本心
川遊びでずぶ濡れになったこともあり、迷惑になるだろうからとかき氷店に行くことは取りやめた。
途中コンビニでタオルなどを買ったりして、少し早いと思ったけれど、僕達は帰路に着くことにした。
車の中、眠そうな凜花は後部座席のチャイルドシートで眠っていた。
そして、田沢さんは帰りは助手席に座っていた。ガイド役を買って出てくれたのだ。
「まあ、ナビがあるので不要かもしれないですけれど」
「そんなことないです。有り難いです」
行きとは違い、静かな車内。
それが、田沢さんと交わした約束がもう終わりに近づいていることを告げていて、心の底に僅かな寂しさを僕は感じていた。
「今日は、ありがとうございました」
高速を走る車内、田沢さんが言った。
「こちらこそ……とても楽しかったです」
「本当ですか?」
「え?」
「だって、あたしのせいで……服は濡れるしかき氷店は行けないし」
「……ああ」
まあ確かに、かき氷店に行けなくなったこと、凜花は少し残念そうだったな。
そんな凜花を見てしまったから、田沢さんは少し申し訳なっているのだろう。
「……あの子は出来た子だから。大丈夫ですよ。それより一日楽しめた喜びが勝ると思います」
「……そうですね」
「はい」
「……あなたは?」
「え?」
「清水さんは、どうでしたか?」
田沢さんの声は、少し震えていた気がした。
「今日……あたしのせいで嫌な思いとか、しませんでしたか?」
「しませんよ」
苦笑した。まさか、そんな心配をしていただなんて。
「むしろ、感謝しかしていないです」
「……感謝、ですか?」
「えぇ、とても楽しかったです。本当に……最近味わえなかった感覚でした。楽しかった。楽しかったです」
「……そうですか」
しばらく車内は静かになった。
行きは青空が広がっていた空だが、今ではすっかりと太陽が沈み夜になっていた。等間隔で街灯が車内を照らす。
本当に、随分と長い間車内は静かだった。
きっと、凜花のように眠ったと思っていた。
田沢さんも、眠ってしまったと思っていたのだ。
「ねえ、清水さん?」
田沢さんの声だった。
「……このまま、終わらせるつもりですか?」
何を終わらせるつもりなのか。
彼女の質問には主語がない。
なのに、言いたいことはわかってしまう。
どうして今……そんなことを聞くのだろう。
こんなにも楽しい日の後に……どうして。
いや多分、今だから聞いてきたのだろう。
僕と同様、彼女は確信めいたものを感じているのかもしれない。
僕は今、一つの確信があった。
それは、僕が今、田沢さんに惹かれ始めている、ということ。
多分、彼女も……。
彼女も、僕に対して秘めたる想いが少しはある。
そうでなくてはリスクを冒してまで凜花を預かってくれたりしない。
そうでなくては、僕と凜花と、こんな約束をしてくれるはずがない。
……きっと、僕達はこれから、今以上に関係を深めていく。
きっと僕達は、これから……今日のように。
明美と凜花と過ごしてきたあの生活のように。
……幸せな時間を送ることが出来るのだろう。
だから、今が最後なんだ。
あの件を掘り返すタイミングがあるとしたら、今が最後なんだ。
「奥さんとは死別。不倫相手は見つからない。……でも、奥さんのご両親を追求することも出来ますよね?」
「しないよ」
「どうして……?」
「……最初に彼女のご両親に会った時は、結婚が決まった時の挨拶に行く時だ。彼女の家は、ここから大体三時間くらいかかる場所で、新幹線で向かうことになった。……僕、凄い緊張していて。それはもう、車内で彼女が勧めた美味しい駅弁がまるで喉を通らないくらいの」
車を走らせたまま、僕は続けた。
「彼女のご両親は、駅に迎えに来てくれていた。駅に着いたらびっくりさ。電話の時はお義母さんだけ来ると言っていたのに、いざ行ってみたらお義父さんも来られていたんだ」
僕はあの日のことを思い出して、苦笑した。
「もう、吐くかもと思ったよ。改札を出るのを躊躇うくらいにさ。……でも覚悟を決めて、改札を出たらすぐに挨拶をした。お義父さんは、手を震わせていたのが見えたんだ」
田沢さんは黙って話を聞いていた。
「殴られるんだーと思った。お義父さんが手を振り上げた途端、僕は目を瞑ったんだ。そしたら、右手を掴まれて……。『ありがとう』って。『自分に似て頑固者な娘だけれど、よろしく』って」
あの時の、彼の優しい笑顔が忘れられない。
「……凄い優しい人達だったんだ。年に一回伺えば、手料理をたくさん振る舞ってくれた。帰りには美味しい酒を渡された。娘が出来たと報告に行った時にはまた『ありがとう』って言ってくれた」
嬉しそうな彼らの顔が、忘れられない。
「……そして、彼女の葬儀では、『ごめんね』って、謝ってきたんだよ」
僕以上に苦しいはずなのに……僕の身を案じてくれた二人のことが忘れられない。
きっと、断腸の思いだっただろう。
幸せ絶頂の娘が自分達より先に逝くことは。
それなのに、彼らは僕に『ごめんね』と謝ってきたんだ。
重い言葉だった……。
とてもとても……重い言葉だった。
自分の娘が、僕と凜花を残して逝ってしまってごめん。
僕なら泣いていたと思う。
もし僕の娘が……結婚した後、自分より先に天国に旅立ったとなれば……泣いてしまっていたと思う。
なのに彼らは……。
「凜花の件は前にも言った通り、家族には言いたくないんだ。僕と同じような気持ちを、僕の家族には抱いてほしくないんだ」
「……」
「彼らは僕の家族なんだ。僕と血は繋がっていない。だけど彼らは……僕が辛い時に労ってくれる。ビビっている時に微笑んでくれる。僕が先に進めるように、どんなに自分達が辛くても背中を押してくれる」
「……」
「そんな彼らに、僕と同じ気持ちを抱いてほしくない……。絶対に、嫌なんだ」
「そう、ですか……」
また、車内は静かになった。
ただ今度はわかる。
田沢さんは寝ていない。
田沢さんは今、考えている。
本当にこのままでいいのかって。
本当にこのまま泣き寝入りしていいのかって。
……だから、
「じゃあ、奥さんは?」
だから、田沢さんは尋ねてきた。
「奥さんへは……今、どんな気持ちを抱いているんですか?」
……そう聞いてから後悔をしたのは、田沢さんだった。
彼女が息を呑んだのが、雰囲気でわかった。
僕の顔を見て、息を呑んだのが伝わった。
……多分、それくらい。
それくらい、今の僕の顔は……。
「何も」
僕は答えた。
「いや、少し違うか」
僕は、苦笑した。
「何も思わないようにしている……」
何かを思うと、どうにかなってしまいそうだったから。
田沢さんは、小さく「ごめんなさい……」と謝罪した。
急に章設定しちゃったけど、一章完了です。
本当は章わけするつもりはなかったのですが……こっから数年飛ばすため、わかりやすいように。
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!
 




