることになった。
息絶えたゴブリンたちの周囲を、うっすら白く靄ががり始めた。それは徐々に濃くなり、そこにあったモノをすっかりと隠した。
「めいろくんあれ」
「うん。魔素が濃く集まってるみたい」
明狼は警戒を強めその様子を見守る。
一分程経つと、徐々に視線の先が澄んでいく。
集まっていた魔素が霧散すると、そこにあった切断されたゴブリンも、ゴブリンの体液もすっかりと消え失せていた。
そこからさらに一時間が経過しようとしていた。
明狼と日美々はその間、魔力を持つ日美々が、魔法を使えるかどうか検証していた。
日美々がこれまで魔法を使えなかったのが、魔力の量が足りていなかったという可能性があり、この中であれば魔力はそこかしこに溢れている。それを使いこなせるかは分からなかったが、試してみても損はないだろうと考えたからだった。
しかし、明狼は日美々に魔法の使い方を教えようとして、魔法の使い方を教えるのが難しいことに気付いた。
明狼は魔法を感覚で使いこなしていたからだ。
明狼は自然と、魔力を燃料に、発動させたい効果へと変換させていた。それこそ呼吸をするように当たり前の事象として。
日美々には魔法を使う感覚がわからず、明狼は教える言葉を持たない。つまるところ、日美々は現状に於いて魔法を使うことができなさそうだった。
「小唄さん、そろそろ移動します」
明狼が日美々に声をかけるが、日美々はそっぽを向く。
「小唄さん?」
「……」
「にみ」
「はい!」
日美々がパーッと笑顔を咲かせる。
ここまでの間に、どう呼んで欲しいという、何かしらでで見たことがあるようなやり取りを現実に交わしていたのだった。
「移動しよう。にみ」
「はい!!」
明狼は日美々の手を取る。
「え!?」
「罠とかあるかもしれないし」
明狼は言い訳のように顔を日美々から背けながら言った。
「ごめん。にみ待った」
明狼が移動しようとした時、再び魔素の靄がかかり始めたので、手は繋いだまま移動を取りやめる。
それは先程と同じように徐々に濃くなっていき、しばらくすると薄まっていった。
その中にシルエットが見えてくる。
魔素の靄が晴れた時、そこには三体のゴブリンが立っていた。




