幼稚園
探偵事務所へは、おおよそ一時間くらいの滞在だった。
帰路に着きながら、僕は疲労を感じていた。
結局、この一時間の会話も虚しく、僕が件の男の捜索を、大石さんに依頼することはなかった。
理由は語るまでもない。
僕の状況を、彼女が一切慮ってくれないこと。
最後の方は一触即発手前になってしまったこと。
何より、僕が今所持する情報だけでは、件の男を探すことが困難だったこと。
むしろ、身銭を守るためには、この選択が正解だったのかもしれないと、帰りの電車の中でぼんやりと考えていた。
揺れる車内。
始発駅から乗車出来たため、シートに座ることが出来た。
僕がポケットからスマホを取り出した。
画面を灯して、時間を確認した。
……明美を失って初めて知ったことだが、幼稚園が子供を預かってくれる時間はおおよそ四時間。
しかし、最近では共働きで日中家を空ける家庭も少なくないらしく、そのような家庭の子供への処置として十一時間と長時間、子供を預かってくれるような幼稚園も増えた。
明美がまだ生きていた頃は、彼女が専業主婦だったために、凜花を預けている時間は四時間で済んだ。
だけど、明美を失った今は、そうはいかなかった。
最近、昇進したばかりという立場。
両者地方育ちで、上京し結婚したきたという実家を頼り辛い事情。
五歳の凜花を日中、一人で家に置いておくわけにもいかない世間体。
とてもじゃないが、四時間凜花を預かってもらうだけでは、今の僕達の生活は成り立たなかった。
妻を失い、仕事も手を抜けず、凜花の面倒を見なければならない今の僕にとって、そのシステムは実に有り難かった。
ただ唯一難点があると言えば、長時間預かりには追加料金が発生することだ。
だから、たまに休みを取った今日くらい、四時間で凜花を迎えに行こうと思った。
最寄り駅に着き電車を降りると、僕は凜花のいる幼稚園へと向かった。
幼稚園に着くと、丁度親御さんが迎えに来る時間だったからか、幾人かの主婦らしき人が幼稚園の門の前に集まっていた。
園児の送迎は、遠方の人はスクールバス。近場の人は徒歩で迎えに上がるシステムらしい。
僕は、行きはいつもスクールバス。だけど帰りは、遅い時間になるからこうして迎えに上がっていた。
……子供と先生がやってくるのを待っているであろう主婦達の視線が、僕に注がれていた。
こんな時間に男一人で、こんな場所にやってくる。
もしかしたら、不審者かなにかと間違われているのかもしれない。
少し、気分が悪かった。
「お疲れ様です」
幼稚園の方から、声がした。
そこにいたのは、凜花の先生でもある田沢さん。
両手は、隣を歩く子供で塞がっていた。
「お疲れ様。先生。いつもウチの子がお世話になっています」
「いえいえ、ユウヤ君はとっても優しい子ですから。お世話なんて全然ですよ」
「そうですよね。当然ですよ。あたし達の子ですもの」
さっき、僕に一番睨みを利かせていた女性が、自慢の子供をひけらかして笑っていた。
「それじゃ、皆、また明日」
田沢さんは、子供達に目線を合わせるようにかがんで、微笑んでそう告げた。
「ふう」
子供達の受け渡しも終えて、彼女は小さくため息を吐いていた。
「……あの」
「あ、はい。……あ、清水さん」
ようやく彼女に気付いてもらえた。
「お疲れ様です。大変ですね」
僕は言った。
「大変?」
「……中々、個性が強そうな人が多かったものですから」
「……ああ、まあ。自慢の子供達なんでしょうね。別に悪いことじゃないと思います。自分が辛い思いをして産んだ子供達ですもの。自慢の一つもしたくなりますよ。でも、その分子供のために必死になれるんです」
……辛い思いをして、か。
『あの子が寂しい想いをしているんだよ? それでも仕事の方が大事なの?』
「……そう言えば、ウチの妻もそうでした」
「え?」
「ウチの妻も、子供のことをいつも第一に考えていた」
「……」
「お恥ずかしい話ですが、僕、しょっちゅう家では妻に怒られていたんです」
ぼんやりと思い出していた。
「……土日、夜更かしをすれば怒られ。子供の勉強を手伝わなかったら怒られ。夜、仕事で帰りが遅いと怒られてきました」
口角が緩んだ。
「帰りが遅い件は、それはもうしょっちゅう怒られました。呆れられたのか、見せしめなのか。ある日を境に妻と娘は僕が帰るより前に床に就くようになりました」
家の前まで着くと、明かりが灯っていない日が珍しくなくなっていた。
……だけど、あの日は。
「大丈夫ですか?」
「……え」
「清水さん、思い詰めた顔をしていらっしゃるから」
「……そんなことはないですよ」
「嘘」
断言され、僕は目を白黒とさせた。
「凜花ちゃんの送迎で、今日まで何ヶ月かあなたと顔を合わせてきましたが、はっきり言って今朝は一番酷い顔でした」
「……っ」
「辛い状況にあることはわかります。ですが、抱えすぎないでください。お願いします」
……強い、瞳だった。
この瞳には、いつも敵わない。気圧されるのだ。
……今日会った探偵にも。
そして、明美にも。
……敵わなかった。
「す、すみませんっ! 出過ぎたことを言いました!」
ハッとしたように、田沢さんは頭を深々と下げた。
「……あはは」
ただ、そんな彼女の姿が、僕には少し滑稽に見えた。
「……そ、そこまで笑わなくても」
彼女は、顔を上げながら、少し頬を膨らませていた。
「すみません。少し、気が緩んでしまって」
「……それなら、良かったです」
「……すみません。凜花を迎えに来たんです。今日は、調子が悪くて、会社を休んだので」
一瞬、驚いた顔をした後、田沢さんは微笑んだ。
「そうでしたか。少々お待ち下さい」
少し慌ただしく、田沢さんは踵を返した。
「すぐに呼んできますね」
そして、嬉しそうに走り出した。
きっと皆、この幼稚園の先生と恋人になると思ってるだろうけど違うからな
こっから主人公、ハーレムルート入るから
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