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求婚

 寝室で一人こもる僕の耳に、リビングの方から二つの声が聞こえた。

 凜花と、美波さんの声だろう。

 和気あいあいとした声ではない。

 むしろ、少しだけ寂しそうな、そんな声だった。


 ベッドに仰向けに寝転んでいた僕は、耳を塞いで目を瞑った。

 早速、決意が鈍りそうだった。

 寂しそうな彼女達の声を聞くと……早速、さっき固めた決意が揺らぎそうだった。


『いらないから』


 ただ、そんな葛藤を嘲笑するように、さっきの出来事を思い出すと、胸の奥にスカッとする感情があることに気がついた。

 さっき、僕は初めて凜花に冷たく当たった。

 彼女が生まれてからこれまで……特に、明美が死んで以降は、彼女を悲しませてはいけない。そんな気持ちばかりが先行していた。


 だから、彼女に冷たく当たろうものならもっと罪悪感にでも囚われるのだと思っていた。

 自罰的な思考に陥り、死にたくなるとさえ思っていた。


 ただ、実際にしてみればむしろ逆。

 驚くくらい、罪悪感になんて囚われず、むしろ……。


 ずっとそうだった。

 明美が死んで以降の僕は、事あるごとに凜花に明美の陰を見てきた。

 彼女達が家族であること。

 彼女達が親子であること。

 僕とは違い、親子であること……。


 それを、凜花の振る舞いを見ながらまざまざと見せつけられてきたのだ。


 辛く当たって、快楽にも似た感情を抱くのは当然だったのかもしれない。

 日に日に明美に似ていく凜花に復讐して、僕の気が晴れるのは当然だったのかもしれない。


 だって、彼女達は親子なのだから。

 彼女は僕の忌むべき相手の娘なのだから。


 気付けば、頭の中では彼女にどうやって復讐するか。

 そんなことばかりを考えていた。

 幼気な彼女を、どう苦しめるか。そんなことばかりを考えていた。


 ……痛めつけてやる。

 苦しめてやる。

 同じ想いを、味わわせてやる……っ!!!


 そのためには、彼女を手放すだなんてもっての他だ。

 手元に置いて、苦しむ姿を……。

 悲しむ姿を……。


 やめて、と泣き叫ぶ姿を見ないと、この気持ちは一生晴れない。

 

 後は、どうやって復讐するか。

 暴力に訴えるつもりはない。

 暴言を吐くつもりもない。


 僕は別に、暴力にも暴言にも苦しめられたことがないからだ。


 僕が苦しめられたこと。

 それは……。


 ……そうだ。


 コンコン、と扉がノックされた。


「賢さん?」


 時計を見れば、時刻は夜十一時。

 復讐心に駆られるあまり、随分と長い時間、一人寝室に籠もっていたらしい。


「体調はどうですか?」


 多分、もう凜花は寝たのだろう。

 寝かしつけてくれた美波さんが、心配して僕の様子を見に来てくれた。

 そんなところか。


「……凜花ちゃんが言っていましたよ」


 僕は、立ち上がった。


「今日、お父さんの調子が悪そうだって」


 扉に近寄って、鍵を開けた。


「……大丈夫、ですか?」


 扉を開けると、僕は美波さんを抱きしめた。

 辛そうに俯いていた美波さんは、突然の僕の行動に呆気に取られたようだった。


 ただしばらくすると……彼女は僕の背中に腕を回した。


「大丈夫、なんですね」


 優しい声色だった。


「良かった……」


 そんな声を聞き、初めて、僅かな罪悪感が襲ってきた。


「もう。あまり心配させちゃ駄目ですよ。凜花ちゃんも心配していたんだから」


 だけど、その気もすぐに吹き飛んだ。


 ……どいつもこいつも。

 彼女は違うと、思ったのに。


『だから……凜花ちゃんは悲しませないであげて』


 でも、思えばこの一年の間に、彼女の気持ちには大きな心変わりがあった。


 多分、僕が立ち直りつつあったから。

 それか、僕との将来が漠然と見えてきて、これから娘になる奴の方が心配になったのか。

 どちらにせよ、憎らしい。


「……美波さん」


 不思議と、彼女を抱きしめる腕に力が入った。



「結婚しよう」



「……へ?」


 美波さんは素っ頓狂な声を上げた。

 僕は、思っていた。


 この復讐の成就の術を。

 この怒りの収め方を。


 ……暴力はしない。

 暴言も吐かない。


 僕がされたことは……そんな低俗な行為で浴びた苦痛では収まらないような、辛いものだった。

 辛く、苦しく……死にたくなるようなものだった。


 ……家族を、奪ってやろうと思った。


 凜花から、大切な家族を奪ってやろうと思ったんだ。


 思い出したのは、いつか美波さんが教えてくれたこと。

 

『……ここにはまだ、お母さんがいるからって。この前、あなたが帰ってくる前に』


 凜花が、僕に隠れて仏壇を掃除していたということ。


 凜花はまだ、明美のことを母親だと思っている。

 あの女なんかのことを、母親だと思っているのだ。


 だったら、あいつから明美を取り上げてやろうと思った。

 美波さんという別の親を立ててやろうと思った。


 血の繋がっていない親を見繕ってやろうと思った。


 ここまでは、美波さんと凜花は仲良く生活を送れていた。

 だけど、凜花はまだ美波さんのことを親だとは思っていない。

 凛花にとって美波さんは、親ではなく、先生なんだ。

 そんな人がいきなり親になるだなんて、例え精神的に未熟な六歳児だろうと思うところがあるだろう。


 ただ、それだけではない。


 僕はもう凜花に肩入れする気はない。

 美波さんだって、いつか僕との間に子でも出来ればそちらに肩入れするようになるだろう……。


 そうすれば凜花は、もう一人だ。

 もう、誰も彼女に目を向けてくれる人はいない。


 僕の復讐が成就するのは、その時だ……。


「賢さん、あの、その……ありがとうございます」


「……」


「でもその……もう少しだけ待てないでしょうか?」


「……」


「もう少し、せめて凜花ちゃんが卒園するまで……っ」


 僕は、強引に美波さんの唇を奪って、口を塞いだ。

書きながらわかりづらい復讐だなと思った。

一番クリティカルになるタイミングって、二人の間に子供が生まれて子育てに忙しくなり、娘をほっぽりだす時だと思ったけれど、それって兄弟を育てる親子の間には必ず起こりうる出来事だよな。

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― 新着の感想 ―
[一言] 托卵されてその事実を知ってもその子に一切八つ当たりせず巣立つまで育て上げた者のみが石を投げなさい…いや実際いるらしいですからねそんな聖人(ネットの書き込み故真偽は不明ですが) 彼の考えを肯定…
[良い点] 血の繋がった本当の子供でさえ浮気した相手に似てると思うと嫌な気持ちになるときがあるのに、ましてや完全に他人だった場合はやっぱ相当ですよね。
[良い点] 人間そう簡単に割り切れない サレ男の葛藤が良く書けてると思う [一言] 現実味があっていいと思う 最後までブレずに書きたいことを書ききってほしい
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