矛盾
呆気に取られていた女性が、しばらくしてようやく落ち着いたらしい。
「大体お話はわかりました。……その、辛かったですね」
「……」
「申し遅れました。あたしの名前は大石円香。以後、お見知りおきを」
「よろしくお願いします。……清水賢です」
「清水さん。よろしくお願いします」
丁寧に、女性は頭を下げてくれた。
「それで、清水さん。依頼内容はさっき仰っていた通り、亡くなった奥さんと当時不倫関係にあったその男を探し出すこと、ということでよろしいですね」
「はい」
「……ちなみに、その男に関して、他に手がかりはあるんですか?」
「いえ、あの写真以外には、何も……」
「何もないんですか? メールとか、メッセージアプリの履歴とか、何も?」
「はい。めぼしいものは、DNA検査の結果を待つ一月、このスマホをくまなく調べたつもりなんですが、一切」
「そうですか」
大石さんは、顎に手を当てて難しい顔をしていた。
「わかりました。それでは清水さん。一応、あなたと奥様の出会いとか、思い出だとか、当時の状況だとか、話せる範囲で構いませんので、教えて頂けませんか?」
「……はい」
それからしばらく、僕は大石さんに僕と明美の過去を話した。
出会い。
馴れ初め。
結婚。
妊娠。
出産。
そして、急逝。
淡々と、面白みのない短編小説のように、僕達の過去を語った。
大石さんは、最初は興味深く、だけど、最期の方はとても気まずそうに話を聞いていた。
「……こんなところですね」
「ありがとうございます」
しばらく、僕達は黙りこくった。
事務所の壁にかけてある時計の音だけが、室内に響いた。
「清水さん、単刀直入に話します」
「……はい」
「正直、手がかりが少なすぎます」
「……」
「勿論、もし依頼頂けるということであれば全力で仕事は致します。ですが、これだけその男に関する情報が少ないとなると……見つかる可能性は極めて低いです」
「……そうですか」
「はい。……それに、清水さん。もう一つあります」
「もう一つ……?」
「写真のその男が、娘さんと血縁関係にない可能性だってあるんです」
「……っ」
「確かに、先程関係を仄めかすような写真も見せて頂きましたし、DNA検査であなたと娘さんが血縁関係にないことも明確になりました。でも、これまでの情報は全て状況証拠でしかありません。その男と凜花ちゃんの関係が明確になった証拠にはならない」
「妻が他にも男を作っていたというのかっ!!!」
ドンッ!
感情のまま、僕は机に両手を振り下ろしていた。
結果、室内には大きな音が響いたのだが……大石さんは狼狽える様子は一切見せなかった。
それどころか、彼女は最初に会った時よりも強い瞳を僕にぶつけてきていた。
迷いのない、強い瞳だった。
気付けば、僕は彼女から目を逸らしていた。
「……清水さん、一つ聞きたいことがあります」
「なんだ……」
「あなたは、その男を見つけてどうしたいんですか?」
……恐らく、明美と不倫関係にあった男を見つけて、何をしたいのか?
そんなこと、決まっている。
……決まっている、と思っていた。
僕は、口を閉ざした。
狂気ではない。
激情でもない。
むしろ、もっと理性的なものだったと思う。
「娘さんを、手放したいんですか?」
……全身の血液が、沸騰するような感覚だった。
出任せな明美の異性との交友関係を口に出された時以上の、感情だった。
握りこぶしが痛かった。
血が滴っていることに、まもなく僕は気がついた。
「……悪いか」
声が震えていた。
「お金が欲しかったんだ。……家族三人を幸せにするためには、お金が必要だったんだ……!」
手が痛かった。
「食費。家のローン。電気代。将来的には凜花の学費だって必要だった」
目頭が熱かった。
「だから頑張った……!」
吐き気を覚えた。
「文句を言われようが仕事に明け暮れた」
明美の顔を、思い出していた。
「陰口叩かれようが成果を求めた……!」
「……」
「……なんだったんだ」
「……」
「僕の人生は、明美と、凜花のために生きてきた僕の人生は、なんだったんだ……」
凜花を手放したいという思いは、理性的な感情だったと思う。
血の繋がらない子供のために、時間を浪費する。金を費やす。精神的苦痛に耐え忍ぶ。
そんなの割に合わない。
そんなの、幸せにはなれない。
だから、理性的に、合理的に、僕はその思いを抱いた。
「残酷な選択ですよ、それは」
多分この発言は、今日ここまで、彼女と交わした会話の中で、最も酷い言葉だったと思う。
彼女の発言は、僕に一切寄り添っていない。
あくまで現状において、僕は完全に被害者の身なのだ。
今の僕は、妻に裏切られ、自分と血の繋がっていない子を育てさせられた……哀れな男なのだ。
なのに、彼女の発した言葉は、そんな僕の身の上を考えることもない、考えうる限りでも最も残虐で、非道で、許しがたい言葉だった。
多分、今なんだ。
僕が、今日一番、怒りを露にするべきタイミングは。
「……」
なのに、怒りは湧いてこなかった。
一切、湧いてこなかったのだ。
「わかってるさ、そんなことは」
吐き捨てるように、僕は言った。
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