味方
「清水さん、正直に言います」
田沢さんは続けた。
「正直……とてもじゃないけど、信じられない」
「……そうですよね」
「信じられません。あなたの奥様が不倫をしていて、凜花ちゃんは……あなたと血が繋がっていないだなんて。とてもじゃないけど、信じられない……」
そうだろう。
それが、普通だろう。
「……ただ」
田沢さんは俯いていた。
「ただ、あなたを見ていると……今のあなたを見ていると、納得してしまう」
「……」
「正直、合点がいきました」
田沢さんの目から、涙が溢れていた。
「どうしてあなたが、凜花ちゃんを見つめる時にとても辛そうなのか。命を絶とうとしたのか」
辛そうに、泣いていた。
「……すみません」
田沢さんは頭を下げた。
「あたし、そこまでのことだっただなんて思っていなかった……」
田沢さんは、涙を拭っていた。
「あたし、一人で戦うあなたに、酷いことを言ってしまった……」
「……良いんです」
「でも」
「良いんです。……あなたに話せて、すっきりした。それだけで充分です」
しばらく僕は、泣き出してしまった田沢さんを慰めていた。
さっきまでは、僕が彼女に激励されていたが、立場が逆転してしまった。
「お見苦しいところをお見せて、すみません」
「大丈夫です。こちらこそ、すみません。こんな話を聞かせてしまって」
「……」
「あなたに話せてすっきりした。口に出さずずっと悶々としていたものが、声に出して形になって、少し落ち着けたんだと思うんです。ありがとう。そして、出来れば今聞いた話は忘れてください」
「……どうして」
「これはあなたが抱えるべき問題ではないからだ」
「……」
「所詮、あなたは僕達親子と他人だ。そんなあなたにこんな重荷、背負わせられるはずがない」
「……清水さんは、じゃあ、どうするんですか」
「……なるようになりますよ」
しばらく、無言の時間が室内に流れた。
外を車が走る音。
凜花の寝息。
僕は、俯いた。
「清水さんは、それで良いんですか?」
唐突な問いかけだった。
それで良いのか、か。
それで……一人で抱え込んで、それで良いのか……。
「構いません」
「……そうですか」
田沢さんは、これで諦めてくれただろう。
そもそも彼女が抱えるべき問題ではない。そういった僕の気持ちは、嘘偽りは一切なかった。
彼女は所詮、僕達親子と他人。
彼女は彼女の、幸せになる道がある。
……そんな彼女の幸せを踏みにじってまで、僕達に過干渉になってもらう必要は、一切なかった。
「ねえ、清水さん……」
「……なんですか」
「あたしは嫌です」
消え入りそうな、弱い声だった。
「あたしは、嫌です」
「……あなたの気持ちは関係ない。僕がそれで構わないと言ったのだから、それでこの話は終わりです」
「終わりじゃないです……」
「いいや終わりですよ」
「終わりじゃないですよ」
消え入りそうな弱い声。
なのに、田沢さんの声には確固たる意志のようなものが感じられた。
「終わりにしたいのなら、どうしてあなたはそんな辛そうな顔をしているんですか……」
田沢さんは言った。
……また、僕を慮るような、そんな発言だった。
「清水さん、本当はどうしたいんですか……?」
「……」
「あなたは、本当はどうしたいんですか?」
……田沢さんの問いかけに、僕は黙った。
答えを出さず、黙秘を貫こうと思ったわけではない。
考えていた。
彼女の言葉への返答を、考えていた。
僕は本当はどうしたいのか……?
凜花を守り抜くと決めた。
凜花と二人で生きていくと決めた。
志半ばで死に絶えた明美のため。
そして、僕のため……。
あの子と二人で、生きていくと決めたんだ……。
僕が本当はどうしたいのか。
答えは、決まっていた。
「幸せになりたい……」
うわ言のように、呟いた。
「幸せになりたいんだ」
しかし、今度ははっきり言った。
僕の意志を。
僕の想いを。
……はっきりと、田沢さんに告げたんだ。
「だったら、あたしもお手伝いをします」
「え?」
「どうせ乗りかかった船です。お手伝い、させてください」
「でも……」
「君は関係ないなんて言わないでください……! あなたから秘密を聞き出したその時点で、あたしはもう無関係ではないんです」
……太陽のようだと思った。
「あたしは、あなたの味方なんです……!」
優しく微笑む彼女が。
しっかり者で、献身的なことを言ってくれる彼女が……。
今の僕には、まぶしくて……泣きそうなくらい、まぶしくて……。
最初は拒もうと思ったのに。
彼女は関係ないのだから、と諦めさせようと思ったのに。
「ありがとう」
もう、僕にはそんなことをすることは出来なかった。
お礼を言う事しか出来なかった。
涙が出た。
最近、涙もろくなった気がする。
あの日以降、耐えられることが耐えられなくなった。
辛い。
苦しい。
そんなことばかりを考えていた。
でも、今の涙はそれらの感情とは真逆の感情……。
嬉しくて。
嬉しくて……。
僕は、涙を堪えることが出来なくなったのだ。
嗚咽を漏らす僕を、田沢さんはもう一度優しく抱きしめてくれた。




